第二話:Grandpa's Gun(L.A.〜セントルイス)
プロローグ:Grandpa's Gun(L.A.〜セントルイス)
ロサンゼルスの湿った海風を背に、マーカスの古ぼけた作業用トラックは、I-10(州間高速道路10号線)をひたすら東へと向かっていた。
見慣れたパームツリーの並木と、西海岸特有のエンドレスなハイウェイ渋滞を脱し、サンバーナーディーノの乾いた丘陵地帯を越える頃には、華やかなカリフォルニアの空気は完全に息を潜める。
代わってフロントガラスの向こうに広がるのは、容赦なく照りつける白熱の太陽と、ひび割れた大地が地平線の果てまで続く苛烈なモハベ砂漠の入り口だった。
アスファルトから立ち上る陽炎が視界を歪め、乾燥した熱気がエアコンの壊れたキャビン内を容赦なく焼き尽くす。
「長距離の鉄則は二つだ」
マーカスは片手でステアリングを無造作に握りながら、日焼けでひび割れたダッシュボードに転がっているキャメルの箱を指先で弾き出した。
「一つ、ガソリンメーターが半分を切る前に必ず給油すること。二つ、深夜の田舎道で睡 魔と意地を張らないことだ」
灼熱のアリゾナ州フェニックスを抜け、州境を跨いでニューメキシコ州アルバカーキへと至るルートは、ドライバーの精神を容赦なく削り取る単調な一本道が続く。
干からびた荒野のハイウェイ脇には、かつて黄金時代を夢見たうらぶれたモーテルの廃墟や、ネオンの剥げ落ちたルート66の看板が墓標のように佇み、夜ともなれば地元のアウトローたちがたむろする怪しげなロードサイドのバーやダイナーから、泥臭いカントリーミュージックや重低音のラップが闇夜に漏れ聞こえてくる。
そんな乾ききった砂漠のハイウェイの途中で、マーカスはアリゾナ州の寂れたガソリンスタンドに車を停めた。
小腹を満たすために買い求めたのは、地元メキシコ移民のソウルフードである
ソノラ風ホットドッグだ。
香ばしいベーコンをぐるぐると巻きつけた極太のソーセージを、ほんのり甘みのある柔らかいボート型のパンに挟み、煮込んだピント豆、刻みトマト、ハラペーニョ、そしてマヨネーズとサルサをこれでもかとトッピングしたジャンクな代物だった。
油とスパイスで汚れた手でそれを荒々しく頬張りながら、砂漠の乾いた熱気を喉の奥へと流し込む。
ニューメキシコ州の広大な荒野に抱かれたアルバカーキは、サンディア山脈の険しい山影を背景に、かつて多くの旅人が往来した歴史ある旧ルート66の面影を今なお色濃く残す街だった。
乾ききった高地の空気が肌を刺すこの街の片隅で、マーカスがボロボロのトラックを滑り込ませたのは、長距離ドライバーや地元の労働者たちがひっそりと利用する、外壁のペイントが剥げかけた古臭いダイナーだった。
錆びついた看板の下では、年季の入ったネオン管がチカチカと不気味な光を放っている。
ベネチアンブラインドの隙間からまばゆい砂漠の西日が差し込むカウンター席で、マーカスの目の前に置かれたのは、この土地の誇るソウルフード
グリーンチリ・チーズバーガーだった。
分厚い鉄板で香ばしく、かつ肉汁がこれでもかと滴るようにジューシーに焼き上げられたビーフパティの上には、ニューメキシコが誇る誇り高き特産品——直火で黒々とするまでローストされている。
細かく刻まれた青唐辛子の山と、熱でドロドロに形を失うほどにとろけたチェダーチーズが、雪崩のように容赦なくぶっかけられている。
紙ナプキンを何枚も重ねて両手でしっかりと掴み、思いきりにかぶりついた瞬間、ガツンと脳天を突き抜けるような強烈な衝撃が走った。
炭火の香ばしさとあふれ出る肉汁の濃厚な旨味の直後に、青唐辛子特有の突き抜けるような鋭い辛さと野性的な香りが口内を完全に支配し、とろけたチーズのコクがそれを辛うじて包み込む。
ひと口ごとに舌の根がヒリヒリと焼けるような強烈な刺激と、底知れない旨味が津波のように押し寄せてきた。
連日の単調なハイウェイ走行と、どこまでも続く乾いた砂漠の風景で、すっかり麻痺しかけたマーカスの脳みそと鈍った神経を強制的に現実に引き戻し、覚醒させるには、これ以上にないほど荒々しく、そして最高に効き目の早い劇薬だった。
アメリカ大陸を横断する際、最も恐るべき敵は睡魔よりも「給油のタイミング」だった。
特にニューメキシコからテキサス西部の果てしない荒野にかけては、次の大型トラックストップ(PilotやLove'sなど)まで100マイル(約160km)以上、人家すら一切見当たらない死の区間がざらに存在する
こんな場所でガス欠を起こせば、携帯の電波すら届かない灼熱の地獄で、干からびたサボテンのように通りかかる車を待つしかない。
テキサス州アマリロに入る頃、荒涼とした地平線の中に無数の巨大な風車群がプロペラを回し、同時に周囲の牧場から漂う強烈な獣と肥育の匂いが車内に立ち込めた。
