16 浦島太郎と乙姫
寂しかった。
ずっと城に閉じこもって、誰かの世話を借りて、本当の友達も、恋人も居ない、そんな生活が。
まるで人間のような見た目をしているのに、人間とはかけ離れた場所に住んで、人間ではいないものが仲間に居る。
不満があるわけじゃない。
でも、毎日宴をするほど楽しくたって、姫という立場が何かを隔てて、仲間と一定の距離を保ち、寂しさを与えるのは当然だった。
しかも自分は世間知らずだ。
海の外の事なんて何も知らない。
もしかしたら自分の事さえ知らないかもしれない。
何かを知りたくて、そして寂しさを埋めたくて、こっそり城を抜け出した。
それが、運命を変えるとは知らずに。
ある男に出会って、自分も、自分の見る景色も、そして感情も。
何もかもが変わった。
毎日男の事を考え始めて、楽しくて、寂しさが顔を隠してしまったそんな生活が、何より愛おしかった。
だからこそ。
自分の嫉妬と、彼をほんの少しだけ思いやるその気持ちで、起こした行動は、乙姫を酷く後悔させた。
どうしてあんなことをしてしまったの。
どうして、あの人が悲しむことを考えなかったの。
何度自分を責めただろう。
何度泣いただろう。
何度身を投げようとしただろう。
でも謝りたい、その人はもういない。
どうか、もう一度だけ会いたい。
会って、話をして、いつもみたいに冗談を言い合って、
そして、謝りたかった。
ただ、彼に会いたかった。
目を開けると見知らぬベッドで寝かされていた。
掛け布団が落ちるのを目で追いつつ、気だるげに身体を起こす。
「ここ、どこ?」
引かれたカーテンに、真っ白な、およそ何も感じない無機質なベッド。水姫はカーテンを少しだけ引いてベッドの外を見る。
乱雑に置かれた救急箱と、職員用の机がぽつん、と置かれた静かな部屋。寂しさを紛らわすように観葉植物がちらちらと顔を覗かせ、広いはずの部屋が、植物で場所を狭くさせている。
「保健室?よね」
入学したばかりであまり来る機会もないから確証はないが、多分そうだろう。
どうして自分がベッドで寝ているのか気になって、辺りをきょろきょろと見まわす。
だが、状況をよく判断する前に保健室の扉が勢いよく開いて、誰かが飛び出してきた。
「ひめええ!やっと目が覚めたんだね!良かった!」
「うっ……!」
勢いよく抱き着かれ、反動で変な声が出る。だが涼太はそんなことは聞こえていないとでもいう様にぎゅうぎゅうと抱きしめ続け、水姫を絞め殺さん勢いだった。
「せ、先輩……、苦しい」
「あ、ごめん!あんまり嬉しくて、つい」
照れた様子で涼太はそっと離れると、備え付けてあった椅子に座って、水姫と向かい合わせになる。
彼の顔は、真剣なものの、口元はだらしなく緩み切っていた。
顔に出やすいな、と苦笑しつつ水姫は自分がどうしてここに居るのか聞いた。
「姫は英雄学の授業で倒れたんだよ。初めての事ばっかで頭が混乱してたんじゃないかな」
なるほど。そういえば玉手箱を使って、あの男が老人に変わり果てた以降の記憶があいまいだ。
命の危険にさらされたり、英雄魂の能力を見せつけられたり、確かに驚きの連続で理解が追いつかなかった。オーバーヒート、だろうか。
それに、一番大事な記憶を取り戻した。
忘れたいけれど、忘れてはいけなかったその記憶を、完全に取り戻した。
「記憶を取り戻したのが原因かもしれないけどね」
水姫が言おうとする前に、涼太はそう放つ。
彼は優しい顔をして、水姫の目覚めに心の底から安心しきった表情をしていた。
英雄魂として、乙姫として。
彼女の記憶が戻ったことが、何よりも彼にとって嬉しい事なのは一目瞭然だった。
「記憶、取り戻すと倒れちゃうんですか」
「人それぞれかな。前世の記憶が蘇るわけだからどうしても頭の処理が追いつかない人が居るみたいだ」
