14 乙姫
竜宮城に浦島を抱えて帰ると、真っ先に城に住む者たちにこっぴどく叱られた。
「今までどこに行っていたのですか!さんざん探したのですぞ!」
「それはごめんなさい。でも」
「言い訳は聞きません!私たちがどれだけ心配したか……!」
「そんなことより、この方を休ませてあげて!命の危険がかかっているのよ!」
周りが次々と叱ってくる声を遮って、いつもでは想像もつかないような大声で制す。すると、彼らはきょとん、とした様子で一斉に黙って、倒れた浦島を見つめた。
それが合図とでもいう様に浦島を客室に運んでひとまず一息をつくと、一番のお世話係である老爺がずかずかと客室に姿を現して、眉間にしわを寄せた。
「この方、人間では」
「ええ、そうよ」
「まったく……。あなたがこっそり何処に行っていたのか、想像がつきました。何度言えばいいのですか、あなたは自分の立場をよく理解して行動を」
「お説教は後でいいから、まずはこの方に尽くさなければいけないわよ。協力してくれるかしら」
毅然とそう言い放つと、老爺は大きなため息をついて無言でその場を立ち去った。もしかして、相当怒らせてしまったのだろうか。一番の物知りである彼の協力は仰げないのだろうか。
しばし不安に苛まれて、それでも浦島の手当てをしようと部屋をうろうろしていると、やがて老爺は戻ってきた。
「世間知らずのあなたがこの方をどうこうできるとは思っていませんよ。ほら、わたくしにお貸しになってください」
「まあ……!」
彼は手に包帯やら着替えの着物やらと様々なものを抱えていた。自分も何か手伝えることはないかと申し出るが、老爺は無言で、そして手際よく傷の手当てや着替えを済ませてしまった。
彼が無言で作業をやるのはいつものことだが、眉間に寄ったしわが怒っているぞ、と訴えていた。後で飛んでくるであろう長いお説教のことを考えると、ため息しか出てこないが、ひとまず浦島が救えてよかった楽観的に考えることにした。
「それで?この方の怪我はあなたに関係がおありで?」
「いいえ、これは彼の事情によるものみたい。だけど満身創痍である彼が、私を助けてくれたのは事実です」
「なるほど。お優しい方のようですね。では完治するまではこちらに居てもらいましょう」
「ありがとう!私も全力を尽くします」
もちろん世間知らずのため、出来ることは本当に限られているのだがそれはそれ。必要とあらば老爺に教えてもらえばよいだろう。
決意したのもつかの間、客室を出たとたんにお説教が飛んできたのは言うまでもない。
浦島が目を覚ましたのは、竜宮城に連れてから丸二日が経ってからの事だった。
その間つきっきりで様子を見ていた身としては、彼が目を開けた瞬間の喜びというのは今までに味わったことのないものだった。
嬉しすぎてやった、と大声で言ってしまったほどである。老爺が近くに居ればまったくはしたない、と叱られたことであろう。
「調子はどうですか?」
「ん……、まだ、本調子じゃないけど、大丈夫だよ。……貴方は?怪我、大丈夫?」
「あら、私は怪我などしておりませんよ」
「そう、だっけ」
「ええ。そうだ、貴方の名前を教えてください」
「俺は浦島太郎」
「私は乙姫と申します。この竜宮城の主ですのよ」
ふふ、と着物の裾を口元にあてる。ぼんやりとした彼の目は何を映しているのか、空中を見つめていた。やがてゆっくりと布団から起き上がって頭を抱え、しばし唸るとようやく気が付いたかのように口を開ける。
「ここ、どこですか?」
「先ほども言ったように竜宮城です」
「竜宮城?あの、海の底にあるという?」
「ええ、そうです。あなたは亀が連れてきたのですよ」
「亀……そうだ、亀がいじめられてて、助けたら顔を出してくれて……、ん?そこから記憶がないなあ」
「そこであなたが倒れられたのだとか」
「そうか、酷い怪我だったもんなあ。それで、亀は無事だったのかな」
「ええ、今はもう元気です」
「そうか、それなら良かった」
