10 虫の蜜①
なってみれば、吸血鬼だって生き物だった。飯を食えば屁だってひる。毎日ちゃんと寝て起きる。三大欲求は、幸いにしてと言っていいものか分からないが、きちんと残っているらしかった。血は昔ちょこっとだけ舐めたけど、やめた。生臭いのは苦手だ。そういえば昔っからレバーは苦手だった。生ニンニクも駄目だ。吸血鬼の身体のせいとは思うが、お腹を壊したのでこれもやめた。加熱したのはだいぶマシだが、別に男の時から取り分け好きだったわけでもない。酒は嗜む程度で煙草は吸わない。
少女といって差し支えない身体になって、変わらないこともあれば変わったこともある。視点が下がって不便が増えた。前はそこそこタッパがあったから余計に。威圧感がなくなったせいか、人に話しかけられることは増えた。顔出しして商店で愛想を撒くとサービスして貰えたりする。体力は衰えた。酒屋に入りづらくなった。それから、甘いものが好きになった気がする。これはただ単に、向こうではぱくぱく摂取していた糖分が気軽に口に出来なくなったせいもあるのかもしれない。
全てが変わらないままではいられない。でも、ヒトは順応する生き物だ。大事なところが変わらなければそれでもいいと思う。
なだらかな平地に、緑の麦穂が敷き詰められている。麦畑と言えば黄金色のイメージだが、今はまだ収穫時期ではない。しかし、私的には黄金色よりこの緑色が好きだった。四角い区画に並べられた緑の絨毯は、私に水田を思い起こさせて懐かしい気分になれるのだ。日本人の原風景のひとつといえば水田だろう。いい眺めだ。見渡す限りの小麦畑しかないわけでなく、普通の野菜畑も並列してはいるが、それはそれで。
王都の外には、農地や森が広がっている。防護壁の外側にあるので魔獣の食害にも遭ったりするが、広大な農地や森を壁で囲うのは現実的ではないのだろう。農民のほとんどは外壁の外で暮らしていて、有事の際は壁の内側に逃げ込み保護を求めるのだ。
麦は基本的に播種と収穫以外に大きな手間はないが、その二つが耕地面積の広さも相まって一大事だ。時期になれば冒険者の手も借りる。畑は、単純に日々の世話が大変。森では薪を中心に採集を行うほか、豚を筆頭に家畜が放し飼いされていたりする。
さて、本日私が用があるのは、森だ。適度に伐採されており、森というよりは雑木林が適当だろうか。人の手が入っているのか、或いは家畜が食んでいるのか、下草の背丈は低く歩きやすい。木漏れ日の中、快適に歩を進めていく。しかし……あんまり残っていないなあ、野草。木苺なんかは森歩きのちょっとしたおやつだ。食べられるものだけでなく、薬になる草なんかも見当たらない。意識してみれば、薪に使える枯れ枝もほぼ見当たらないのに気付く。んん。拾われているとみて間違いないだろう。場所がよくないかな。もう少し奥へ行こう。
「……おおう」
「ん……だ、誰だ? 王都のやつか?」
少し進めば、思いがけない集団に遭遇した。子供たちだ。ええと……六人いる。木籠を背負って襤褸を纏う身なりからして、採集に来た農民の子たちだと思う。一際背の高い少年が前に出て、警戒する様子を見せている。この場における闖入者は私の方だろう。先駆けて名乗る。営業スマイルも添えておこう。
「どうもこんにちは。カンロと申します」
「あ、ああ。えと……ミエル、です」
私に合わせて敬語で返してくれる彼だが、どうにも慣れていない感じだった。初々しい。たぶん敬語の要らない生活環境なのだろう。悪いことではない。可能なら、このままペースを握ってしまおう。
「私は本日採集のためにこちらに参った次第なのですが……。皆さんも採集の途中とお見受けします。この辺りの子供たちでしょうか?」
一人一人、彼らと目線を合わせつつ聞いてみると、ばらばらにだが頷きを返してくれる。声を出そうとしない辺り、警戒は解けていないみたいだ。敬語じゃない方がよかったか。
「ねえ。君たちはこの辺りの森、詳しい? ちょっと迷っちゃって」
それから。森を流れる小さな沢の傍らで、私たちは休息を取っていた。水が綺麗だ。冷たくて美味しい。
ミエルと名乗った少年は、見た目通り子供たちのリーダー的存在だった。彼の言に拠れば、子供たちは農村の子で、本日は採集の途中だったとのこと。見たまんまだった。ミエルは私と同じくらいの背丈がある。見た目は小学校高学年か中学生くらいかな。
「その籠の中身は、もしかして全部採ったやつ?」
「そうだよ」
大きな編み籠を背負った少年に尋ねてみれば、少年は自慢げに向こうへ体を向けてその中身を披露してくれた。薪に、食べられる野草、薬草、木の実や茸類までたくさんだ。大したものだと思う。素直に感嘆して、すごいねと呟いてみせれば、照れ隠しのようにぶっきらぼうに少年が言った。
