1 浦島三兄弟
「ひ、ひったくり!!」
その声の主は、顔にあるしわを更に歪ませながら精一杯叫んだ。切羽詰まった様子で前方を見る。まさかこんな所でひったくりに遭うとは。うかつだった自分を責めたい気分だが今はそれどころではない。
衰えた身体で、年老いた女性――由紀子は鉛のように重い身体を叱咤して走る。しかし、もう何年も走っていないせいか、全くと言っていいほど、追いつけない。走れば走るほど息が上がって、ついに由紀子は地べたにぺたん、と膝をついてしまう。
「ま、待っておくれ……。その鞄の中には……」
大事な、孫へのプレゼントが入っているのだ。そう言いかけて涙ぐむ。
いつも可愛く懐いてくる孫が事故にあった。かなりの重症で、由紀子は早く元気になってほしいという心持ちで二時間かけて買ったものなのだ。今日は朝早く病院に行って渡してやろうと、今向かう所だったのだ。なのに……。そんな思いがあるのに、ひったくりに取られたなんて、情けない。
しかし、あいにくこの場所は住宅街にも関わらず、人が少ない場所。年老いた老婆のか細い声は誰にも届かない。
ひったくりの男はぐんぐんと走って行き、十字路に差し掛かった。このまま逃げ切るつもりだろう。しかし、十字路を左に曲がろうと方向転換をした、その時だった。
「ぐっ!?」
突如、ひったくりの男が、何かの衝撃に吹き飛ばされ、方向転換は出来ずに壁に衝突する。突然の事に由紀子は驚いたが、ひったくりの手から運よく鞄が離れた。
今しかない!と由紀子は立ち上がって鞄目指して走る。しかし、その走りも高らかな声に制止された。
「はーはっは!!ひったくりとは情けないな!そんな奴にはこの浦島涼太がお相手してやる!どうだ、飛び蹴りの威力は!最高だろう」
「飛び蹴り……?」
よく見ると、ひったくりの男の左頬には靴の跡が残っていた。なるほど、さっきの衝撃はこれだったのかと由紀子は納得する。
しかし、それよりも気になるのは、この飛び蹴りをかました男だった。
その浦島涼太と名乗った男は、爽やかな印象を与える、今で言うならイケメン、という部類に入るものだった。制服を着ているので、見た目からして多分、高校生だろう。なんと勇敢な高校生だろう、と由紀子は感心した。
ひったくりが壁にあたった衝撃で動けないのを見ると、涼太は鞄を大事に持ちあげ、由紀子に手渡す。
「どうぞ。危なかったですね」
「あ、ああ……ありがとうねえ……!助かったよ……」
「いえいえ、礼には及びません」
そう言って笑う顔は、由紀子も見惚れてしまうほどかっこいい。まるで昔の夫のようだ、と思い出してしまう。兎にも角にも、取り戻せて良かった。
そんな中、ひったくりはゆっくりと起き上がり、走り出す。逃げるつもりなのは一目瞭然だが、涼太はあえて追わなかった。
「いいのかい?追わなくて」
「大丈夫です。実は、伏兵がいるので」
そう言った涼太の顔は自信に満ちていた。
「あ、お巡りさんこっちです」
一人の学生が、そう言って走って行く男を見つけ案内する。彼は長めの髪にメガネをかけており、いかにもガリ勉男、という風貌だった。しかし、顔立ちは整っており、美形の部類に入るだろう。そんな学生の男は兄に教えられたルートを見て警察を呼び付ける。彼は、余裕の表情で逃げる男を見た。
「桃耶君、呑気に案内してくるのは良いけど、あれ、逃げられるよ?」
警察を呼んだのは他でもないこの桃耶と呼ばれた男だが、呑気にも男が移動していくのをただ見ているだけなのだ。今まさにひったくりは逃げそうになっている。しかし、そう言われた桃耶は自信に満ちた顔でメガネを押し上げる。
「まさか、この私が無策だとでも?」
「え?」
「この先にトラックを用意しました。しかもエンジンを付けたままでね。切羽詰まったひったくりは、必ずその奇跡に感謝し、トラックを利用するでしょう。そこをつきます」
