11 虫の蜜②
太陽が真上に位置している。種族柄、太陽の位置には敏感だ。王都からは離れてしまっているため聞こえないが、きっと正午の鐘が鳴っている頃だろう。
見通しの良かった雑木林は様相を変え、やや薄暗い森となっている。あまり人の手が入っていないエリアだ。見慣れないだろう環境にやや緊張が増したのか、子供たちの口数は少なくなっていた。代わりに、木々のざわめきと鳥の声がよく響く。小さい甲虫が耳元に羽音を残して飛んでいく。
そんな最中、先頭を行くミエルが立ち止まる。見ろ、と短く言う彼の視線の先には、倒木があった。三本ほどの木が折り重なって倒れている。その辺りだけ、太陽を遮るものがなくなって眩しく照らされている。フードを深く被り直した。
「これ……」
メルが驚きをたたえた小さな声で呟く。
「これだよ。食事の跡だ」
倒木は、朽ちてはいなかった。まだ繊維に瑞々しさが残る。たぶん真新しい。食い散らかすだけ食い散らかし、ついには木を切り倒して、何処かへ行ってしまったのだろう。食害痕を観察する。人の切り倒した切り株のように、滑らかな断面ではない。短くも強い顎の力でばりばりに噛み砕かれた。そんな感じだ。木の繊維が毛羽立ち、ささくれ立っている。
「ここまで来たら大丈夫かな。ちょっと魔術を使うから離れて」
私は魔力を使って影で蝙蝠を模り、何匹か飛ばす。太陽の下では長持ちしないが、使い捨てにする気概でやれば、少しの間なら大丈夫だ。子供たちが息を呑んだ気配を感じる。間近で魔術の行使を見たことがなかったのかもしれない。目のない蝙蝠と視界を共有し、空から森を見下ろすと、不自然に拓けた場所がいくつか確認できる。蝙蝠を分散させて一つ一つ確認すれば、やがて目標物が見つかった。蝙蝠が光に溶けると、私の視界も元に戻る。
「見つけた。ついてきて」
私は告げて歩を進める。進めようとした。しかし、子供たちはついてこない。平気そうな子もいるが、幼い子たちは腰が引けているようだ。とくに、メルが怖がっている。逸る気持ちが、自然と落ち着く。私も冷静さを欠いていたようだ。
メルの前で膝を屈め、目線を合わせる。
「怖かったかな。ごめんね。でも、私これでも悪い魔術師じゃないから安心して?」
「……」
「まあ、遠くから見てるだけでもいいから。行こう? ね?」
なるべく、優しい声色で説得する。事の成り行きを見守っていたミエルがメルの手を握り、彼女に尋ねる。
「メル。それでいいか?」
「……うん」
メルが頷いたので、私も頷きを返す。配慮が足りなかったかな。
私が立ち上がって、集団はゆっくり進みだす。今度は私が先導するのでミエルと入れ替わりとなり、彼が殿を勤める運びとなった。ただまあ、さして距離はない。一分ほど進めばすぐだった。
森の中にあって、大木が切り倒されて拓けたその場所は陽当たりが良好で、その姿も鮮明に確認できた。
「あれだよ。タイリンノハナムグリだ」
目を引くのは、その大きさ。体高は、私の視線の高さくらいまであった。でかいリクガメのようにずんぐりむっくりとしている。目の前にしてみれば、愛嬌があるかもしれない。丸い背中は、赤と黄色のビビッドカラーで、空から見れば大きな一輪の花のように見える。この体格と、鞘翅の特徴的な模様が本種の名前の由来である。
彼は自らが倒したのであろう倒木を、その大きな顎で囓りついている。ごりっ、ごりっと、咀嚼音が一定のリズムで、幾らか距離を取っている私たちの所まで届く。
「おっきいね……」
メルが思わずといった様子で溢す。私たちに目もくれずただただ食事を続ける彼を前にして、子供たちの緊張も多少和らいだようだった。ミエルは眉を顰めて私に問いかける。
「あれは、花の蜜を食べるんじゃないのか?」
