第七話:ブリジット・ニールセン
次回、第8話は11月2日18:30分更新です。お楽しみに!!
2日目。
いくつもの州境を越え、いよいよテキサス州の広大な土地へと足を踏み入れると、車窓を流れる風景は
一変した。
平坦な地平線がどこまでも続き、空の広さがそれまでの東部の比ではない。
乾燥した風に乗って、沿道のあちこちからオークやメスキートの薪をじっくりと燃やす、甘く香ばしい燻煙の匂いが漂ってくる。
昼時に立ち寄ったのは、広大な滑走路のような駐車場を備えた、木造の掘っ立て小屋のようなドライブ
スルーのBBQショップだった。
そこで手に入れたのは、油がじわじわと染み出している厚手の紙に厳重に包まれた、極厚で評判の
ブリスケット(牛胸肉)サンドイッチだった。
車内に戻り紙包みを解くと、12時間以上かけて低温でじっくりと燻製された肉塊が姿を現す。表面の香
ばしく焦げ付いた「バーク」と呼ばれる黒い層と、内側の鮮やかなピンク色の肉質のコントラストが見事だった。
指で持ち上げるだけでほろほろと崩れ落ちるほど柔らかい肉を口に放り込む。
噛む必要すら感じさせないほど肉繊維が解け、甘辛くスモーキーな特製BBQソースと、肉の深い旨味が爆発的に口内に広がった。
受け渡し口で、頭に年季の入ったテンガロンハットを載せた頑固そうな店主が、白い歯を見せて気さく
に声をかけてきたのを思い出す。
「良い旅をな、アミーゴ」
(良い旅になるかどうかは、その土地で食う飯の旨さと、背後に迫る死神の鎌をいかに首皮一枚でかわし続けられるかで決まる)
マーカスはそう心の中で呟きながら、指についたソースを拭い取った。
とにかく無事にL.A.までデレクを送り届けること。
今のマーカスにあるのは、それだけの冷徹な目的意識だった。
その日の夜は、モーテルすら使わなかった。
街の明かりが完全に途絶え、果てしないと思えるほどに暗黒が広がるテキサス西部の大型トラックスト
ップ。
マーカスは巨大な18輪トレーラー群の巨大な影の中に、古いトラックの車体を潜り込ませ、静かにエンジンを切った。
夜の砂漠特有の刺すような冷気が、ゆっくりとキャビン内に侵入してくる。
マーカスは荷台の隅から引っ張り出してきた粗末なウールの毛布を、助手席で寒さに身を縮めるデレク
に向かって無造作に放り投げた。
「エアコンはかけない」
デレクが目を丸くして驚きながらぼやく
「な、なんでだよ……寒さで凍死しそうなんだが」
マーカスは静かに諭すような口調で答えた。
「エンジンの音と排気熱は、暗闇の中で『ここに人がいます』と叫んでいるようなものだ。追っ手に居場所を教えたいなら別だがな」
と説明したあとで、追手がいる前提で話したことをほんの少しだけ後悔しながらも、短くそれだけ告げると、運転席のシートをわずかに倒し、ステアリングの上に太い両腕を組み、そこに額を預けた。
熱を失っていくエンジンブロックが発する「カチ……カチ……」という金属の収縮音と、遥か遠方のハイウェイを走り去る長距離トレーラーの腹に響く重低音。
それだけが静寂を支配する暗闇の中で、マーカスは野性的な浅い眠りについた。
順調だ。……今のところは。
3日目。
ニューメキシコ州アルバカーキに入ったあたりのI-40沿い。
旧ルート66の古き良き面影を色濃く残す、眩しいネオンサインと赤と白のチェッカー柄が目を引くダイナー『66 Diner』のボックス席に、ふたりは向かい合って座っていた。
この地域に入ると、食文化は一気に南西部——テックス・メックス(Tex-Mex)の色合いを強くする。
テーブルの上に運ばれてきたのは、汗をかいた大きなグラスに入った冷えたドクターペッパーと、濃厚で辛味の強いグリーンチリソースがたっぷりとかかったアツアツのエンチラーダ、そして皿から溢れんば
かりの山盛りフライドポテトだった。
マーカスは通りかかった年配のウエイトレスに静かに声をかけた。
「すまない、マヨネーズはないか?」
ウエイトレスはピタリと歩みを止め、まるで目の前で未確認飛行物体でも目撃したかのような顔でマーカスを見下ろした。
眉間に深いシワを刻み、不機嫌そうに「ハッ」と鼻を鳴らす。
「ここをどこだと思ってんのよ、ハニー。ベルギーのカフェかい? あるのはケチャップとマスタードだけよ」
そう言い捨てると、彼女はケチャップとマスタードのボトルが詰まったプラスチックのカゴを、テーブルの上にガチャンと激しい音を立てて置いた。
