13 浦島太郎
それは、昔々のお話。
のちに「浦島太郎」と名付けられ、有名なおとぎ話として人々に愛されるようになる、そんなお話。
太陽の光に反射して、海がきらきらと輝いている。寄せては返す波に、高揚感を抑えきれずに足を踏み入れた。
その瞬間、まるで母にでも包まれているような感覚に取り込まれる。そうだ。海とは母であり、それはいつまで経っても変わらない事実だ。
「お、今日も居るな」
海に足を滑らせて、そんなことを考えていると、一人の男性が海辺に向かってゆったりと歩いてきた。
その姿を見止めるなり、母なる海から足を引っ込め、頭を隠した。
警戒すべき人間が、いつものようにやってきたのだ。きっと同類は誰しもが同じことをするに違いない。
「おいおい、またかくれんぼか?俺はそんなに怖い顔でもしているのかなあ」
男はむう、と唸って、だがしかし、たいして深刻な顔は見せずによいせ、と砂浜に腰を下ろした。そして、今まで肩にかけていた釣竿に何やら美味しそうなものを取り付け、そのまま海にぽちゃん、と垂らした。
頭を隠したままその様子を見つめ、ここ数日のことを思い返してみる。
彼は、ここに来るたびに同じことを繰り返していた。いわゆる日課というやつなのだろうか。
自分がこの地に来るようになって、まだ数日しか経っていないが、彼は欠かさず姿を現し、気さくに話しかけてきた。
釣竿を掴むその手は真剣に、だけど顔は楽しそうだったり、寂しそうだったり。日によってころころと変わるその表情は、少しだけ面白い。
今日の顔は、ちょっと困り顔だった。
「……、」
何か、話しかけてみようか。
だけど、ちょっと怖い。
顔を出してみるのもいいかもしれない。
どうしてそんなに困っている顔をしているの?
いつも何を釣っているの?
どうして決まった時間に毎日ここへやってくるの?
実のところ、自分は彼のことが気になって気になって仕方ない。
ただどうしても怖いという感情が勝って、すぐに頭を引っ込めてしまうだけで、本当は話がしてみたい。
だけど、臆病者で世間知らずの自分にそんなことが出来るなんて到底思いやしない。
だから今日も、彼が話すことにこっそり耳を傾ける事しかできない。
ほら、始まった。
「なあ、最近は悪い奴がいっぱい居てな。俺の家もその悪い奴にお金を根こそぎ盗られたんだ。はあ、どうしたもんかなあ。でも、奪い返す気にもならないし、まあいいか、とでも思ってしまうんだよなあ」
困り顔の中に少しだけ笑みを零して、男はぽつりぽつりと語りだす。なるほど、今日は身の上話か。
昨日は伝説、一昨日は村のうわさ。話すことはいろいろだけれど、彼はあまり自分のことを話してはくれなかった。
だから、ちょっと嬉しい。
ありがとう、の意味を込めて、隠していた足の先をちょろっとだけ出してみる。
うん、当然気づくわけなかった。
彼は海を見つめ、それでも口を動かし続けた。
「なんかなあ、俺さ。ちょっとお人好しすぎるみたいなんだ。どうにも人のことを考えると、自分はまあいいか、と思っちゃう。だってさ、そのお金を盗んだ悪い奴だって、たぶん困っているから盗んだんだろう?ならまあいいかって思うんだ」
なるほど、それはお人好しかもしれない。
お金を盗む人が、必ずしも困っているとは限らない。ただ自分の欲望のために盗むやつのほうが絶対に多いだろう。だけど、それを困っているの一言で許してしまう彼の神経は、なかなか珍しい。
「それで母さんにも叱られたよ。だから嫁がいつまでたっても出来ないんだーって。人はな、良いところだけではいけないらしい。悪いところもあって、なんぼだというのだ。悪いところがあれば、それは愛嬌になる。だけど良いところだけでは、近寄りがたい人間になってしまうよ、とね。ふうむ、難しいね」
言いつつも彼はへらへらと笑っている。なるほど、たぶんこれがいけないんだろう。
それにしても、彼には嫁がいないことが意外だった。だって、年齢的にとっくに居てもおかしくなさそうなのだ。
それに、顔立ちもそこそこ整っており、女性からの人気は熱い気もする。だけど嫁ができない理由とは、彼の母が言うように、あまりにお人好しすぎて損をしてしまうところかもしれない。
「はあ、話したらすっきりしたよ。どうもありがとう」
どういたしまして、の意味を込めて後ろ足をゆらゆらと揺らしてみる。だけど、やはり気づかなかった。鈍い。
「亀はいいなあ。そういうしがらみがなさそうだ。だけどこのしがらみに味を感じたら、人間はやめられない。難儀なものだけど、頑張ろうか。まずはお金をなんとかしなければね」
彼の釣竿がつつ、と引き寄せられる。今か今かと待ちわびていた彼は、急いで、しかし確実に釣竿を引っ張り、本日も見事に魚を釣り上げた。
そして、それがしばしのお別れの合図。
彼は立ち上がるなり桶に魚を入れて、自分の甲羅をこつん、と小突いてきた。
「いつか顔くらい見せてくれよ?じゃないと俺、悲しくて泣いちゃうからな。じゃあ、またな。亀さん」
彼は再び来た道を戻り始め、海から遠く離れていく。きっとその先には人間が暮らす村というものがあるのだろう。
