第42話:境界線の古道具屋、あるいは売れ残りの記憶
パッチワークの街の朝は、驚くほど静かに始まった。
管理システムの無機質なアナウンスが消えた代わりに、近所のパン屋から流れてくる香ばしい匂いと、誰かが石畳を掃く規則的な音が、新しい世界のBGMになっている。
「……カイト、見て。このお店、昨日まではなかったはずよ」
リザ――エリザベートが、俺の袖を引いて足を止めた。
そこは、大通りから一本入った路地裏。
レンガ造りのアパートと、現代風のコンクリート壁がぶつかり合う歪な角地に、古びた木製の看板を掲げた小さな店が「生えて」いた。
『境界線古道具店』
「阿良多が言ってたな。この街はまだ不安定で、隔離されたデータの破片が時々流れ着くって」
俺は警戒しながら、半開きのドアを押し開けた。
店内に漂うのは、古い紙の匂いと、どこか懐かしいお香の香り。
棚には、電池の切れた懐中電灯や、異世界の魔法文字が刻まれたひび割れた水晶、さらには誰のものかもわからない「色褪せた写真」が雑然と並べられている。
「いらっしゃい。……おや、珍しい客人が来たものだ」
カウンターの奥から顔を出したのは、顔の半分を大きな包帯で覆った、痩せ細った店主だった。
「あんた、この街の住人か? それとも……」
「どちらでもあり、どちらでもない。私はただの『ゴミ拾い』ですよ。
システムが捨てたゴミを拾い集め、価値を見出すのが私の仕事だ」
店主は不気味に笑い、一本の古びた「銀色の鍵」を磨き始めた。
その形は、ルカが持っていた黄金の鍵に酷似している。
「カイト、この人……なんだか嫌な予感がするニャ。
魔法の匂いじゃないけど、消えたはずの『掃除屋』の匂いがするニャ……」
ミアが俺の背中に隠れ、低く唸り声を上げる。
シルヴィアも無意識に腰の木刀へ手を伸ばしていた。
「……おっと、物騒な真似はやめていただきたい。
私はただの商人だ。例えば……カイトさん。
あなたは、自分が『ここに来る前の記憶』を、本当に全て持っていると言い切れますか?」
店主の言葉に、俺の心臓が不自然なほど大きく跳ねた。
大学、講義、平凡な日々。それらは確かに俺の頭の中にある。
だが、その細部を思い出そうとすると、霧がかかったようにぼやける瞬間があった。
「……どういう意味だ」
「あなたが捨てた『余分な記憶』。あるいは、運営が隠した『不都合な真実』。
それを買い取ったのが、私というわけですよ」
店主は棚から、小さな青い小瓶を取り出し、カウンターに置いた。
中には、蛍のような淡い光が一つ、閉じ込められている。
「これは、あなたがある夜に流したはずの、けれど記憶から消された『涙』です。
これを開ければ、あなたがなぜこの世界に『欠番』として選ばれたのか……その本当の理由がわかる」
「……待ちなさい。その言葉、そのまま信じるわけにはいかないわ」
エリザベートが凛とした声で割って入る。
彼女は店主を真っ直ぐに射抜き、俺の前に立ちはだかった。
「カイトが何者であっても、私たちは今ここで一緒に生きている。
過去の破片で、今の彼を惑わせないで」
「くっくっ……。流石は王女様だ。だが、カイトさん。
あなたは本当に、この小さな『隔離フォルダ』の中だけで満足できるのですか?
霧の向こう側には、まだ何百もの『失敗した世界』が転がっているというのに」
店主が指を鳴らすと、店内の鏡が一斉に曇り、そこに見たこともない景色が映し出された。
雪に覆われた廃墟、機械仕掛けの砂漠、そして……俺とよく似た顔をした者たちが倒れている戦場。
「……阿良多に知らせるべきだな。この店は、ただのバグじゃない」
俺はエリザベートの手を引き、店を後にしようとした。
だが、背後から聞こえてきた店主の最期の言葉が、呪いのように耳にこびりついた。
「ルカ君の鍵は、もうすぐ完全に折れますよ。
その時、この街の防壁は消え、霧の向こうから『本当の絶望』が押し寄せる。
……その瓶が必要になったら、また来なさい」
店を出て振り返ると、そこにはただの空き地が広がっていた。
店も、看板も、店主の気配も、最初からなかったかのように。
「カイト……大丈夫?」
エリザベートの心配そうな声に、俺は努めて明るく頷いた。
だが、俺の手は微かに震えていた。
街を包む穏やかな朝の光の中に、一筋の影が落ちる。
平和を手に入れたはずの俺たちの前に、世界の根源に関わる、より巨大な「謎」が口を開けて待っていた。
「……ルカのところへ行こう。あいつの鍵が、どうなってるか確かめなきゃならない」
俺たちは、まだ目覚めたばかりの街を走り出した。
その頭上、パッチワークの空の端が、ほんの一瞬だけ、紙が燃えるように黒く焦げた気がした。