アメリカのロードサイドにあるダイナーで、フライドポテトにマヨネーズを要求する客など、彼女の数十年のキャリアの中でも片手で数えるほどしかいなかったのだろう。
向かいに座るデレクは呆れ果てた顔でそのやり取りを見ていたが、すぐにカゴから赤いボトルを掴み取ると、山盛りのポテトの上に力任せにドバドバとケチャップを流し込み始めたのだ。
フライドポテトが原型をとどめなくなり、真っ赤なソースの海に水没していく。
マーカスは、キャメルのメンソールをくわえたまま、呆れたように低く呟いた。
「ブリジット・ニールセンかよ」
デレクはケチャップまみれのポテトをフォークで口へ運ぼうとした手を止め、怪訝そうに首を傾け
「……は? 誰それ? 誰かのババアの名前?」
マーカスがため息交じりに続けた
「『コブラ』でシルベスター・スタローンに守られてたヒロインだ。……いや、いい。お前が生まれる7
前の映画だ。」
マーカスは紫煙を吐き出し、それ以上説明するのをやめた。
1980年代の映画『コブラ』の中に、モデル役のブリジット・ニールセンがダイナーでポテトに容赦なく 大量のケチャップをぶちまけ、スタローン演じる主人公コブラに呆れられる有名なシーンがある。
現代の二十歳の若者に通じるはずもない、ただのオッサンの戯言だった。
マーカスは視線を落とし、キャメルの火を灰皿の底へ低く音を立てて揉み消した。
「デレク」
「……なんだよ」
「ボルチモアでばあさんとおとなしく暮らしていれば良かったはずだ。あの街だって住みやすいわけじ
ゃないが、少なくとも身内がいる。……なぜわざわざシカゴへ行って、クソみたいなチンピラ生活をし
てたんだ?」
デレクはしばらく黙り込み、ケチャップまみれのポテトをフォークの背で弄んでいた。
やがて、諦めたように自嘲気味な乾いた笑いを漏らした。
「……ボルチモアにいたって、まともな仕事なんてねえよ。ばあちゃんの年金と、俺が路上で稼ぐしけ
た小銭じゃ、家賃と電気代だけで消えていく。これ以上ばあちゃんに惨めな思いをさせたくなかった」
デレクはドクターペッパーを一口飲み、言葉を続けた。
「半年前、シカゴにいる従兄弟から『でかい面したビジネスマンの使い走りで、月何千ドルも稼げるっ
て話を聞いたんだ。行ってみりゃ、ただの泥棒の手先だったが……ボルチモアで指をくわえて餓死する
のを待つよりはマシだと思ったのさ。バカだったよ。金庫から『金塊の入った箱』を盗み出した直後、
街中に警察とヤバい奴らが溢れかえってるって聞いて、怖くなってL.A.へ逃げたんだ」
マーカスは静かに尋ねた。
「で、腹が減ってL.A.で車上荒らしをして捕まったわけだ」
「ああ。だけど前にも話したとおり、L.A.警察の取調べは異常だった。カーナビのことなんて誰も訊か
ない。『シカゴから持ってきた箱はどこだ』とばかり訊いてきたんだ。俺は『何のことだか分からな
い』としらばっくれた。そしたら……なぜか翌日、あっさり釈放された」
マーカスは腕を組み、深く思考の海に沈んだ。
迫り来る見えない影。
そして消えない違和感。
L.A.警察がわざわざシカゴの盗品を追い、ターゲットを泳がせるために釈放した?
だとすれば、あの警察は組織として腐っているか、あるいは外部の「誰か」の手先として動いているの
か、なぜシカゴの件を知っているのか?
マーカスは問いを重ねた。
「デレク、シカゴで盗んだその『金塊入りの箱』はどうした? どこかで売ったのか?」
デレクは答えに迷っているのか、ほんのわずかに視線を泳がせた後、小さく答えた。
「L.A.で隠したんだ」
デレクの様子に嘘を言っている気配はなかった。
だが、彼が知っていることのすべてを話したとは限らない。
(シカゴの盗品をそこまで躍起になって欲しがるL.A.の警察……嫌な予感しかしないな。一体デレクは何に巻き込まれているんだ?)
「焦り」
マーカスはL.A.に到着するまでに事態の全貌を掴まねばならないと考えながら、再び西へとトラックを走らせた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
広大な大地を駆けるローカルグルメの数々と、背後に忍び寄る不穏な影。ボロボロのフォードを走らせるマーカスの旅も、いよいよ目が離せない展開になってまいりました。
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次回、第8話は11月2日18:30分更新です。お楽しみに!!