それがきっと、水姫にも出たんだろう。
何より、本当に今日は色んなことが起こったのだから。
「先輩は、倒れなかったんですか?」
「うん、俺は物心ついてからずっと記憶があったから」
「……そうですか」
どう返していいか分からなかった。
乙姫としての自分を取り戻してから、そんな事を聞いてしまってはどうしようもない。
だって、彼は生まれてからずっと自分の事を探し続け、そして前世で乙姫が何をしでかしたか覚えているのだから。
ただ言えるのは、彼は生まれ持っての浦島太郎だということだろう。
正真正銘、御伽話に出てくるあの英雄が目の前に居るのだ。
水姫はなんだか変な気持ちになって、涼太から視線を逸らした。
「姫。あのね」
「……なんですか?」
「好きだよ」
「ッ!?」
いつも言われていることなのに、どうしてか今日は顔が赤くなってしまった。
それは、記憶があるからなのか、はたまた別の理由か。
水姫は涼太に視線を合わせないように、さらに顔を背けた。もう何も言ってほしくないという様に。
だけど、涼太はそれに追い打ちをかけるように口を開いた。
「照れ屋な姫も、勉強が得意な姫も、走るのが遅い姫も、笑うと可愛い姫も、ちょっと素直じゃない姫も。みんな、みんな。大好きだよ」
「まるで見てきたように言うんですね」
「うん。だって本当に見てきたから」
涼太は不意に水姫の手をとって、自分の頬に寄せた。さすがに顔を背けるわけにもいかず、彼女はされるがままの右手を追い、そして彼の顔を凝視する。
彼は、泣きそうに目をぎゅっとつむっていた。それでいて、何かに耐えているような、激しい感情を抑え込むような、そんな顔をしていた。
いつも騒がしくて、なんでも口に出す彼には珍しいその表情に、何か文句でも言ってやろうとしていた水姫は閉口した。
だって、
ずるいじゃんか。
そんな顔を見せるなんて。
「俺はずっと、姫を見てたよ。昔も、今も。一度だって姫の事を忘れたことはなかった。ずっと、姫の事を考えて、姫を探して、生きてきたんだ」
「……どうして。じゃあ、どうして私のところに来なかったんですか?桜庭先輩と親友なら、私の存在に気付いて会いに来れたはずですよね」
「まだ時間じゃなかったから。それに、姫には普通の生活をしてほしかったんだよ。英雄魂として自覚を持てば、嫌でも普通の日常がなくなる。そしたら、姫が幸せじゃなくなるかもしれない。そう考えたら、会いに行けなかった。尋に姫の話を聞いて、いつか会える日を楽しみに、何とか耐えてたんだ」
水姫はぽかんと口を開けて、涼太を見る。
直球勝負だ、と言わんばかりの彼が、今までチャンスを棒に振って、この日までずっと待っていてくれてたなんて。
あまりにも意外な事実に、胸が熱くなる。どうして、そんなことを言うんだ、と怒りたくなる。
本当に、涼太は水姫の事を思ってくれているのだと分かるから。
何よりも普通の日常を好み、これからもきっとそうだろうと思っていた彼女を巻き込んで、壊しておきながら。
なのに、彼となら普通の日常じゃなくてもいいのかな、と少しだけ思っている自分に。どうしようもなく嬉しくて、たまらなくて、そんな自分に怒りたくなる。
「もちろん、これからは俺が姫を幸せにするよ。絶対に」
「アアハイ、ソウデスネ」
棒読みで返すと、涼太はショックで声を漏らす。仕草がいつもより大袈裟なのは、水姫を気遣っての事だろう。
だから、まるで昔のようなやり取りに水姫も乗ってやることにした。
「私、好きなんて一言も言ってないのに一人で盛り上がらないで下さい」
「なんか姫辛辣だね!どうして!」
「胸に手を当てて考えれば分かるんじゃないですか?」
「俺胸ないよ?」
「よし、セクハラで訴えます」
