第43話:折れた鍵、あるいは静かなる侵食
「……嘘だろ、ルカ。これ、いつからだ?」
俺が息を切らして駆け込んだ公園のベンチ。
そこで、ルカは朝の光を避けるように、うつむいて座っていた。
彼の手の中にある黄金の鍵は、かつて運営の論理を跳ね返した時の輝きを失い、
中心から無残なひび割れが走り、今にも粉々に砕け散りそうだった。
「……昨日、カイトさんがあの『第三の扉』をこじ開けた瞬間からです。
この街を隔離し、維持するためのエネルギーが、僕の鍵の許容量を超えてしまいました」
ルカの声は、風に消えそうなほど細い。
彼は自分の透け始めた指先を見つめ、力なく微笑んだ。
「この街は、奇跡のようなバランスで成り立っています。
僕が『防壁』となり、君たちの『意志』が街の形を繋ぎ止めている。
……でも、僕の寿命が尽きれば、この街は霧に飲み込まれ、元のデータに戻るでしょう」
「そんなの、絶対認めないニャ! ルカがいなくなっちゃうなんて、アタシが許さないニャ!」
ミアがルカの膝に飛び乗り、必死に彼の服を掴む。
だが、その手はルカの体を通り抜け、虚空を掴んだ。
「物理干渉すら不安定になっているのか……。阿良多、何か手はないのか!」
俺は、隣で深刻な顔をしてタブレットを操作する阿良多に詰め寄った。
「……厳しいね。この街を維持するためのエネルギー源は、システムからの供給を断たれている。
今はルカくんの魂とも言える『観測データ』を燃やして、無理やり灯を灯している状態だ。
……あと三日。早ければ、明日の夜にはこの街の半分が霧に溶ける」
阿良多の冷徹な分析に、場が凍りつく。
シルヴィアは悔しげに拳を握り、ユキは日記帳を抱きしめたまま震えていた。
「……三日、か。なら、その間にあの『古道具屋』を見つけ出すしかない」
俺は、先ほど路地裏で見た光景をみんなに話した。
包帯の店主、青い小瓶、そしてルカの鍵が折れることを予言していたあの言葉。
「カイト、あのお店に行くのは危険よ。
あの男は、あなたの『記憶』を餌に、何かを企んでいるわ」
リザが鋭い口調で警告する。彼女の勘は、いつも正しい。
だが、ルカの体が消えかかっている今、俺に迷っている時間はなかった。
「危険だろうが、罠だろうが関係ねぇ。
ルカが消えるのを指をくわえて見てるなんて、この街にいる資格がねぇよ」
俺はリザの肩を軽く叩き、ルカに向き直った。
「ルカ、お前はここで休んでろ。……絶対に、お前を消させたりしない。
この街の住人は、全員揃って『明日』に行くんだ。……いいな?」
「……カイトさん。あなたは、いつも不合理な選択ばかりしますね」
ルカの瞳に、ほんの少しだけ生気が戻った気がした。
俺たちは二手に分かれることにした。
阿良多とユキ、シルヴィアはルカの防壁を補強する方法を。
俺とリザ、ミアは、消えた『境界線古道具店』の再出現ポイントを探す。
だが、街を捜索し始めて数時間。
俺は、あることに気づいて背筋が凍った。
街の至る所にある「鏡」や「窓ガラス」の中に、
俺たちを監視するような、包帯を巻いた無数の『店主』が映り込んでいたのだ。
「……お前らには、これが見えるか?」
俺がリザとミアに問いかけると、二人は首を横に振った。
店主の姿は、俺にしか見えていない。
『……欠番の君。準備はできましたか?
君の過去を差し出せば、その少年の命は救える。
……ただし、君という存在の半分は、永遠に私の棚に並ぶことになりますが』
耳元で囁かれる不気味な声。
街全体が、俺を誘い込む巨大な罠に変わっていく。
そしてその時、空から「カラン、カラン」と、
喫茶店のドアが開くような、不吉なベルの音が街中に鳴り響いた。
空の一部が、まるで古びた壁紙を剥がすようにめくれ上がり、
そこから、漆黒の「霧」とは異なる、もっと禍々しい「何か」が溢れ出そうとしていた。
物語は、自己犠牲か、あるいは世界の崩壊かという、
かつてない残酷な天秤を俺の前に突きつける。




