第7話 王女の甘い誘惑と、幸運がもたらす『呪い』の特効薬
「さあカイト、私と一緒に来なさい。王家のすべてを貴方に捧げるわ」
真紅のドレスを揺らし、第一王女エリザベートが俺の腕に豊満な胸を押し当ててくる。
甘く、高級な香水の匂いが鼻腔をくすぐった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 展開が急すぎる!」
俺が慌てて身を引こうとするが、彼女の腕力は見た目に反して強く、がっちりとホールドされてしまっている。
「離れろ泥棒猫! 第一王女殿下といえど、カイト殿にこれ以上の狼藉を働くなら容赦はしない!」
「そうだニャ! カイトはアタシたちの獲物だニャ!」
顔を真っ赤にして剣を抜くシルヴィアと、威嚇のポーズをとるミア。
だが、エリザベートは余裕の笑みを崩さない。
「あら、野良犬と泥棒猫がキャンキャンと煩いわね。近衛兵、この小娘たちをカイトから引き剥がしなさい」
エリザベートの冷酷な命令に、彼女の背後に控えていた王家直属の近衛兵たちが一斉に動き出した。
その動きは、先ほどの公爵の護衛とは次元が違う。
一人一人が一騎当千の練度を持つ、正真正銘の精鋭部隊だ。
シルヴィアも流石に顔を強張らせ、ミアを庇うように構えをとった。
一触即発の空気が流れる。
(まずいな。このままだとシルヴィアたちが怪我をする)
俺がなんとか止めに入ろうと、エリザベートの腕を振り解くために身をよじった、その瞬間。
俺の足先が、地面に落ちていた小さな石ころをピンッと弾き飛ばした。
カァンッ!
弾き飛んだ石ころは、突進してきていた近衛兵隊長のスネの急所にクリーンヒットした。
「ぐわっ!?」
バランスを崩した隊長が前のめりに転倒し、後ろを走っていた兵士たちを次々と巻き込んでいく。
ガシャァァァンッ!
折り重なるように倒れた近衛兵たちが、エリザベートの乗ってきた豪華な馬車に激突した。
その衝撃で、馬車の屋根に積まれていた荷物が宙を舞う。
「危ない!」
俺は反射的にエリザベートの腰を抱き寄せ、落下物から庇うように身を屈めた。
パラパラパラ……トンッ、コトンッ。
俺たちの周囲に降り注いだのは、凶器ではなく、馬車に積まれていた王家御用達の『最高級のティーセットと茶菓子』だった。
それらは見事な放物線を描き、俺たちが直前までバルト公爵の拠点として使っていた天幕のテーブルの上に、寸分の狂いもなく完璧にセッティングされた。
「…………え?」
エリザベートが、俺の腕の中で目を丸くして呟く。
近衛兵たちは重い鎧のせいで起き上がれず、完全に無力化されている。
そして俺たちの目の前には、湯気を立てる最高級の紅茶と、美味しそうなマカロンの山。
「……とりあえず、お茶でも飲みながら話し合わないか?」
俺が苦笑いしながら提案すると、シルヴィアとミアは呆れたように大きなため息をつき、エリザベートはポカンとした後、吹き出すように笑い始めた。
「ふふっ……あはははっ! 噂には聞いていたけれど、本当にデタラメな幸運ね。数十人の近衛兵を一瞬で無力化して、ティーパーティーの準備を整えるなんて」
エリザベートは俺の腕から離れると、面白くてたまらないという顔でテーブルの席に着いた。
「いいわ。貴方の言う通り、少し落ち着いて話しましょう」
俺たち四人は、なぜか迷宮の入り口で、気絶した公爵を放置したまま優雅なティーパーティーを始めることになった。
紅茶を一口飲み、エリザベートは真剣な表情へと切り替わった。
「カイト。私が貴方の『種』……いえ、貴方自身を求めたのには、単なる王家の血を強化するという以上の、切実な理由があるの」
彼女は、俺が持ち帰った青い宝石『女神の涙』を見つめる。
「現在、私の父である国王陛下は、原因不明の『厄災の呪い』に侵されているわ」
「呪い?」
「ええ。命に関わるものではないけれど、陛下の周囲で常に不幸な事故が起こるのよ。書類が燃える、階段から落ちる、暗殺者に狙われやすくなる……そのせいで、国政が完全に停滞しているわ」
なるほど。規模が大きすぎる世界滅亡の危機とかではなく、あくまで国王個人の『不運』という局地的な問題か。
「この『女神の涙』は、その呪いを浄化するために必要だった。でも、このアーティファクトが貴方を選んだ時点で、計画は変わったわ」
エリザベートは俺の手を、両手でそっと包み込んだ。
「貴方のその『幸運』は、陛下の『不運』を完全に打ち消すことができる。どうか、私と一緒に王立別邸に来て、父を救ってくれないかしら」
先ほどの強引な態度とは打って変わった、娘としての切実な願い。
彼女のルビーのような瞳には、国の未来と家族を憂う、本物の悲哀が浮かんでいた。
「……なるほどな。そういう事情なら、最初からそう言ってくれれば」
俺がエリザベートの手を握り返そうとした、その時だった。
カッ……!