「とるなよ」
「とらないよ」
随分な軽口を叩いてきた少年だが、先程とは違って警戒が薄れているのが分かる。たぶん、私が一度フードを取ってみせたのが効いたのだろうと思う。大人に見えない容貌というのは、子供の警戒心を薄めるのには役に立つのだ。さすがにこんな、年齢二桁いってなさそうな子供には身長負けないけどな。
ミエルのすぐ横には、子供たちの中でも最も小さな少女が佇んでいる。いや、ひっついている。彼女の名はメル。ミエルの妹だそうだ。本人が黙りこくっているので、ミエルが紹介してくれた。ミエルとは普通に会話しているので、口がきけないわけではないが、人見知りが激しい子のようだ。
「カンロは、どうしてこんな森の中に?」
ミエルがメルの頭を撫でつつ聞いてきた。まあ、その疑問はもっともだろう。動きにくそうなローブ姿で袋も籠も持たずの私は、採集にやってきたふうには見えない。
「私も採集だよ。目標は違うけど」
「え? 何を探してるんだ?」
「魔獣だよ」
「っ魔獣!?」
私の言葉に、子供たちの間に緊張が走る。別に怖がらせるつもりはなかったので、努めて軽い口調で続けた。
「怖い魔獣じゃないよ。攻撃しなければ大人しいし」
「で、でも……」
「魔獣って人間を襲うんだろ?」
「そういう種も多いから、魔獣を怖がる気持ちは大事だけど、魔獣についてよく知っておく方がもっと大事だと思う。怖い魔獣が出ても、習性を知っていれば上手く逃げられることもあるかもしれないよ」
私がそう言うと、彼らは幾らか落ち着いてくれたようだった。大人が落ち着きを見せてやれば、子供は分かってくれるものだ。私に大人が務まるかは別として……。
「私が探しているのはね。魔獣虫だよ」
「まじゅうちゅう? 虫か?」
「蜜が採れるんだよ」
「蜜!?」
私の言葉は驚きを以て迎えられた。彼らが私のように採蜜に来た同業者ないしはライバルでないのは確認済みだ。蜜を集めるには瓶が必要だが、彼らの手にはその空き瓶もなかった。
なので、私の言葉が彼らにとって意外性ある言葉だったことは察せるのだが……。しかし、これだけの衝撃を与えることになるとは予想していなかった。彼らの双眸がぎらんと輝いた気がした。飢えた狼のようだ。甘いものはうまいからな……。
私はそこらに転がる適当な石を握り、地面に線を引き始める。絵図を描いて説明しようというのである。丸い円に、手足を六本引っ付けて、最後にちょこんと丸っこい顔を。
「こんなやつなんだけど」
「わからねえよ」
「わからないな」
「こんなんどこにでもいるだろ」
むう……。まあ、この絵を見ただけじゃあ、種の同定はし辛いよね。素人目だと虫って似たような形してるし。外見上特徴的な器官もないし。決して私の絵心がないわけではない。
「でも、一目見てみればわかると思うよ。これ、私より大きいから。蜜もその分蓄えてる」
ファンタジーな世界の面目躍如といったところか、この世界には人間よりでかい虫もたくさんいる。王都近辺でその姿が見られるのはほんの一握りだが……。懐疑的な彼らの反応を見る限り、そういう生き物を見かけたことはないのだろう。
メルが強張った表情で、おずおずと私に聞いてきた。
「……それって、こわくないの」
「木を食べるからね。そのぶん顎の力は凄いけれど、大人しいから動物は襲わないよ」
子供たちは揺れているようであった。魔獣は恐ろしいけれど、蜜が得られるようなら手に入れたい。自分で食べてもいいし、売る伝手があればちょっとしたお小遣いになる。天秤にかけて勘定をしている様子。
私としては、本当なら、ちょっとした目撃情報があればそれを聞きたかっただけなんだけど。手伝って貰えるようなら、それに越したことはない。
「私、この辺りは普段来ないから、勝手が分からなくて……よかったら、一緒に探さない?」
子供たちの顔を見渡したミエルは、最後にメルがゆっくり頷くのを確認したあと、了承を示してくれた。
採集は、私が彼らの後ろをついていくという形で続けられた。木漏れ日の中、子供に混じって歩くと、童心に帰った気分になれてちょっと楽しい。虫取り少年だったあの頃が自然と思い起こされる。
通りがかり見つけた低木には、小さい果実がついていた。赤い粒々の実は、木苺だ。この前ピリヨと一緒に行った店で食べた木苺と同じやつだろうか。子供たちは我先にと殺到し、あっという間に熟した実が見当たらなくなる。嵐のようだ。……食べ損ねた。