桃耶は、ニヤリ、と笑む。彼は頭脳派の見た目通り、頭を動かすのが得意だった。
「今日はきび団子を母上から頂いていませんから、能力を使えないんですよ。いやあ、単純そうな男でよかった」
「トラックを用意って、君まだ無免許じゃ……、まあ後でいいや。それで?その後、トラックで逃げる男はどうするの?」
「後は、弟が何とかするでしょう。あの力登が、その力を持ってしてね……」
彼も、先ほどの涼太のように、自信ありげに言う。その弟は、とっておきだった。
ひったくりは必死に逃げる。人通りの少ない道を選んだのに、まさか失敗するとは思っていなかったのだ。しかも、あんな学生に飛び蹴りをくらうとは。頬に靴跡が残っているが気にしやしない。今は少しでも逃げなければ。警察を呼ばれてしまうのはごめんだ。
そうして必死に走っていると、目の前にトラックが停めてあるのが見えた。何だよ邪魔だな、なんて思いながら向かうが、よく見るとトラックにはエンジンがかかっている事に気付く。何という奇跡!これなら逃げ切れる!男はトラックに転がり込むように乗った。
「はは……逃げれる!これで逃げれる!」
トラックを置いて行った人間には悪いが、今はそれどころじゃない。ひったくりは逃げ切れる事に喜びを噛みしめながら、トラックを発進させる。奇しくも、それが桃耶の策だと気付かずに。
「ん……?何だあいつ」
ひったくりは発進させてすぐ、その言葉を発する。少し向こうに背の小さな制服を着た男が両手を広げて立っていたのだ。このまま直進すれば必ずひいてしまうだろう。もしや、自分を捕まえるために、あそこに立っているのか?
そんな事を思いながら、しかし、笑ってしまう。無理だ、あの学生には到底無理だろう。何故なら、その学生の男は、かなりの童顔で、貧弱な身体をし、背も低い。制服を着ていなければ小学生と間違えてしまうほどなのだ。
そんな男が捕まえられるわけがない。しかも、今はトラックに乗っているのだ。出来るはずがない。
「構わねえ、ひいちまおう」
男は逃げ切る事に必死で倫理から外れた考えを編み出し、アクセルを更に踏み込む。どうせ死ぬのだ。ひと思いに苦しくならないようにひいてやろう。そんな事を考え、どんどん近付く。
そして、その時がやってくる。
今まさにひいてしまう所まで来て、突如、トラックは動きを止めた。
まさか、こんな所で動かなくなるのか?
ひったくりは少しの恐怖と焦りを混じらせ、足に力を込めてトラックを動かそうとする。しかし、やはり動かない。
「何でだ!?」
思わずそう叫び、辺りを見渡す。するとある異変に気付いた。ずっと足に力を入れ込んでアクセルを踏んでいるのに、それを上回る力で、先ほどの学生が、両手をついて止めていたのだ。ズボンの陰から小さなまさかりのキーホルダーが、不釣り合いに揺れていて、それが違和感を与える。
その姿はまるでア○レちゃんのようで、ひったくりはやがて恐怖に支配され始めた。
小さな身体から想像もつかない力で抑え、その可愛い顔は、満面の笑顔を浮かべていた。
「やあ、おじさん。僕の力、凄いでしょ?」
そう言うと共に、その学生――力登はトラックを殴りつけて破壊する。どおん!という大きな音とともにあらわになった車の中とひったくりを見て力登はにっこりほほ笑む。
「おじさん、捕まーえた」
「う、うわあああ!?ま、まま待ってくれ!」
「待たないよ」
そう言うやいなや、力登はひったくりに手刀を首にお見舞いし、気絶させる。きっと次に目覚めるのは警察だろう。そう思って車から飛び降りると、涼太、桃耶、警察が走って来た。
「見事だよ力登!さすが力持ち!」
「よくやりましたね力登。今晩は力登の好きなものにしてもらいましょうか」
順に涼太、桃耶が言うと、力登は年相応の可愛らしい笑顔でえへへ、と笑い、嬉しそうに口を開く。
