第63話:リセットの朝、あるいは夜鴉たちの品定評
夕暮れの駅の改札口。三年分の空白を埋めるように俺を抱きしめた親父は、ひとしきり泣いた後、背後に立つ奇妙な集団を見て完全にフリーズしていた。
そりゃそうだ。三年間行方不明だった息子が、金髪の乗馬服を着たお嬢様、髪の跳ねた小柄な少女、長身の女騎士、そして見覚えのない少年少女を引き連れて、突如として駅の構内に現れたのだから。
しかも、改札のすぐ横には、昨日まで影も形もなかった喫茶店『夜鴉』が、まるで十年前からそこにあったかのような顔をして建っている。
「……ひとまず、僕の車に乗ってください。駅員たちの目が集まりすぎています」
真っ先に冷静さを取り戻したのは阿良多だった。
彼は現実世界に戻った瞬間、驚くべき手際でスマホを操作し、実家が手配したという大型のワンボックスカーを駅のロータリーに呼び寄せていた。
かつて迷宮の街で情報網を支配していた彼の『管理者』としての手腕は、現実の電子の海でも十分に健在だったらしい。
「カイト、この乗り物は一体何ニャ……? 鉄の獣の匂いがするニャ」
車内に乗り込んだミアが、本革のシートをクンクンと鼻を鳴らして嗅ぎまわる。
猫耳と尻尾は消えても、その野性味溢れる仕草と、俺の袖をぎゅっと掴んで離さない臆病な愛らしさは何一つ変わっていない。
むしろ、耳が隠れたことで際立つ彼女の端正な顔立ちに、親父はバックミラー越しに目を丸くしていた。
「ミア、静かにしなさい。……失礼いたしました、カイトのお父様。私はリザと申します。
あちらの世界では、その……カイトには大変お世話になりました」
リザがシートに深く腰掛け、品良く頭を下げる。
異世界の王女としての気品は、現実の狭い車内であってもいささかも色褪せない。
だが、その耳の付け根がほんのりと赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
俺の無事を誰よりも喜び、数千度の熱を一緒に背負ってくれた彼女が、今になって急に『親父への挨拶』という現実に緊張しているのだ。
「あ、いや……こちらこそ、息子の命を救っていただいたようで。
しかし、あちらの世界、とは……?」
親父の困惑を余所に、車は夕闇に染まる住宅街を抜け、出現したばかりの喫茶店『夜鴉』の裏手へと滑り込んだ。
店の扉を開けると、そこには迷宮の街にあったものと全く同じ、アンティーク調のカウンターと、静かに佇む珈琲サイフォンが並んでいた。
唯一違うのは、ユキがいつも座っていた窓際の席に、一通の白い封筒が置かれていることだけだった。
「これは……ユキちゃんの手紙……?」
ルカがその封筒を拾い上げ、震える指えで開封した。
中から出てきたのは、便箋が一枚と、いくつかの『現実の身分証明書』だった。
『先輩、そして夜鴉のみんなへ。
この手紙が読まれているということは、街の現実化は成功したのですね。
みんなが現実で困らないよう、阿良多さんのハッキングデータを元に、全員分の戸籍と身分証を用意しておきました。
リザさんは私の“遠縁の留学生”、シルヴィアさんは“その警護員”、ミアさんは“引き取り手のない居候”です』
手紙の文字を見つめるルカの目に、涙が溜まっていく。
『だけど、千影さんはきっと、この現実のルールを使ってまた仕掛けてきます。
彼が持つ“もう一枚のコイン”は、現実世界の株や資産のデータを書き換える力を持っているから。
私はシステムのコアを守るため、しばらくこの店の地下のサーバーから動けません。
みんな、どうか先輩のいる日常を、今度はその手足で守ってください』
ユキはまだ、戦っている。
姿は見えなくても、彼女の残した温かい意志が、この喫茶店を包み込んでいるのを感じた。
「なるほどね……。千影の奴、あっちの街のデータをこっちの『電子市場』に変換しやがったか」
阿良多がノートPCの画面を叩きながら、苦々しい声を上げた。
「見てくれ。現実世界の特定の休眠会社の株価が、数分前からの異常な取引で跳ね上がっている。
千影は、迷宮の街で集めたプレイヤーたちの『欲望の熱量』を、そのまま現実の莫大な資金力に化けさせたんだ。
この街の土地や建物を買い漁って、リアルな迷宮を作ろうとしてる」
「資金力、か……」
シルヴィアが右腕を力強く回しながら、不敵に笑った。
「ならば、力尽くで叩き潰すまで。私の右腕は、現実の肉体を得てさらに冴え渡っているぞ、カイト殿!」
「いや、現実で暴力を振るったら一発で警察に捕まるからな、シルヴィア」
俺は苦笑しながら、火傷の痕が残る右の手のひらを握り締めた。
千影が仕掛けてきたのは、現実のルールを用いた『日常の浸食』だ。
世界を滅ぼす魔王が現れたわけじゃない。この小さな街の、すぐそこにある経済や日常の裏側で、あいつのゲームは続いている。
「親父。詳しいことは追々話す。……だけど、ここにいるみんなは、俺の命の恩人なんだ」
俺は親父の目を真っ直ぐに見据えた。
親父はしばらく俺の顔と、夜鴉のメンバーを見比べ、やがて深くため息をついた。
「……カイト。お前が三年間、どんな地獄を潜り抜けてきたかは分からん。
だが、その目を見れば、嘘を言っていないことくらい分かる。
飯はどうする? 三年ぶりの我が家だ、お前たちの分の肉くらい、いくらでも買ってきてやる」
「アタシ、肉食べたいニャ! 骨付きがいいニャ!」
ミアが真っ先に手を挙げ、リザが「これ、ミア、はしたないわよ」と嗜める。
その光景を見て、親父の顔にようやく小さな笑みがこぼれた。
みんなで勝ち取った、不揃いで、けれど愛おしい日常の始まり。
俺はポケットの中で小さくバイブレーションを返したスマホを取り出し、千影のアドレスに向けて一言だけ返信を打ち込んだ。
『いつでも来い。お前のゲーム、夜鴉の全員で買い取ってやる』
その瞬間、喫茶店の外の街灯が一斉に点灯し、俺たちの新しい戦いの舞台を明るく照らし出した。




