リッパー編 ⑥
熱波が大地を這い、炎の門の向こうから、一つの影が現れた。煤と灰をまとい、まるで黄泉の底から這い上がってきたかのように、ゆっくりと歩み出た。
死が、受け取りを拒んだのだ。
リッパーは立ち止まり、夜空を仰いだ。燃え盛る炎が後光のように縁取り、その姿はもはや魔人だった。
「賢木!」
煤と灰の中から現れたのはリッパーだけではなかった。
脚を引きずりながら現れた竹河は、少し弱々しく見えた。脚部の装甲がえぐれ、露出した内部のワイヤーが火花を散らしている。
「後退しますか?」
俺の問いに、竹河は短く笑って首を振った。
「これくらい平気だ」
そう言った直後、踏み出した足がわずかによろめく。駆動系がやられている――ローラーダッシュが使えない。
本人はごまかそうとしているが、隠しきれていない。それでも今この場で言い争っている時間はなかった。
俺たちは無言のままリロードする。指先が焦りで震え、金属同士の擦れる音がやけに大きく響いた。
その刹那、正面の瓦礫が崩れ落ち、巨大な影が動いた。
リッパーの身体は、まだ炎に包まれていた。
黒煙と火の粉が舞い散る中、ゆっくりと一歩づつ前へ進んで行く。
ファントムペインが、正面からマシンガンを乱射している。閃光が白い覆面を照らしていた。
「やめろ! 逃げるんだ!」
俺は叫んだ。
「こ、この街の人間が全員、臆病者だと思わぬことだ!」
ファントムペインは震える声で言い返した。
リッパーがじりじりと近づく。
銃声がかき消えたかのような静寂。
鉤爪がファントムペインの胴を薙いだ。
手品のように下半身が消えて無くなった。
上半身だけとなったファントムペインは、銃を握ったまま地面に落ち、重い金属音が上がった。
リッパーはその身体を無造作につかむと、自分の顔の前に持ってきた。
ファントムペインが、気絶したのか即死したのか定かではなかった。
何のためらいもなくファントムペインの腕をもぎ取る。さらにもう片方をもぎ取った。
そこには抵抗も悲鳴も存在しない。
リッパーは、服についた埃を払うような仕草で腕を捨てた。
その動きには怒りも興奮もなかった。
人間を傷つけているという認識すらない。
食事の前に包装を剥がしている。
ただ、それだけだった。
リッパーの口が開く。黒く尖った歯が幾重にも並んでいた。
赤い二つの眼が妖しく光ると、リッパーはファントムペインの頭部にかぶりついた。
ゴリゴリというかじるような音がした後、チューチューという、何かを吸う音に変わる。
――見た瞬間、俺の意識は一秒だけ止まった。
視界に入ったものを、脳が「人間」として処理することを拒んだ。
これは何だ? 俺は何を見ているんだ? 現実か?
圧倒的な「死」の暴力性に思考が塗りつぶされていく。
警告音。
【アドレナリン大量分泌】
【心拍数上昇】
落ち着け。落ち着け。お前はAISの隊員だ。
俺は視線を逸らそうとしたが、その凄惨な光景に釘付けのまま動かない。
膝がガクガクと小刻みに震え出した。
「……賢木! ……賢木ッ!」
竹河が俺を殴った。
「俺を見ろ、賢木!」
俺は我に返った。
竹河の呼びかけに気づかなかった。
「呼吸をしろ!」
俺は深呼吸をした。
こんなところで立ち尽くしている場合ではなかった。
ライフルを構えると、リッパーの顔めがけて発砲した。
弾丸が口の中へ吸い込まれて行くと、奴は初めて嫌そうな様子を見せた。
それを見て、竹河もライフルを撃ち始めた。
リッパーは口を閉じ、我々に向き直る。
しかし、前歯にファントムペインの身体が刺さっており、口は半開きだった。
俺たちは、ひたすらに撃ちまくった。
リッパーが重心を落とし、轟音が響いた。
突進する気らしいが、足元から黒煙が上がるばかりで進む気配はない。
足のモーターは破壊されていた。
奴はローラーダッシュを諦め、駆け出した。
地面が激しく揺れる。
だが俺は、この機を逃してなるものかと、引き金を引き続けた。
【距離:12】
リッパーが接近する。
「賢木、俺を置いて行け」
「何故です?」
「この脚では逃げられん」
こんな気弱なことを言う竹河は初めてだった。
俺は竹河の横に立つと、肩を貸した。
【距離:9】
重心を落とす。
【脚部ローラー起動】
俺は竹河と共に、路地の奥へ後退した。
【距離:28】
「……お前」
「リロードしてください。奴を仕留めます」
弾丸の補充が終わると、俺の前で竹河が座り込んだ。そして、俺のライフルの銃身を自分の肩に乗せた。
「賢木、よく狙え! 外したら金はもらえねえからな!」
「はい!」
再び射撃が始まった。狙うはリッパーの口。
俺と竹河のフルオートで放った弾丸が、光の矢となって、次々と奴の口の中へ吸い込まれて行った。
【距離:13】
俺は竹河を立たせると、肩を貸して雑居ビル脇の路地へ逃げ込む。
【距離:25】
俺たちは、ライフルをリロードして奴を待ち構える。
胸の奥が締めつけられるような息苦しさはまだ残っていた。呼吸が浅い。
それでも、立ち止まっている暇はない。竹河の荒い息遣いが聞こえる。救ってくれた分、今度はこっちが動く番だ。
俺は震える手を握り直し、銃を構え直した。息苦しさごと飲み込むように、深く息を吸う。
――戦わなければ、竹河も、自分も、ここで終わる。
射撃。
突進が出来なくなったリッパーは、反撃も出来ず、ひたすら弾丸を浴び続けた。
ライフルの弾倉はまだ七つある。
【距離:12】
俺が竹河を起こした時だった。
奴がもと来た路地へ戻り始めた。
「!?」
竹河が発砲したが、背中から火花がむなしく散るだけで、奴は振り返らない。
「賢木、追うんだ」
俺は竹河を抱き、ローラーダッシュを展開した。
奴の背中が次第に大きくなった。
リッパーは迷いのない足取りで駆けていく。
まるで自分が追う側のように、落ち着いた速度を保っている。一度もこちらへ振り返らない。
「おかしい。逃げる奴の足じゃねえ」
竹河が呟いた。
奴の進路は、なぜか雑居ビルの真横だった。
リッパーは後ろも向かず、雑居ビルの壁を叩いた。鈍い音と共に壁に亀裂が入った。
さらにリッパーは鉤爪を振り回した。亀裂が崩壊して壁面全体に広がる。
俺が慌ててブレーキをかけた瞬間、雑居ビルの外壁が轟音とともに剥がれ落ちた。
コンクリートの塊が、まるでスローモーションのように宙を切り裂く。白い粉塵が煙幕のように広がる中、俺たちめがけて、数百キロはあろうかという壁面が降り注いだ。
ドーン、ガシャン――。
パーツが軋む音がした、ライフルの銃身は粉砕された。視界は一瞬途切れて、警告表示の文字が点滅した。路上には細かな破片が降り注ぎ、砂嵐のような白煙が路地全体を包んでいった。