密かに気落ちしつつも、次に一行が発見したのは、細めの木に生る橙色の実。卵のような形のそれは、かつて向こうで見たビワのような形をしていた。あれ食べられるのかなと思いを巡らせつつ見上げていると、視界の端からさっさっとミエルが昇っていくのが目に入る。木登り上手いなあ。手慣れた様子で果実を千切り、木の下で待機している他の子供たちへ投げ落とす。彼の目線がちょっと離れた所にいた私を捉えると、手招きしてみせるので近寄ってみる。すると、私の胸元に下手で投げて寄越してくれた。ありがたい。面倒見のいい子だ。伊達にリーダーやってないな。
皮の剥き方がいまいち分からなかったので、近くにいたメルの手先を横目でちらちら見ていると、目が合った。見かねた彼女は「えっとね……ここから、爪を立てて、こうやるの」と、言葉を途切れさせつつも、私に薄皮の剥き方を伝授してくれる。感謝だ。なるほど、尻のとこから剥くんだな。
大きさは、頑張れば一口で頬張れそうなくらい。齧り付いてみると果肉は柔らかく、歯応えはあまり強くない。落ち着いた甘みと、鼻に残る感じのねっとりした風味。吟味しつつ飲み込んでみると、渋みが口の中に残る。渋さを解消するために、もう一口囓りたくなる。一つ食べ終わると、また次を食べたくなる。癖はあるが……中々美味しいと思う。
木から下りたミエルが、メルが剥いてくれていた果実を食べている。私はふとこの木の名前を尋ねてみると、ミエルたちは知らないと答えてくれた。残念。まあそういうこともあるか。
熟していそうな果実は全て回収し、今食べない分は籠に入れた。子供たちはほくほく顔だった。
豊かな森だ。あちこち切り株なんかも見かけるし、若々しい木が多い。切り株から新芽が伸びて、再び太陽へと枝を伸ばしている。人の手によって管理されているのは間違いない。王都の民が自主的にやっているのだろう。この森は、王都の共有財産だ。当地では、個々人が森の土地を所有するという意識はなく、共同体で所有するものという考え方が一般的だ。一応は税を納めている王都民の私がこうして利用しても咎められることはない。
一方、よその共同体に森を荒らされた場合なんかには、簡単に争い事に発展したりもする。普通に人死にが出たりするので恐ろしい。人の命は、けっして軽いわけでもないけれど、私のうちの倫理観よりは確実に重たくないのである。
ちなみに、平民が入れる森と貴族が所有する森は分けられていて、貴族の森に勝手に入ったら懲罰。そこでは争いすら起こらない。一方的な罰があるだけだ。
果物で腹を満たした私たちは、探索を続ける。森の深いところへ。目印なんかない森の中だが、農村出身の彼らに任せておけば大丈夫だろう。移動の途中、メルがミエルに尋ねた。
「お兄ちゃん。蜜って、どうやってとるの?」
「……さあ。兄ちゃんには分からん」
兄妹仲がいいんだなと思う。ミエルがちらりとこちらを見遣ったのを受けて、私は言葉を引き継ぐ。
「別に蜂蜜みたいに特別な装備が必要なことはないよ。瓶と匙があればいいかな」
「はちみつ?」
メルが首をかしげる。私も訝しく思った。蜂蜜自体知らない様子だ。あれ? 彼らの村では養蜂とかやってないのかな。いや、メルは幼いし近寄らせて貰う機会がなかっただけかもしれない。
「それよりさあ。本当にいるのか?」
少年の一人がつまらなそうな様子を隠そうともせず言った。虫のことを言っているのだろう。まだ私が行動を共にしてから半刻も経っていない。子供は飽きが早い。
「若木よりも、大きく育った古い木の方が彼らの好みだから……いるとしたらもうちょっと奥かな」
「ふうん」
「お前ら、虫探しもいいけど、ちゃんと食えそうな物も探せよ」
ミエルが少年らに注意を促す。ミエルは屈み込んで、プクサ(食用。ニンニクっぽい)の茎を握りしめ引っこ抜いている。その様子を眺めていた私だったが、気付いてつい声をかけた。
「あっ、だめだよ全部採っちゃ」
「は? なんで?」
「根こそぎ取ったら、次から生えてこなくなるかもしれないでしょ」
手を止めて訝るミエルに、私は簡単な説明を述べた。でも、少年たちは不満げな様子を隠そうともしなかった。
「えー?」
「俺らが取らなくても他の誰かが取るだけだろ」
「来年の事なんて考えてたら、明日が生きられないぞ」
口々に言う彼ら。数に圧された私は思わず言葉が弱くなる。
「んー……そこまで言うなら」
資源保全もいいけど、まあ、当人が生きることの方が大事と言うのならそれもそうだ。言動から察するに、毎日をギリギリで生きているらしい彼らに強いることではなかった。こういう発想が即座に出てこないのは、私が豊かな日本で培ってきた価値観が尾を引いているのだろう。その価値観が通用しないというのが、ちょっとばかり寂しい。引っこ抜かれて穴ぼこになった土を、私は何となく足で簡単に均した。