おっ。いいところに気がついたね。彼らに蜜を溜め込む性質があることは既に述べたが、彼らはなんと木の繊維から糖を合成できるのだ。セルロースからグルコースに分解ってことになるのかな。調べたわけではないが。ちょっと早口でそう説明すると、よく分からないって顔をしていた。私もよく分からない。
「そ、それで、どうやって蜜を取るんだ?」
少年の一人が浮き足立っている。私は苦笑しつつ、やってみせるからと告げて、ゆっくりと接近する。ごく大人しい種だが、刺激しないに越したことはない。
近くに寄ってみれば、その姿はより大きく鮮明に見える。これはもう、偉容とさえ言える。でかい虫は浪漫がある。元男心の琴線に触れるものがある。ちょっとした生理的嫌悪はあるけど……でも格好いいよな。
ハナムグリの背後から接近する。相も変わらず食べ続けている。人間など脅威たり得ないと認識しているのだろう。実際、この虫の装甲は生半な刃物では傷もつかないし、衝撃にも強い。でも、それは採蜜するのとは何ら関係がない。キチン質のそれは軽くて頑丈な代物だが、ぴったりと閉じられているわけではない。というより、意図的に隙間が空いている。ふすまが閉まりきっていない感じ。その幅は、指の太さほどだろうか。
隙間からは、鞘羽の下のざらっとした茶色の内皮が露出している。さすがに内側までは派手な色をしていない。その内皮を、指でとんとんとつつく。手の届く限り上から下までを、満遍なくつつく。すると、すぐに変化が現れる。表面が衒ってきて、指にぺとっとした感触が残るようになる。蜜が染み出しているのだ。彼らは鞘羽の下に蜜を貯蔵し、刺激を受けるとそれが染み出してしまうのである。
影から瓶と木匙を取り出し、表面を撫でるように掬っていく。どんどん染み出てくる。よっぽど溜め込んでいたようだ。ハナムグリの尻の辺りに瓶の口を据えて、匙で上から下へ漉し取るように動かしてやると、1リットルくらいの空き瓶に、着実に透明な蜜が貯まっていく。自然、笑みがこぼれる。
思ったより蜜が染み出るペースが速かった。透明の蜜で一杯になった瓶の重さが喜ばしい。タイリンノハナムグリの蜜は、蜂蜜よりも糖分が高く強烈な甘みが特徴だ。蜂蜜より採集しにくい希少価値も相まって、取引単価にも結構な差がある。
私は影に蜜瓶をしまうと、別の空き瓶を取り出し、ミエルに聞いた。
「やってみる?」
一も二もなく彼は首肯した。はじめて年相応の表情を見せてくれたお礼に、瓶はサービスで贈呈してあげよう。
大人しいとはいえ魔獣だ。子供たちに採蜜を促しながら、私は万が一がないか監督することにしていた。だが、大きな彼は想像以上に大人しい。暇を持て余した私は、ローブで手を拭ってから、指で彼の背から蜜を掬って口に運ぶ。……甘い。とても甘い。蜂蜜のような独特の癖はない。甘い以外に形容しようがない。粘っこい砂糖水を食っているような、そんな味。
蜜を舐めるのは、蜜菓子を食べるのとはまた違った趣がある。在りし日の遠い記憶が呼び起こされる。子供の頃、母に怒られた記憶だ。台所にしまってある砂糖とか、練乳とか、桜田麩とか、コーヒーに入れる粉ミルクとか、そして蜂蜜とか。ちょっとだけ、指先一掬い分だけと思いつつ、どんどん口に運んでしまう魔力のようなものがある。ああ、ちょっと懐かしいな、こういうの。
ミエルは採蜜をそつなくこなした。一口舐めてもらえば、反応は抑えていたけど鼻の穴が大きくなった。こういう所は年相応なんだな。メルは兄の手を借りて手をべとつかせながらも採蜜を終えた。べとべとになった指を舐めれば、彼女は素直に感情を表に出し、飛び跳ねて喜びを全身で表現していた。可愛らしいものだ。
「それにしても、こいつ本当にすっとろいな」