「ありがとう、兄さん、桃兄」
そんな会話をしている内に先ほど桃耶が連れてきた警察はひったくりの男を手錠でがしゃん、と拘束し、逃げれないようにした。次にトラックを一瞥すると、警察は口を開く。
「お手柄だよ君たち。ひったくりを捕まえてくれるなんてね」
「私からもお礼を言うよ。本当にありがとうねえ」
いつの間にか近くに来ていた由紀子も鞄を大事そうに抱きしめながらそう言う。すると三人の兄弟は嬉しそうに笑う。
「まあ、無免許なのにトラックを動かした事とか、破壊した事は良くないけど……いや本当なら犯罪なんだけど……」
「違います、これはわざとです。兄さんがやれと言ったんです」
「兄上が無茶な事を言いつけて来たんです」
桃耶、力登は二人してそう言うと、涼太がショックとでもいうように口をはさむ。
「違うだろ二人とも!?計画は桃耶だし、勝手に破壊したのは力登だよね!俺なんもしてないよね!」
「黙って下さい兄上」
そんな兄弟を苦笑しながら警察は眺め、口をはさむ。
「まあ、今回は見逃すという事で。何たって君たちは『浦島太郎』、『桃太郎』、『金太郎』の魂を持った英雄魂だからね」
その言葉を聞いて三人は誇らしげな顔をして、由紀子は驚く。彼らがあの……英雄魂だという事実に。
「凄いわ……。英雄魂だなんて」
「もしかして初めて見ます?」
「ええ」
「彼ら三人は特にこの町でいろいろと警察の助けをしてくれてるんですよ。とりわけ涼太君が正義感強くて助かります」
「何ですかその言い方は!それでは他二人はまるで正義感ないような言いぶりですよ!」
桃耶が噛みつくように抗議する。力登は、可愛く小首を傾げていて、桃耶がどうして抗議しているのか分かっていない様子だった。
「いやいや、そういう意味じゃないよ。涼太君は正義感強すぎる、ってこと」
「実際、桃耶って何か裏考えてるだろ?」
「ようは、兄さんは馬鹿で扱いやすいって事じゃないですか?」
突如、会話に参加してきた力登の言葉に涼太はぐさり、と心を打たれる。力登は可愛い見た目とは裏腹に、わりと毒舌の人物で、三人の中で一番何を考えているか分からない。
それに比べ、頭で全て計算して片付ける桃耶の方がまだマシというものだ。
「私が裏を考えている?何を言い出すかと思えば」
「む……、違うのか?」
立ち直った涼太がそう聞くと、桃耶はにやりと笑い、高らかに宣言する。
「裏を考え、表を考え、全て思い通りにして、正義感など皆無の状態で挑んでいるに決まっているでしょう!!」
「開き直った!」
涼太ははあ、とため息をつく。桃耶の性格はこれだ。とにかく計算で全てを思い通りにしたがる。損得で物事を見ようとする。これは良い事なのか、悪い事なのか……。いや、あまり良くないだろう。
涼太は純粋で馬鹿の塊なので、桃耶の考える事は到底分からなかった。
「まあまあ、その話は終わりにして。君たち、もうすぐ学校だろ?」
「あ、ああ!!早く行かないと遅刻するぞ!」
警察に言われ、涼太が腕時計を確認すると、焦った表情でそう言う。そう、この三人は英雄持ちであれど、学生。高校生なのだ。
「あらあら、じゃあ遅刻しないように行ってらっしゃい。今度お礼するねえ」
由紀子はゆったりとそう言うと、三人ははい!と笑って答える。根は良い奴なので、そういう言葉には元気に反応してしまうのだ。
そして、三人は警察の人にびしっと敬礼すると、慌てて走って行った。
まるで嵐のような三人だが、その三人を見る警察の目には優しさが出ていた。
彼らの本当の舞台はここではない。その学校にこそ、本来の姿が見れるのだろう。
浦島太郎、桃太郎、金太郎の栄光を持った三人は楽しそうに走り抜ける。
目指すは、英雄の魂が集まる御伽学園に。
彼らは今日もまた、そこで活躍するのだった。