マーカスは砂埃を巻き上げ、巨大なトラックストップへとトラックを滑り込ませた。
鼻をつく重油の匂い、アイドリングを続ける無数の18輪トレーラーが奏でる地響きのような重低音、そして夜ともなれば、長距離ドライバー相手の売春婦や怪しげなドラッグディーラーが暗がりに影を落とす、独特の荒んだ夜の妖しさがそこにはあった。
アマリロといえばテキサス牛の本場だ。
マーカスは併設されたトタン屋根のダイナーに入り、皿からはみ出るほど巨大な
チキン・フライド・ステーキ(牛テキのカツレツ)を注文した。
叩いて薄く延ばした上質な牛肉に分厚い衣をつけてカリッと揚げ、その上から濃厚なミルクグレイビーソースをドバドバとかけた、カロリーの暴力のようなテキサスのローカルフードだ。
胃もたれしそうなほどの重たさを、荒々しく淹れられた苦いブラックコーヒーで無理やり流し込む。
それが、この果てしない道中での唯一の気付け薬だった。
車を走らせ続け、オクラホマシティをかすめてI-40を経由し、ミズーリ州セントルイスへと入る。
ミシシッピ川の畔にそびえる巨大なゲートウェイ・アーチが夕暮れの空に冷たいシルエットを浮かび上がらせる頃、トリップメーターの数字はすでに1,500マイルを突破していた。
かつて全米屈指の鉄道の要衝であり、巨大な製鉄所や自動車の組み立て工場、そして広大な醸造所がひしめき合って鉄と煙の富を生み出した巨大工業都市セントルイス。
だが、そのかつての栄光の裏側には、広大な敷地に放置された赤茶けたレンガ造りの巨大工場群や、錆びついた高架鉄道の遺骸が薄暗い影を落とし、街全体がどこか煤けたような重苦しい労働者の空気に満ちていた。
そんな荒々しい工業都市の顔を持つセントルイスの下町では、かつて過酷な溶鉱炉やライン作業で汗を流した鋼鉄労働者たちが、日々の煤煙と疲労を洗い流すためにたむろしていた名残をとどめる、煤けたネオンと古びた看板を掲げた薄汚れたパブに立ち寄り、ビールのお供として愛されてきた名物、マーカスの大好物
トーステッド・ラビオリ(揚げラビオリ)をつまんだ。
四角いパスタの皮にスパイシーなひき肉を詰め、油でカリッと揚げてたっぷりのパルメザンチーズを振りかけたもので、外はサクサク、中はジューシーなその味は、ハイウェイ野郎の荒んだ夜食に完璧にマッチした。
しかし、長旅の疲労は確実にマーカスの肉体と精神を着実に蝕んでいく。
「正直、疲れたな。」
マーカスはハイウェイを降り、ネオン管の文字がいくつか欠けて「MOTEL」の文字すら怪しい、名もなき安モーテルに車を停めた。
一晩40ドルぽっちの部屋は、当然いまどき最新のカードキーではなく、削り出しの真鍮の古い鍵を使うタイプだった。
部屋の扉を開けた瞬間、カビと強烈な安物の芳香剤の入り混じった澱んだ空気が鼻をつく、カーペットにこぼれたビール臭が無いのは幸いだ。
ベッドのシーツは向こう側が透けそうなほど薄く、壁の向こうからは、隣室の男の品のないいびきやテレビの深夜番組のくぐもった重低音が絶え間なく漏れてくる。
だが、修羅場を潜り抜けてきたマーカスにとっては、雨風を防げるだけで上等だった。
用心のため、トラックの荷台の工具箱に頑丈な南京錠をかけ、モーテルの部屋のドアノブの裏側には、外から開けられれば音を立てて落下するように小さな真鍮の鈴を引っかける。
追われる身ではないのだが、もはやそれは長年の染みついた習慣となっていた。
枕のすぐ横に装填済みの「時代遅れの拳銃」スミスアンドウェッソンチーフス2インチを忍ばせた。
そういえば昔、ポリマーフレーム、9mmハイキャパシティー全盛のこの時代に、装弾数たった5発の38口径を手放せないのは、「まるでおじいちゃんの形見のような銃を使い続けるのは、昔気質の自分自身の投影だからだ。」と言われたことがあった気がする。
「誰だったか?なんでそんな話になったのか?」
言った奴のことも、何故そんな話になったのかも全く覚えていない、マーカスは漠然と、そんな他愛もない記憶をたどりながら、靴を履いたまま浅い眠りへと落ちていった。
「Grandpa's Gun」、いかがでしたでしょうか。L.A.を出発し、モハベ砂漠の灼熱からニューメキシコ、テキサス、そしてセントルイスへと至る1,500マイルの過酷な長旅は、まさに胃袋とガソリンの消耗戦でした(道中で胃に流し込んだローカルフードの数々、雰囲気を感じていただけたなら幸いです!)。
そして、枕元に忍ばせた「時代遅れの拳銃」スミス&ウェッソン。昔気質の男の不器用な生き様が、少しでもにじみ出ていれば嬉しいです。
いよいよ、本編の舞台である東海岸のボルチモアへと突入します。
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次回もお楽しみに。