太郎の安らかなその笑顔に、乙姫は釘付けになる。なんと綺麗な笑い方をする殿方だろう。こんな笑い方、乙姫にだって出来るかどうかわからない。
しばし無言でその笑顔に見惚れていた乙姫は、ハッとなると佇まいを直して姫らしく振舞う。せめてこういうときくらいは竜宮城の主として、きっちりしてもらわなければ困りますぞ、と老爺に釘を刺されたばかりなのだ。
「竜宮城では毎日宴を催しておりますの。今は専らあなたの回復を願っての宴ですので、参加出来るようになったら、是非いらっしゃってくださいね」
「そうか、それは嬉しいことを聞いた。ならば頑張ってこの身体を治さなければね。ありがとう」
「いえ。亀を助けて頂いたのです、これくらい当然のことですわ」
「ところで、その亀は今どこに?顔は見れるのかな?」
乙姫はしばし硬直して、笑顔のまま首を振る。予想通り、その話が出てきたことに内心冷や冷やしたが、焦って顔に出してはいけない。平常心を心がけなければいけない。
なんたって、私は乙姫なのだから。
「いいえ、亀は少々人見知りが激しく、この城でも滅多に顔を出さないのです。だから会うことは難しいかと」
「そうか……それは残念だ。また顔を見たかったんだけどね。まあいいさ、そういうことなら仕方ない」
あっさりと引き下がった太郎に、乙姫は頭を下げ、客室を去るべく襖に手をかけた。すると、後ろで太郎が何やら呼び止める声が聞こえて、はしたないと思いつつも首だけで振り向く。
「乙姫は綺麗なんだね」
「っ……!いきなり何なのですか」
「いや、そう思っただけだ。たいした意味はないよ」
意味深に笑った太郎に乙姫は顔を赤くさせてさっさと客室の襖を閉めた。
つかつかと、急ぐようにして歩く乙姫の体温は急上昇して、心臓もやけにうるさい。それは、自分の秘め事が守り通せたのだろうかという緊張からなのか、それとも別の意味なのか。
今の乙姫には分からなかった。
太郎の体調は次の日にはもう回復していて、怪我の具合もだんだんと良くなっていった。
すると当然彼は竜宮城の大半を占めている宴に参加することになり、毎日どんちゃん騒ぎをすることになった。
満身創痍の中で亀を助けた、というその話が竜宮城の者たちに大いに喜ばれ、英雄だなんだともてはやし、彼を取り巻いていく。
「はは、みんな優しくて面白いなあ」
「そんなことはないだろう、浦島さん。あなたほど優しい人を私は見たことがないよ」
「本当だね。お金を盗られたというのに許してしまう男を、俺は他に知らないね」
「はは、そうかな。でもあれだけ酷い目に合わなければ、今こうしてあなたたちと楽しんでいなかったのだと考えると、やっぱり許してしまうね」
その言葉に竜宮城の皆々はうるっと来て、浦島に向かって飛んでいく。浦島は押しつぶされるようにして彼ら彼女らを喜々として抱きしめまわる。
なるほど、あの性格で人に好かれないわけがない。乙姫は遠目に彼が大人気になっていく様を眺めていた。
「あの中に行かなくて良かったのですか?」
老爺が近づくなり、乙姫にそうやって声をかけた。宴の広間から遠く離れたその場所は、閑散としていて、寂しさすら感じさせる。
だというのに、乙姫は僅かに頬を上気させて首を振った。
「だ、ダメよ……。行けないわ」
「姫?最近様子がおかしいようですが。どうかなされたので?」
「な、なんでもないわ!気にすることはないのです、そう、あんなこと……」
乙姫は首をぶるぶると振って、その場から離れる。戸惑う老爺を置き去りにして、頬に両手を当てて、何かから逃れるように。
そして、自室にこもると、膝を抱えて太郎のことを考える。
実のところ、太郎が来てからもう1週間が経っていた。
意識が戻ってからというものの、乙姫は度々客室に顔を出して様子を見に行った。
その時の彼はといえば、一体どうしてそうなるのか、ちょっとおかしなことを言ってくるのだ。
ようは、可愛いね、とか綺麗だね、とか姫は優しいね、だとか!