水姫がポケットから携帯を取り出したところで涼太が慌てて平謝りする。ようやくいつもの調子だと安心して、思わず笑う。涼太は照れくさそうに頭をかいて、水姫の様子が戻ったことにホッとしていた。
そうだ、私たちはこうでなくちゃいけない。
だから、さっきから高鳴り続けている胸の鼓動は、抑えなくてはいけない。知らないふりをして、何もなかったようにしたい。
今の水姫には、この高鳴りはあまりにも重い荷物だから。
「そういえば」
ふと、枕元に置いてある自分の玉手箱を見やって、水姫はぽつりと漏らす。昔の記憶を頼りに、自分が彼に隠していたことを思い出し、謝りたくて彼を見つめる。
「どうして、亀は姿を最後まで見せなかったんでしょうね」
だけど、謝るつもりだったのにいつもの調子を取り戻した水姫を見て、あまりにも嬉しそうにだらしなく口元を緩めた彼を見たら、そんな気分じゃなくなった。
だからもういいや、と投げやりに問いかけた。
気付いてないならいい。
知らなくていいこともある。
自分が犯した過ちに、折り合いをつけるのはもっと後でもいい気がした。
「俺を助けた亀のこと?どうしてだろうね。本当に人見知りだったんだろうな」
涼太は純粋な顔をして、そんなことを呑気に言う。
その言葉で、水姫は何も気づいていないと確信し、もうこの話はやめだと言わんばかりに首を振った。
すると、丁度保健室の扉が音を立てて、尋がやってきた。
「水姫ちゃん、目が覚めたんだね。大丈夫だった?」
「桜庭先輩……!大丈夫です、私は元気です!」
「なんか姫、尋にだけ態度違くない?俺寂しい」
「ストーカーに優しくするほど私は心広くないんです」
「え、ストーカー?誰?」
「お前だよ、涼太」
尋が笑顔で突っ込むと、涼太は訳が分からないといった様子で首をかしげていた。これは本当に自分のしていることがストーカー紛いだと気づいていない様子だ。これでは先が思いやられる。
「そうだ。水姫ちゃん、お手柄だよ」
「……へ?」
「さっき英雄学の授業で男を老人に変えたでしょう?結果的にあれが一番効果のある捕まえ方として、溝口先生に高評価だったみたい」
「さすが姫……俺の未来のお嫁さん」
「そ、そんな……でもよかった。捕まえられたんですね」
「うん、もう安心だね。とりあえず今回浦島三兄弟と水姫ちゃん達がお手柄として名前が挙がったよ」
尋は自分の事のように嬉しそうに語り、涼太もガッツポーズをして達成感を味わっていた。訳も分からず、衝動的に玉手箱を開けてしまったけれど、結果的に誰かの役に立ち、あの男が捕まったならいいことなのだろう。
水姫も納得して大事そうに玉手箱を抱えた。
「さあ、水姫ちゃんも目が覚めたことだし、帰ろうか」
「はい、そうしましょう」
「よーし、今日はお祝いとしてどっか寄ろう!」
「何の祝いだい?」
「姫の初めて記念日!」
「行くわけないです、帰ってください」
「そんな!」
水姫はお世話になったベッドを整えると、鞄を手に持ち、三人一緒に保健室を出る。
尋がすたすたと歩くさなか、唐突に涼太が振り返って水姫を引き留めた。
「何ですか?」
「ねえ、姫」
涼太は、戸惑う水姫を他所に何でもない事のように、笑う。
そして、言うのだ。
彼女にとって、致命的なことを。
「俺はね、亀としての優しい部分も含めて、姫が好きなんだよ」
ばれていた。
驚いて、しばし呆けていると涼太は上機嫌で玄関に向かっていった。
まさか気づいているとは知らずに、頭を抱える。
いつから気づいていたのだろう。
もしかして、さっきの会話?
それとも、昔のどこかで?
ばれていたことに、程よい安心感と後悔と、様々な感情を混ぜ合わせながら水姫は再び歩き出した。
ひとまず、帰ろう。
帰って、ゆっくり本でも読みたい気分だ。
そうだ、今日は絵本でもいいかもしれない。
海岸で、亀である自分が、あの男に助けられる、そんな話が読みたいな。