そして、お金が盗まれて困り果てた母に魚を振舞ってやるに違いない。
だけど、それは亀にはなんら関係のないことなのだ。
ただ、ここにこっそりやってきて、勝手に話していく彼と会って、少し見守るだけ。
そう。
亀には、人間の事情には入り込めない。
それは、いつものように決まった時間に彼に会いたいがために、ぶらぶらと海辺へとあがったときだった。
彼はいつも通り来るだろうか。今日は何の話をしてくれるのだろうか。
当初のこっそり抜け出す、という目的を見失って、亀は顔を隠しながら彼に会うことを楽しみに地上へと降り出た。
そして、珍しくその海辺にはすでに人がいた。
彼だろうか、と半ば顔を隠しながら警戒しつつその人影に近づくと、それが複数だということが分かった。
背は小さいけれど、身体が大きい子供が二人、何やら怒った様子で足を鳴らしている。
「あーあ!なんでこんなことになっちゃったんだろ!」
「あの浦島ってやつ、全然気にも止めてないし!父ちゃん達の事なんとも思ってないのかな」
「普通取り返しにくるよねー。そしたら父ちゃんがこてんぱにしてくれると思ったのに」
「お金はほしいけど、それよりもあの浦島の事嫌いだから嫌な思いしてほしかったのに。ざーんねん」
どうやら会話を聞く限り、この子供たちは悪質な大人の息子たち、なのだろうか。どうやったらこんな歪んだ性格に育ってしまうのか謎だが、何よりその浦島という人に同情をせざるを得ない。
亀は知らない人間に心を痛めて頭を揺らしていると、子供たちがこちらに気づいたのか指をさしていた。
咄嗟に身の危険を感じて亀は身体の全てを甲羅の中に隠す。
何か、嫌な予感がする。
「あっれー。こんなところに亀がいるよ」
「なんでだろ。ていうか甲羅ちっさ。こんな弱っちい見た目で、こんなとこ来て大丈夫なの?」
「そうだ、俺たちでこの亀を強くしてあげようよ。きっとこいつも喜ぶよ」
得意げに言った子供は、容赦なく亀の甲羅を蹴り上げる。突然の衝撃に亀は何も考えることが出来ずに、ただ身を固くすることしかできなかった。
そして、蹴り上げた甲羅が地面に落ちると同時に、待ちわびたかのようにもう一人の子供が持っていた大きな石で甲羅をがんがん叩きつける。
いくら身を守っている甲羅があるとはいえ、身体に響くその音は痛い。亀は絶望的な状況に、怯えるしかできない。
どうして、こんな。
こんな、怖い思いをしなくてはいけないのか。
もしかして、こっそり抜け出してきてしまった罰だろうか。
亀は甲羅内に響く強烈な音に震えながら、そんなことを考えてしまう。
「ねえ、さっさと顔出したら!?そんなんじゃいつまでたっても強くなれないよ!」
そして、徐々に甲羅に亀裂が入るのを見て、亀は死を覚悟した。
きっとこの子供二人は、自分が死ぬのを見るまで帰ってはくれないだろう。
もう、だめだ。
そう思ったとき。
「ちょっと、何やってるんだ!」
誰かが砂浜を駆けてくる音がして、それと同時に石を打ち付けられるのも止んだ。
ホッとしているのもつかの間、亀は耳を澄ませて誰が助けてくれたのかうかがっていると、それはよく知る人物だった。
「げ、お前!」
「こら、いたいけな亀をいじめるなんていけないだろう!今すぐやめて、お家に帰りなさい!」
「やだね、俺たちは亀をいじめてなんかいない。こいつを強くしてやっているんだ。だからお兄さん、どいてよ」
「だめだ。絶対にどかない」
そう言って亀をかばう様に両手を広げて、彼は子供達の前に立ちふさがる。
こっそり頭を出した亀は、優しい彼に心を動かされる。
だけど、どうしてだろう。
彼は、いつもよりもボロボロだった。
服はところどころ破れ、全身が泥だらけ。
わずかに見える皮膚には酷い痣があって、頬からはぽたりと血が流れている。
「ほら、早く帰りなさい」
「兄ちゃん、こいつ、浦島」
「うん。酷いケガしてるけど、あれって父ちゃんにやられたのかな」
「かもね。ちょっといいもの見れたし、帰る?」
「うん、そうしよ」
子供はひそひそと何かを話し込んで、そのままこの場を去っていった。浦島はどうやら意識が朦朧としているのか、ふらふらと身体が揺れている。
だけど、亀には子供たちの会話がばっちり聞こえていた。
つまり、彼が浦島で、以前彼が言っていた悪い奴は、あの子供たちの父親。金を盗まれても何も言わなかった優しい浦島に、あの子供の父親は腹いせに暴力を振るったに違いない。親も息子も、なんてひどい奴だ!
怒り狂う様に亀は亀裂の入った甲羅から身体をすぽん、と出してのそのそ浦島に近寄る。
初めて見せるその顔に、浦島はびっくりしたように口をぽかんと開けて、そして気が緩んだのか音を立てて砂浜に倒れた。
「……っ!」
「良かった、お前が無事で。初めて顔も見れたし、満足だ」
ふっと笑った浦島は、本当に満足そうに笑うと、そのまま気を失った。
突然の出来事に亀は茫然とし、だがすぐに行動を起こしていた。
自分を助けてくれた命の恩人が、こんな姿で倒れている。
なら、自分がするべきことは一つだ。
そうして亀は、気を失った浦島を抱え、海の中へと飛び込む。
向かうは、海の底に建てられた、竜宮城。




