第74話:最初の徴収、あるいはドアの向こうの影
「カラン、コロン……」
地下室にまで響き渡ったその乾いた鈴の音は、いつもの営業日の始まりを告げるそれとは明らかに違っていた。
空気そのものが一瞬で氷結したかのように、肌を刺すような冷気が階段の上から流れ込んでくる。
「執行官、だと……? 千影のシステムは完全にリセットしたはずなのに、まだ上がいるっていうの?」
リザが保温ボトルを強く抱きしめ、鋭い視線を天井へと向けた。
彼女の持つ王族としての防衛本能が、今までにないレベルの『未知の脅威』を察知して警鐘を鳴らしている。
「……カイトくん、まずい。ビルに残っていた僕の端末のログが、また勝手に書き換えられている」
インカムから阿良多の切迫した声が聞こえた。
「千影が使っていたのは、店主さんとユキちゃんが作ったシステムの“ガワ”だけだったんだ。
そのシステムを現実世界へ物理的に上書きしたことで、この街の土地そのものが持っていた『古い因縁のバグ』が目覚めやがった。
奴らは、この商店街が百年前に作られた時からずっと裏で街を支配している、本当の地主だ……!」
「商店街の、本当の地主……」
俺は親父の顔を見た。
親父は青ざめた顔で「まさか、あの噂は本当だったのか……」とガタガタと膝を震わせている。
この街の古参の住人だけが知る、現実のルールの中に隠された、もう一つの暗部。
「カイト、アタシが先に見に行くニャ。嫌な人間の匂いが、店の入り口からプンプンするニャ」
ミアが静かに牙を剥き、錆びた階段を音もなく駆け上がっていく。
その背中を追うように、俺とリザ、そして腰を抜かした親父を支えながら、ゆっくりと地上へと戻った。
喫茶『夜鴉』の店内は、異様な光景に包まれていた。
窓から差し込む朝の光が、その男の影を床に長く落としている。
入り口に立っていたのは、仕立てのいい灰色の三つ揃えのスーツを着た、初老の男だった。
手には一本の黒いステッキを握り、白髪を綺麗にオールバックに整えている。
その佇まいは、千影のような冷酷な犯罪者とも、暴力団のそれとも違う。
この土地の歴史そのものを背負ってきたような、圧倒的な『本物の権力』の重みがそこにはあった。
「お初にお目に掛かります、喫茶『夜鴉』の新しいマスター。
私はこの一帯の底地を管理しております、御子柴と申します」
老紳士は帽子を軽く持ち上げ、完璧な紳士の礼儀正しさで頭を下げた。
「御子柴……。お前が、さっきのシステムが言っていた『執行官』か?」
俺はカウンター越しに男を睨みつけた。
「いかにも。あなた方が異世界から連れてこられた住人たちを、この街の戸籍に組み込んだ瞬間、我が一族が管理する土地の『許容量』が限界を超えましてね。
彼らが現実に存在するための税金……いわば『存在維持税』として、毎月、この店の売上の八割、もしくは——」
御子柴はステッキで、窓の外の商店街をゆっくりと指し示した。
「あのルカという少年と、リィナという少女の身柄を、我が一族の所有物として差し出していただきます」
「ふざけるなッ! 誰がそんな要求を飲むか!」
俺が怒鳴り声を上げた、その時だった。
店の奥の扉が開き、シルヴィアが5階から連れてきたルカとリィナ、そして阿良多が姿を現した。
御子柴の目が、ルカの胸で今も弱々しく明滅しているエンブレムへと注がれる。
「ほう、あれが噂のコアデータですか。あれを我が一族の古い金庫に納めれば、この街の経済はさらに我らの思い通りになる。
拒むのであれば、明日からこの商店街のすべての銀行口座を凍結し、あなた方を現実の『不法占拠者』として社会的に抹殺いたします。
千影のような若造のハッキングとは違い、我々は本物の法律と国税を動かせるのですよ」
冷酷な現実の壁。
千影のゲームをクリアした直後に現れた、この街の本当の支配者。
だが、その時、シルヴィアが金属製の靴べらを腰に差し直しながら、一歩前に出た。
「御子柴とやら。我が主からこれ以上の略奪を行うというのなら、この私が相手になろう。
現実の法律がどれほど強大であれ、我が騎士の誓いをへし折ることはできん!」
シルヴィアの放つ毅然とした武人の気迫に、店内の空気がピりりと震える。
「フン、威勢がいいですね。では、最初の徴収期限は一週間後。
それまでに、我らが提示する『現実の商戦』で我が一族の息がかかったチェーン店に売上で勝ってみせなさい。
負ければ、二人の身柄はいただきます」
御子柴は不敵に微笑むと、カランコロンと鈴の音を残して、静かに店を出て行った。
千影のハッキング対決から、今度は商店街を舞台にした『リアルな経営戦争』へ。
守り抜いたはずの日常の居場所で、夜鴉たちの新しい、そして最も泥臭い戦いの火蓋が切って落とされた。