どうしてそんな言葉がぽんぽん出てくるのだろう、もしかして太郎は女たらしなのかと疑ってしまった。
次々と飛び出してくるその恥ずかしい言葉たちに、最近は太郎を避けている自分がいる。
まさか、一介の人間の男に、竜宮城の乙姫がここまで翻弄されようとは予想するはずもなく。
訳も分からないまま、乙姫は悶々と頭を抱えていた。
「ひめ?中に居るのかな。入ってもいい?」
ほうら、来た。
結局自分が避けても太郎は自ら目の前に現れてくる。しかも、乙姫の自室に来てまで。
本来ならお目通りすることも難しいというのに、あの男にはそういうことが欠けている。
……だけど。
「はい」
こっそり顔を覗かせて、その襖を開ける気満々で。
「どうぞ」
こうやって会ってしまう自分が居るのも事実だった。
乙姫は内心で嘆息しながら、それでも煌びやかな自室に太郎を通した。
「ふふ、お邪魔するよ」
「……今日の宴はもうよいのですか?」
「ああ、いいんだ。ちょっと話したいことがあって。抜け出してきちゃった」
舌を出して笑う彼は、無邪気にそんなことを言う。話したいこと、と聞いて乙姫は身構えた。なんだか嫌な予感がしてふいに視線を逸らした。
「ここまで楽しませてくれて、乙姫には感謝しているんだ。ありがとう」
「ええ、こちらこそ」
「それでね、そろそろ帰ろうかと思うんだ。でないと母が心配するだろうし、またあの暴力的な輩がやってこないとも限らない」
「またあんな怪我をさせられるかもしれないのに、帰るというのですか」
「うん。そりゃあ、怪我はしたくないよ。それに、ここは俺にとってあまりにも楽しすぎて、離れがたい。何よりも君がいるんだ。離れたくないよ」
その言葉に、胸が高鳴って、同時に痛みも襲ってくる。嬉しいはずなのに、素直に喜べない。
どうして。
もちろん、答えはとうに出ている。
だけど、それを口に出すことは、してはいけない。
もちろん、彼だって。
「でもね、俺には大切に育ててくれた母が居るんだ。母さんが怪我するなら俺が代わってあげたい。早く結婚して安心させてあげたい。だから、帰ろうと思う」
全ては大切な家族のため。結婚して、家族をつくるため。そこに竜宮城と、乙姫の存在はない。あるはずない。
だって、これらは存在するはずのないものなのだから。
彼の人生に、介入してはいけないことだから。
乙姫はしばし考え込んで、頷いた。
しかし、そこに悲しみはなく、何か決意に満ちた表情をしていた。
「分かりました。では、あと一週間待っていただけませんか。貴方と、それからこの城の者たちに、最後の思い出を作ってあげたいのです」
「うん、わかった。じゃあ、一週間後に」
「はい」
太郎を客室に帰らせ、乙姫は自室であらゆる引き出しを開け放ち、何やら探していた。
部屋中をぐちゃぐちゃにするその様は、とても姫とは言い難く、だけど、その顔には姫特有の決意に満ちていた。
その決意は、一つは善意。
そしてもう一つはちょっとした嫉妬心から。
どうか、彼に不幸が降りかからないように、そして自分以外の人を見てほしくないがために。
乙姫はようやくそれを見つけ出すと、丁寧に埃を払って見つめる。
黒塗りの小さな箱。赤い紐で、辛うじて開けられないようにしてある、安易な道具。
だけど、これが何よりも自分の、そして太郎の運命を操作することは分かりきっていた。
一週間。
そうだ、一週間もあれば。
この箱で、時間を操作するなど造作もなかった。
村に帰る太郎には一つだけ不可解なことがある。
それは、竜宮城の何処を探し回っても助けた亀の姿が見えないことだ。
どうしてか、亀の姿は気配すらも感じさせず、そして竜宮城に住むみんなにも認識されているのかどうかも怪しかった。
一度聞き込みに回ったことがあるが、彼ら彼女らはいつも口を濁して、詳しいことは教えてくれない。
ただ一つわかることは、亀はもう二度と太郎の前に姿を現さないということだけだった。
そうして太郎は、そのたいして働かない頭を使ってある結末に導き出した。
つまり、亀がどうして姿を見せないのか。
それは、結局のところ、見せられないのではないか。
人見知りという簡単な理由ではなく、もっと別の、何か重要な理由で。
そう思い至ったとき、どうしてかいつも乙姫の姿がよぎる。つまりそれが答えなのだと気づくのは、もっと後であろう。
その愛しい彼女とは、もうじきお別れだ。住む世界の違う二人には、当然の帰結。
だけど、どうしても。
太郎にはそれが寂しくて、悔しくてならなかった。
「一週間とは早いものだ。矢のように流れるね」
「毎日宴に参加していれば、それもそうでしょう」
「なんだい、最後だというのにあまり構ってやれなくて、寂しかったのかい」
「どうしてあなたはいつもそういうことを!」
竜宮城、門の前にて。
