ゲームボーイ編 ②
「次、必ず次で仕留めること……」
女が声のトーンを落として言った。
俺は素知らぬ顔で部屋を通り過ぎた。
二人の素性と俺を狙う理由を知りたかったが、今は任務の遂行が最優先だ。
奥には通路があった。正確には食堂の壁に穴を開けただけのものだ。
穴の向こうは用水路につながっていた。
陽はすでに落ちていた。
須磨から通信が入った。
「賢木、状況はどうか?」
「問題なし。今、用水路を歩いている」
「その辺にはドリームの中毒者が沢山いる。錯乱しているから気をつけろ」
「もう会った。ドリームはどういう薬だ?」
「ドリームは全ての感覚を快楽に変える薬だ」
「全ての?」
「風の音も、金属の手触りも、痛みさえも快楽に変換される。現実の情報と快楽が混線するので、本人には輪郭のぼやけた『夢の中』のように感じられる」
「……なるほど」
「最終的に快楽の中で自分の身体の制御を完全に失う。気持ちよすぎて自分の意思で動けなくなるというわけだ。生体が使うと、肉体の限界まで。サイボーグが使うと、機械の限界まで壊れる」
話している間に、例の廃車の山が見えてきた。
用水路から階段を上がると、明々と燃えるドラム缶を背に、パーカー姿の男が立っていた。
俺は客の振りをして軽く手を上げる。
男は姿勢を正して頭を下げると道を開けた。
やはり、このパーツの主はこいつらの仲間だ。
廃工場の敷地内に入った俺は、二人に連絡を入れ、視覚映像を共有する。ゲームボーイの顔認証の準備も整える。
「これより潜入する。ゲームボーイの鮮明な顔写真はないのか?」
データの一枚目が、アニメTシャツに野球帽を深く被った写真。二枚目は、企業のロゴ入りパーカーのフードをすっぽり被った写真。
顔の輪郭はわかるが、目、鼻、口は不明であった。年齢も国籍も不明。
「顔貌データはない。識別は身体的特徴に依存する。身長は140センチ前後。外見は子供に近い。声は高い。現時点で利用可能な識別情報は以上だ」
工場内に潜入した。
朽ちたフォークリフト、放置された大型コンテナが暗闇に浮かび上がる。地面には散乱したゴミと大量の鳩の糞。
非常灯が一つ、静かに青白い光を放ち、赤色の扉を照らしていた。
敵反応はなし。
扉の先には地下へ続く階段。
階段を降りると、空気が変わった。
薬品の臭いと、機械音。
階段の先の扉を、ゆっくりと開ける。
広い室内には光があふれ、機械が稼働していた。
見回すが、誰もいない。
中央には何かをビニール詰めにする機械があり、そこから伸びたベルトコンベアーが製品を運び、次々と箱の中へ落としていく。
壁際には通路が一直線に伸びている。
俺は足音を殺し、静かに進んだ。
途中、ギャングの一人を見つけた。
部屋の奥で端末を操作しており、こちらには気づいていない。
通路の先に、複数の部屋があるのを確認した。
手前の部屋からは、複数人の話し声が漏れ聞こえる。
奥の部屋は一部がガラス張りになっており、中の様子が見えた。
座って作業をする者が二人。そのうちの一人は、緑色の服を着た小柄な男だった。
ギャングらしからぬ、緑の帽子にテーマパークのスタッフのような格好――その姿に違和感を覚える。
距離があるせいか、顔認証は作動しない。
「賢木、そこに何人いる?」
明石の声だ。俺は四、五人と答えた。
「了解、撤退してくれ。隊長に報告する」
俺はゆっくりと戻った。
用水路から工場の地下へ入る直前、黒ポンチョと白フードの女に出くわすかもしれないと考えた。何か情報を得たかった。
部屋に二人はいなかった。
男がロボット犬に襲われて悲鳴を上げていた。
中央の部屋では、まだ歌っていた。夫婦が血を吐きながら歌い、子供は床で血塗れになってけいれんしていた。
次の部屋でも男が血塗れで倒れていた。
俺は立ち止まると、奥の部屋まで戻った。
ベレッタを引き抜くとロボット犬の頭部を撃ち抜く。
犬は動かなくなったが、男はまだ悲鳴を上げていた。
服は汚い。しかし、良い靴を履いていた。
……こいつを尋問する必要がある。
その時、明石から通信が来た。
「隊長が来るのを待ってる暇はねぇ。逃げられる前に、俺たちだけで突っ込むぞ。構わねぇな」
「あの小柄な奴がターゲットか?」
俺は疑問を口にした。対象の顔を確認したわけではない。ただ、あの違和感から、そうではないかという直感だけはあった。
