第78話:半額の嵐、あるいは猫の恩返し
「全品半額、だなんて……いくらなんでも横暴すぎるニャ!」
ミアが窓の外の、商店街の入り口へと続く人の流れを見て、悔しそうに耳(があった場所)をぴくつかせた。
せっかくシルヴィアの呼び込みでこちらに向かいかけていた客足が、大手チェーン店の露骨な価格破壊によって、目に見えて引き剥がされている。
大手資本による力技。それは、どれだけ美味しい料理を作ろうとも、物理的な数字の暴力で存在ごと押し潰す、現実世界で最も冷酷な戦術だった。
「阿良多、向こうの客数と売上の予測は?」
リザがフライパンを握ったまま、冷徹な声でカウンターの阿良多に問いかけた。
その表情には微塵の動揺もない。
かつて他国から経済制裁を受け、物資を止められた経験を持つ彼女にとって、この程度の「兵糧攻め」はむしろ想定の範囲内だった。
「最悪のペースだよ、リザさん。向こうがこの半額キャンペーンを一週間続けた場合、うちの目標売上達成率は40%にまで落ち込む。
僕たちの負け……つまり、ルカくんたちの身柄とこの店が、御子柴の手中に落ちる」
阿良多が眼鏡の奥の目を血走らせ、絶望的なグラフを見つめる。
「……なら、こちらも値下げをすべきか? カイト殿」
シルヴィアが木刀の代わりに背負ったエプロンの紐を握りしめ、悔しげに声を潜めた。
「我が誇りに懸けて、ルカたちをあの老人に渡すわけにはいかん。だが、資金力のない我らが安売りに打って出れば、先に干上がるのはこちらだな……」
「いや、シルヴィア、安売りはこちらの価値を自ら捨てる自殺行為だ」
俺はカウンターを拳で叩いた。
「相手が数を頼むなら、うちは徹底的に『質』と『この街との繋がり』で勝負する。
……ミア、ちょっと頼みたいことがある」
「何ニャ? カイトの命令なら、アタシ何でもするニャ!」
ミアが目を輝かせ、俺の前に進み出た。
彼女の一途な忠誠心と、人間離れした身体能力。それを活かす時が、今この瞬間に訪れていた。
「この商店街の裏路地を一番よく知っているのは、ミア、お前だ。
今から大手チェーンの行列に並んでいる人たち……特に、この街に長く住んでいるお年寄りや、小さな子供を連れたお母さんたちに、これを届けてほしい」
俺は厨房から、焼きたてのハンバーグを挟んだ特製の『ミニ・夜鴉バーガー』を、リザと協力して何十個も包み、ミアの抱える籠へと入れた。
「これは……試食ニャ!?」
「ただの試食じゃないわ、ミア」
リザがニヤリと不敵に笑み、ミアの頭を優しく撫でた。
「その冷たい行列に並んで疲れている人たちに、私たちの『温かい日常の味』を直接脳裏に叩き込んであげるのよ。
安さにつられた人々の心を、その一口の熱量で奪い返しなさい」
「分かったニャ! 街の裏路地ならアタシの縄張りニャ、光の速さで配ってくるニャ!」
ミアが籠を抱え、弾丸のような速度で店の裏口から飛び出していった。
彼女の野生の勘と、迷宮の街で培った隠密行動の技術は完璧だった。
大手の長い行列で、退屈し、足腰を冷やしていたお年寄りたち。
そこへ音もなく現れたミアが、満面の笑みと「これ、うちの特製ハンバーグニャ! 温かいうちに食べてニャ!」という愛くるしい声とともに、熱々のミニバーガーを配り歩く。
一口食べた老人たちの目が、驚愕に見開かれた。
肉汁の旨味と、リザの計算し尽くされた特製デミグラスソースの濃厚なコク。
それは、工場のラインで大量生産されたチェーン店のサンドイッチとは根本的に違う、五臓六腑に染み渡るような「本物の料理」の味だった。
「……ねえ、あっちの喫茶店、すごく良い匂いがするわよ」
「半額の冷たいパンより、あの温かいお肉が食べたいねぇ」
ミアの『草の根の恩返し作戦』は、じわじわと、だが確実に大手の行列を切り崩し始めていた。
一人、また一人と、行列から離脱した客が、喫茶『夜鴉』のドアを叩き始める。
カランコロン、と再び鳴り響く鈴の音。
ルカとリィナが嬉しそうに「いらっしゃいませ!」と声を上げ、店内は再び活気を取り戻し始めた。
「ふん、少しは足掻くようだね、カイト」
その時、阿良多のPC画面の隅に、御子柴の端末から直接、一通のメッセージがポップアップした。
『初日の奇策は見事だ。だが、明日は国税の監査官を君の店に向かわせる。
現実の法律という名の“ルール”で、その不法占拠の身分証(ユキの遺産)を徹底的に洗わせてもらうよ。
二日目で、君たちのその温かい城を書類一枚で封鎖してあげよう』
「……国税だと!? あいつ、本当に公権力を動かしやがった……!」
阿良多が息を呑む。
料理の味だけでは防げない、現実世界の本当の最高権力による、二日目の奇襲。
守り始めた日常の足元に、今度は国家の牙が迫ろうとしていた。