蜜を集めて得意顔の少年が言った。私は苦笑する。
今なおハナムグリはお食事中である。まあ、確かに鈍い。この鈍さは、木を糖に変える消化過程で相当量の負担が内臓にかかっているためだと言われている。何故そんなことを知っているのかというと、本種は人間に益のある魔獣であるために、魔獣の中でも比較的研究が進められている種の一つであるのだ。
やがて、私含めた七人全員に蜜の詰まった瓶が行き渡ると、その頃にはいくらか蜜の出が悪くなってきた。そろそろかな。
「じゃあ、このあたりでやめにしとこうか」
総宣言すると、少年たちは目を剥いて信じられないといった表情を露わにした。
「ええー!」
「まだ出てるじゃん!」
「なんでだよー」
不平不満を口々に言う。んん。邂逅したばかりと比べると、随分打ち解けたものだ。でも、ここは譲れない。
「さっきはよかったけど、今回はダメ」
私は諭すように、声を落ち着けて言えば、彼らにも落ち着きが伝播する。真剣な物言いであればちゃんと聞いて貰えるくらいの信頼関係は築けていたようだった。
「ええっと。分かりやすく言えば……お腹空いたらイライラするでしょ。今は大人しいけど、これでも一応魔獣だし、怒らせるべきじゃないんだよ。少なくとも、人の住んでいるところの近くでは」
「でも……」
メルが両手に抱え込んだ蜜の瓶を見下ろし、ぽつりと言葉を漏らす。たしかに、これだけの蜜があれば、ちょっとした財産だ。生活の苦しい彼らにとって、見逃しがたいチャンスだろう。私とて、一瓶売ればしばらく贅沢に困らない。それだけ甘味が貴重な世の中なのだ。
「タイリンノハナムグリが蜜を集めるのは何でだと思う?」
「……? 食いもんを蓄えてるんだろう?」
ミエルが疑問符を浮かべて言った。私は答えつつ、足元に咲く花の上でもぞもぞしていた小さな虫を捕まえる。
「それもあるけど、それだけじゃないよ。初夏は彼らの繁殖の季節でね。このちっちゃいのが雌」
「は? こんな小さいのが……?」
掌の上に乗せた雌のタイリンノハナムグリは、うろうろと旋回したのち、羽を広げて何処へか飛び立った。
「雄は蜜を集めて雌にアピールして、雌は雄からせい……えっと、卵を産むために栄養の蜜とかを貰うんだ」
飛んでいった雌を目で追い、空を見上げる子供たちに、私は続ける。
「別に、子供を残せないから可哀想とか言ってるんじゃないよ。でも、残しておいた方が後々のためになる。プクサとは比べものにならないくらいに。王都の周囲で繁殖が上手くいってくれたら、来年以降も持続的に採蜜出来るよ」
子供たちは俯き、何かを考えているようだった。言っていることは分かるが、納得はし難い。そんな空気を感じた。
……それもそうか。これはただ単に、私のエゴだ。別にタイリンノハナムグリに特別な情が湧いているわけではない。ただ、ふつうに、ちょっと私の都合で彼を振り回すのもよくないかなと頭を過ぎっただけだ。私はただ、自分の価値観を曲げたくないというだけなのだ。向こうの世界の常識、倫理観。この場合で言えば、持続可能な開発を大事にするという日本風の考え方。それらがまるで通用しないというのが、思ったよりも寂しかったから。
こっちの世界にはもう随分慣れたと思っていたが……ひょっとしたら、今日のことで郷愁が刺激されてしまい、昔の私が強く出てしまったのかもしれない。
プクサの採取は元々彼らの領分だったけど、蜜の採取はこの場合私の領分だ。ここでくらい、私の我を通したっていいじゃないか。
「……わかった。言うとおりにしよう。みんな、それでいいな」
リーダーであるミエルが見渡せば、下の子たちもぽつぽつと頷いた。
「ありがとうね、ミエル。みんなを説得してくれて」