「俺の勘だ。奴がゲームボーイで間違いねぇ。四の五の言ってねぇで、突っ込んじまえばはっきりする」
明石は即答した。
「確証には至っていない。現時点で断定するのは危険だ」
須磨は一度そう言ってから続けた。
「だが、身長140センチ前後、外見は子供に近い――先ほどの映像の男は、その条件に一致している。私も同じ結論に到達している」
「そういうことだ。グズグズしてる暇はねぇ、さっさと戻ってこい。作戦会議だ!武器屋まで来い!」
俺は尋問を諦めて通路を走った。
武器屋に入ると二人が身構えた。
俺は苦笑してヘルメットを抜ぎ捨てる。
三人共に弾薬を補充し、明石がバズーカを買うと言い出した。
須磨が蜂の形をしたメカを出して、カウンター前の明石に投げつける。
飛び出した蜂は明石の背中に止まり、尻尾から黄色のインクを噴きつけた。
「視覚でロックした相手を追跡する。そして特殊なマーカーを相手の身体に噴射。すると相手の位置がMAPに表示される仕組みだ。インストールしておいてくれ」
そう言って、戻って来た蜂を俺の肩につけた。
小型バズーカを手にした明石が説明を始めた。
「今なら手下の数も少ねぇ。絶好のチャンスだ。一気に突っ込んで手下共を叩き潰す、そのままゲームボーイを仕留める。片が付いたら間を置かず離脱するぞ。いいな」
「了解」
「賢木。そう言えば隊長がお前のことを心配していたぞ。賢木は無事かってな」
「そうですか……」
俺は、にこやかな隊長の顔を思い出した。
「すまなかったな、一人で偵察に行かせてしまって」
須磨もそう言い出して、画像を送ってきた。
ソファーの上で丸くなっている茶色の猫の写真である。
「な、何ですか? これ?」
「私の猫だ。アインシュタインという」
須磨は自慢げに語った。
「緊張は認知能力と判断速度を低下させる。その対策として見せている。君は猫派だったな?」
「……ええ、まあ」
――信頼していない、と言った口が、こんな写真を見せてくる。
俺は思わず口元が緩みそうになるのを堪えて、予備弾倉のチェックをした。
これが彼なりの、出撃前の儀式なのかもしれない。
「かわいいですね」
「……行くぞ」
短いやり取りを最後に、須磨は踵を返す。
俺はマガジンを装填し、チェックを終えた。
緊張はまだ胸の奥に居座っているが、さっきよりわずかに軽い。
武器屋を後にして工場へと向かった。
明石、須磨、俺、という縦隊で進む。
工場地下は、静まり返っていた。
我々が駆け抜けようとすると、半狂乱の男が叫びながら飛び出してきた。
「ど、ど、ど、ドリーム!」
明石はそれを跳ね飛ばし、男は床に倒れ込んだ。床には女と子供が血塗れになって倒れていた。
俺が尋問しようと思った男の姿は消えていた。
用水路から工場へ向かう。
廃車の前から、怒声が聞こえてきた。
「ドリームをくれ!」
「金を持って来い!」
見張りとホームレスの女が言い争っていた。
我々が突進して来るのを見た見張りは、慌てて逃げようとしたが、女がしがみついて離さない。
先頭の明石がショットガンで殴り倒し、我々は工場へ走った。
一階には誰もいない。
すぐさま階段を降りた。
明石がドアを蹴り飛ばす。
正面のベルトコンベアに二人の男を発見。明石がショットガンを発砲した。
吹き飛んだ敵の身体に、須磨がベレッタの弾丸を撃ち込んで止めを刺す。
そして通路を走り抜けた。
「行け! 行け!」
発砲音を聞かれたに違いない。
ゲームボーイを逃がすわけにはいかない。
通路の先で敵と鉢合わせになった。
明石のショットガンが炸裂し、敵がひっくり返る。散弾が壁を裂き、土埃が起きる。
突撃した明石は、手前の部屋へと銃を向ける。続いて須磨が前進して、奥の部屋へと銃を向ける。
「賢木!」
明石が叫び、俺はショットガンを抱えて前進した。
敵の身体を踏み越え、奥の部屋へと突入する。
緑の服装の男が、別のドアから逃げようとしていた。足元にはスケートボードがあった。
「待て――!」
俺は銃を構え、叫んだ。男は、こちらを一瞥する。ギラギラ光る瞳孔がスッと細まった。
「キャハハハ!」
耳障りな哄笑が響き渡る。正気とは思えない、甲高く歪んだ笑い声。その声を合図にするように、スケボー板の下部の排気口から勢いよく火が噴いた。
次の瞬間、スケボーはロケットのように発進した。
俺の声を嘲笑うかのように、一瞬だけ振り返った視線は、まるで「追いつけるものなら追いついてみろ」とでも言いたげだった。




