リッパー編 ⑤
地面を殺す勢いで蹴り続けていた。
脚が地面を叩くたび、火花が散る。通常なら三歩で終わる歩幅を、一歩で稼ぐ。それでも足りない。まだ足りない。
俺は闇の中を走り続けた。
心拍数を告げるHUDが視界の端で狂ったように明滅している。エラー警告。オーバーヒート警告。知ったことか。
ネオンの光がにじんで、両側の景色が光の帯になって流れ去る。
「どけッ!」
叫ぶ声すら掠れていた。俺の足音を聞いた瞬間、路地にたむろしていたギャング共が悲鳴じみた声を上げて壁に張り付く。彼らの顔に浮かぶ表情を確認する余裕もない。
ただ前だけを見ていた。
竹河から「追跡中」の連絡が入っていたからだ。
どぎついピンクのネオンが、地面を染めていた。ベースの重低音が漏れ聞こえるナイトクラブの入り口に、竹河は微動だにせず立っていた。
「奴だ。女をさらって路地に入った」
低い声。だが焦りは隠しきれていない。
俺は肺に溜まった熱を一気に吐き出しながら頷いた。
「行きましょう」
背中からショットガンを引き抜く。
だが、伸ばした手を、竹河の手が遮った。
「人命が優先だ。女を殺すなよ。世論がうるさいからな」
苦々しい響きだった。正しいことを言っている自覚と、それを心底から信じきれていない苛立ちが、声の端に滲んでいる。
俺はショットガンを戻し、代わりに、デザートイーグルを抜く。手のひらに広がる重みが、わずかに気持ちを落ち着かせた。
竹河が先にコルトを構え、路地の暗がりへ踏み込んでいく。その背中に、隠しきれない緊張が張り付いていた。
これまで軽口一つで済ませてきた男が、こんな顔をするのは初めてだった。
俺はイーグルを構え直し、その後を追った。
ネオンの光が途絶えた瞬間、世界は闇の匂いだけになった。
路地全体が、息を止めているようだった。
酔漢の怒鳴り声も、バイクのエンジン音も消え、この狭い闇だけが世界のすべてになる。
前方から女の悲鳴が響く。
視界を赤外線スコープに切り替えると、巨大サイボーグに首を絞められている女の姿が浮かび上がった。
盛り上がった肩、厚い胸板。肩と胸板が合体したように見える。その肩と胸板に挟まれるような場所に、赤い輝きを放つ二つの光がある。眼なのかもしれない。その辺りの筋肉が顔なのだろう。長い五本の鉤爪、石柱の如き脚。三メートルはある漆黒の巨体だ。
重機のような巨体から殺人の意思が放射され、暗闇、陰、路地全体の空間を支配している。
【敵反応検知:1】
こいつがリッパーか。
――顔なんて無かった、か。あながち大袈裟な話じゃなかったらしい。
「女を離せ!」
竹河が叫ぶ。
俺たちに気づいたリッパーは女を投げ捨てると、こちらへ突進してきた。踝の辺りからモーターの轟音が聞こえる。ローラーダッシュだ。
重機が突進してくる。
竹河が発砲するが止まらない。竹河は跳ね飛ばされて壁に叩きつけられた。コンクリートが陥没し、破片が降ってくる。
リッパーが俺へ向かって爪を振る。空気を切り裂く、いや、空間をもぎ取るような攻撃を、どうにか屈んでかわした。
「女を安全な場所へ連れ出せ!」
起き上がった竹河がショットガンを手に命じた。半狂乱の女を引きずるようにして、路地を駆け抜けると、ナイトクラブの裏手へ出る。目の前にあったショットバーの中へ女を押し込み、すぐに路地へ戻った。
竹河がショットガンを放つが、リッパーの動きは変わらない。身体から火花が散るばかりである。
リッパーは、鉤爪で建物の壁を削りながら突進して来た。壁から夥しい火花が流星のように散る。
「賢木!」
竹河が下がり、俺が前に出た。俺がショットガンを撃つ間に竹河がリロードをする。弾丸が巨体に炸裂し、火花と共にフレームの一部が吹き飛んだ。それでもリッパーの突進は止まらない。
俺と竹河は跳ね飛ばされて地面を転がる。
立ち上がった俺の前にリッパーがいた。
ドラム缶のような腕を旋風のように振り回し、繰り出した鉤爪が、俺の胸板に命中した。
俺は再び地面に叩きつけられた。目の前が一瞬暗くなる。
警告音。
【パイプリブ損傷率45%】
胸部パーツの半分が損傷した。
目の前に転がっていたショットガンを拾い、すぐに起き上がる。胸部のパーツが凹んでいた。
竹河が発砲している姿が見えた。
リッパーの腕が伸び、竹河が吹き飛ばされた。
俺は後ろからショットガンを放つ。
閃光と炸裂音。火花と金属音。
何発食らわしても、さっぱり手応えがない。
リッパーは振り向くと同時に突進した。
轟音が迫り来る。腕の振りは大きい。
だが、鉤爪だけは正確に俺を追ってくる。
赤い光めがけて発砲する。弱点と言えそうなのは、そこだけに思えたからだ。
命中するが、火花が散るばかりで、やはり手応えはない。いくらタフといっても限度というものがあるだろう。
鉤爪が来る。
後ろに逃げると見せかけて重心を落とし、右方向へ踏み出す。膝を曲げて体重移動、ここでローラーダッシュをかけると、瞬時に右へと鋭く身をかわす。
空を切る鈍い風圧が周囲を揺らし、鉤爪は目標を見失った。
俺はリッパーを後ろから狙った。
炸裂音が響き渡り、巨体から火花が激しく散る。
さらに引き金を引こうとした時、路地に散乱したゴミに足を取られ転倒した。
地面が爆発したように揺れた。
リッパーが走ってくる。
両腕を頭上に掲げ、交差させる。まるで黒い彫像だった。
二つの赤い光の下で、筋肉の塊が大きく盛り上がるのが見えた。
顔だった。赤い眼の下が半月状に裂け、ノコギリ状の黒い歯がむき出しになる。
俺は引き金を引いた。
だが、弾切れだった。
赤い眼が俺を見据える。
リッパーの腕がゆっくり動いた。
その時、爆発音が響き渡ったかと思うと爆風が噴き出し、白煙が路地を満たした。ロケット弾が火柱を引きながら弧を描き、轟音とともにリッパーの前面装甲へ命中した。
リッパーの身体全体から炎と黒煙が噴き上がり、肩の装甲が吹き飛んだ。
足音が近づいてきた。
現れたのは白覆面に白い衣装の男だ。
「ファントムペイン参上!」
白覆面の男は震える手でロケットランチャーを持っていた。
――勝算はあるんですか、と聞いた俺に、舐めてんのかと凄んだ男だった。
その手が、今は情けないほど震えている。足もガクガクだった。
「た、たまたま通りかかっただけだが助けてやる!」
「ファントムペイン! 逃げろ!」
俺は叫んだ。
白覆面は首を振る。
「だ、大丈夫だ! これでも私は――」
言葉が止まった。
煙の中から赤い眼が現れたからだ。