乙姫は海水の中をぷりぷりと怒って、最後だというのにそっぽを向いていた。太郎はそんな姿に癒されながら、真っ青な景色を見やる。
海水の中を、人間の自分がなんということもなく立っていられる。話していられる。
それが不思議で、だけど楽しい。
帰ったら母に話してやろう、とかすかに笑うと、乙姫に向き直る。
「さあ、そろそろお別れだね」
「ええ、もう二度と会うことはないでしょう。どうかお元気で」
「ううん、そうか。それは寂しいね」
「またそういうことを言って。もういいです、あなたの言葉には惑わされません」
「そんな、惑わすなんて」
いつも本気で言っているのに、信じてもらえてないようだ。乙姫はいまだムッとした顔をして僅かに太郎を睨みつけていた。
だけど、突然フッと気を抜くと、彼女は懐からある小さな箱を取り出した。それを、太郎に手渡す。
「何だい、これは。玉手箱?」
「餞別です。大事になさってくださいね」
「本当かい、ありがとう。で、中身はなんだい」
「……開けてはいけません。それは、中身よりも箱を大事にしてください」
「ん?それじゃ、意味がないじゃないか」
「箱を私だと思ってくだされば、結構です」
乙姫は押し付けるようにして玉手箱を太郎に渡す。彼はどぎまぎしながらも、受け取ると、物珍しそうにそれを見つめていた。
どうしてだい、と聞こうとしたとき、まるで示し合わせたかのように魚の群れが竜宮城の前にやってくる。
太郎はこの大群に連れられて、地上へと戻るのだと先ほど乙姫から聞いた。
だから聞くに聞けなく、最後の言葉を交わすことになってしまう。
「いいですか、絶対に、開けてはなりませんよ」
「分かった、守るよ、絶対に。だから、またね。俺の、」
「ひめ」
その瞬間、待ちわびていた魚の群れが太郎を連れ去る。
彼は楽しそうに竜宮城を振り返り、乙姫に手を振る。
乙姫は手を振り返すこともなく、赤みがかかった頬を何とかしようと手で仰いだ。
まったく。
もう二度と会えないといったはずなのに。
またね、なんて。
俺のひめ、なんて。
会う気満々じゃないか。
乙姫はどくどくと今まで以上に鳴り響く心臓を落ち着かせ、老爺に出かけてくる、と一言伝えた。
様子だけでも見に行くことは、きっと許されるはずだ。
村に帰ると全てが変わっていた。
そう、何もかも。
民家の配置、畑の具合、道具の錆。
慣れ親しんだものが、何もかも変わり果てて、古くなり、新しくなり、まるで何年も経ったかのような錯覚に陥った。
もしかして、自分が居ない間に何かあったのではないか。
太郎は急いで自分の家を目指し、しかしそこには何もないことに気づいて愕然とした。
家は。
母は。
毎日苦労して耕した畑は。
あの大切な釣竿は。
一体、どこへ?
まるで家族のように育った村の人々が居ない。代わりに道行くのは訝しげに太郎に視線をよこす見知らぬ人々。
どうしてこんなことになっているのか。
もしかして帰る場所を間違えたのか。
不安を抱えて、道行く一人の男に事情を話そうと声をかけてみることにした。
「あの、すみません。ここに浦島という名字の家があったはずなんですが、知りませんか」
「浦島?浦島っていえば数百年前に息子が失踪したって話を聞いただけで、他には何も。今はそんな名前の家はないよ」
数百年前に、浦島の息子が失踪だって?
太郎は絶望し、教えてくれた人に礼を言うと、誘われるように海岸に向かった。
いくら頭の悪い太郎でも、これがどういうことか分かった。
太郎は不思議にも、数百年後の村に帰ってきてしまったのだ。
訳も分からないけど、その突きつけられた事実に戸惑い、ふと玉手箱に目をやる。
――絶対に、開けてはなりませんよ
愛しい乙姫の声が脳内にこだまして、だけど、それに逆らって玉手箱に手をかける。
もうこうなってしまったらやけくそだ。
どうにでもなれ。
そんな気持ちで箱を開けると、白い煙がもうもうと立ち込めて、太郎を襲う。
「ケホッケホッ」
咳き込みつつも、どうしたんだと言わんばかりに太郎は周囲を見渡して、何も変わっていないことに安堵する。
しかし、それもつかの間だった。
どうしてか視界がぼやける。
手足に力が入らない。
手の甲が、やけに皺くちゃだ。
腰も曲がっている。
何事だと急いで海面に姿を映すと、そこには老いた姿の浦島太郎が顔を覗かせる。
変わり果てた、だけど太郎だとわかるその姿に、茫然として立ち尽くす。
本当に、どうしてしまったというのだ。
そんな彼の様子を、海辺でこっそり覗く亀の姿は、誰も気づかない。
まさかそんなに悲しまれてしまうとは思っていなくて、自分がしてしまったことの意味にようやく気付いて。
亀はこっそり涙を流すと、海へと戻っていった。
「ごめんなさい」
最後にかけたその言葉が、彼に届くはずもなく。
亀は、姿を消した。