「いや……」
採集を終えた私たちは、森を後にしようとしていた。きちんと手入れが入った周囲の木々を見るに、既に森の浅いところまで来ている。じきに王都の防護壁が見えてくることだろう。名前の知らない少年たちは、背負った籠と、腕の中にある蜜瓶の重さにはしゃぎつつ帰路についている。転ぶなよ。そのやや後ろを、私とミエル、そしてメルが三人で固まって歩いていた。
「それより、よかったのか。瓶まで貰って、蜜も山分けなんて」
今回採集できた蜜は七瓶。切りがいいので等分した。端数が出れば頂くつもりだったけど、私としては一瓶あればしばらく困らないし。それに。
「まあ、それはちょっとした気分で」
「……なんだ、それ」
不可解そうに眉を顰めるミエル。この際なので、私は気になっていたことを尋ねることにした。前にいる少年たちの耳に届かないよう、声を潜めつつ。
「……ミエルたちって本当はさ。農村の子じゃなくて、スラムの子じゃない? それも、孤児」
「っ、……なんで?」
目を見開いて驚きを露わにするミエル。メルが不安げに視線を揺らすのが、私の目端に映った。「なんで」というのは、なんでわかったのかと問いかける意図であることが、彼らの様子から読み取れた。
「採取のマナーを知らなかったり、養蜂を知らなかったり、色々かな」
採集の折に山菜や野草を一株残すのは、農民の間ではそれなりに知られているマナーだ。掟と言ってもいいかもしれない。それを守らないだけならともかく、彼らは知っている様子もなかった。養蜂だって、それに橙色の果実の名前だって知らなかった。確証はなかったが……真偽のほどは彼らの反応が如実に物語っている。先程まで仲良くやっていたはずのミエルに、僅かばかり敵意が篭もった瞳を向けられる。ちょっと悲しい。
「……それで、どうするつもりだよ。門番にでも突き出すのか」
「いや、別に……。私は憲兵でもなんでもないし」
スラムの住人が王都の外に出入りすることは、別に罪ではない。ただ、税を納めていないだろう彼らが森を利用することは許されない。門番に見咎められた場合、裁量次第では、採集成果を取り上げられるのはもちろん、怪しいやつとみられて尋問されたり理不尽な目に遭わされたりするだろう。スラムの住人とはそういう立場だ。
「たぶん、門以外からこっそり出入りしてたんだろうけど。今日は普通に門をくぐってくれていいと思うよ」
まあ、今日のところは私の後ろを堂々とついて歩けば、魔術師とその従者というふうに見て貰えることだろう。たぶん。私がそう述べると、警戒と困惑に彩られた表情をミエルは隠さなかった。
「……どうしてそんなことをするんだ。お前に何の得があって」
「だから、気分だよ。自分に余裕があるうちは、大変そうにしている人、それも子供がいたら手を差し伸べるのが、昔私の住んでいた場所だと道徳とされていたんだよ」
私の我が儘で彼らに負担をかけたならば、私の我が儘で彼らにその埋め合わせをするべきだ。
「でも、そんな……俺みたいなやつらには、手放しで信じられねえよ、そんな道徳」
苦々しい表情で、私の視線から逃れるように顔を逸らす。彼の半生については何も知らないが、スラム暮らしを想像してみれば納得できる部分もある。わかって貰えなくても構わない。これは単純な、私のエゴだから。違う世界にやってきても変わりたくない部分だ。
「……ありがと、お姉ちゃん」
ミエルの手を握っていたメルが、私を見上げてそう言った。お……お姉ちゃんって。そんな呼ばれ方は初めてだった。背中がむずむずする。ただ、不思議と嫌な感じがしないのが、ちょっと複雑。私は今、引き攣らないで微笑んでられているだろうか。
「どういたしまして、メルちゃん」