俺が触れた彼女の左手から、黒いモヤのようなものが蒸発するように立ち昇り、消え去った。
「えっ……!?」
エリザベートが驚愕の声を上げる。
彼女が常に身につけていた左手の長いシルクの黒手袋が、ボロボロに崩れ落ちたのだ。
その下から現れたのは、白魚のような美しい素肌。
だが、エリザベートは震える手で自分の左手を見つめていた。
「嘘……呪いの痣が、消えている……?」
「呪いの痣?」
「父の呪いが暴走した時、庇った私が受けてしまった『腐敗の呪い』よ。国最高の治癒魔法使いでも治せなかったのに……貴方が触れただけで、完全に浄化されたというの……?」
俺はどうやら、無意識のうちに彼女の長年の苦しみを取り除いてしまったらしい。
エリザベートの目から、大粒の涙が溢れ出した。
「カイト……貴方は、本当に……」
彼女の瞳に浮かんでいた「利用価値のある男」を見る打算的な色が、完全に消え去る。
代わりに宿ったのは、一人の女性としての、痛いほどの熱と情愛だった。
「カイト! 私、絶対に貴方を誰にも渡さないわ! 今すぐ私と結婚してちょうだい!」
「いや、だから極端すぎるって!」
エリザベートが再び俺に抱きつき、シルヴィアとミアが激怒して引き剥がそうとする。
先ほど以上の修羅場が再開されてしまった。
その騒ぎの中。
「エリザベートよ……。迎えが遅いので、余が自ら出向いてしまったぞ……」
馬車の奥から、頭に包帯を巻き、松葉杖をついた初老の男性がフラフラと現れた。
見るからに満身創痍の、この国の国王陛下だった。
「お父様! なぜ安静にしていなかったのですか!」
「いや、ベッドの底が急に抜けてな……。それより、そちらの青年が噂の……おわっ!?」
国王が俺の方へ歩み寄ろうとした瞬間。
彼に取り憑いている『厄災の呪い』が、特濃の不幸を発動させた。
上空を飛んでいた巨大な鳥の魔物が、なぜか国王の真上に見事な直球で『糞』を投下したのだ。
「陛下!」
近衛兵たちが悲鳴を上げる。
だが、俺の『幸運』が、その不幸を上書きする。
俺が王女を引き剥がそうとジタバタした拍子に、テーブルの上のスプーンが弾け飛んだ。
スプーンは空中で回転しながら、投下された鳥の糞にクリーンヒット。
弾き飛ばされた糞は、気絶して倒れていたバルト公爵の口の中に見事ホールインワンした。
「んぐぇっ!?」
公爵が謎の悲鳴を上げてビクンと跳ねる。
「……は?」
国王が、あまりの奇跡的な光景にポカンと口を開けた。
そして、自分の身に何も不幸が起きなかったことに気づき、俺を見て目を輝かせた。
「お、おおおおっ! 余に降りかかる不幸が、逸れたぞ! 素晴らしい! 君、今すぐ余の養子、いや、エリザベートの夫になりなさい!」
「だから、なんでそうなるんだよ!」
こうして、俺の最強の運は、街の領主や公爵の陰謀を粉砕しただけでなく、ついに国のトップすらも虜にしてしまった。
厄介すぎる王族に囲まれ、激化するヒロインたちの争奪戦。
俺の平穏な異世界生活は、音を立てて崩れ去っていくのだった。




