第31話:綻びの再会、あるいは最初の嘘
図書室の重厚な扉が、軋んだ音を立ててゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、漆黒の霧を纏った怪物でも、無機質な掃除屋でもなかった。
着古した安物のビジネススーツの上に、錆びついた胸当てを強引に括り付けた、一人の疲れ果てた男だった。
「……ガウザー? まさか、お前なのか」
シルヴィアが驚愕に目を見開き、剣を構えたまま硬直する。
その男は、かつて王都の守護騎士団を裏切り、カイトたちが最初に死闘を繰り広げた「始まりの敵」――剛力のガウザーだった。
だが、かつての威圧感はない。頬はこけ、目は落ち窪み、その体からはデジタルの砂が絶え間なくこぼれ落ちている。
「……『ガウザー』か。懐かしい響きだ。今の俺には、そんな立派な識別コード(なまえ)は残っちゃいねぇよ」
男は自嘲気味に笑い、図書室の壁に力なく背を預けた。
その頭上には、名前の代わりに『Error_Object_001』という、バグを象徴する不吉な文字が明滅している。
「お前……生きていたのか。あの時、確かにシステムは貴殿を『消去』したはずだ」
シルヴィアの問いに、男は震える手で懐から一本の「ひしゃげた煙草」を取り出し、火もつけずに口に咥えた。
「消去されたさ。ここは『ゴミ箱』の中だからな。……だが、世界が再定義された拍子に、データの底から這いずり出してきたのさ。俺のような『設定ミス』の連中がな」
阿良多が鋭い目付きで男を観察し、眼鏡の奥で思考を巡らせる。
「……設定ミス? 君は、自分がこの世界の住人ではなく、作られたデータだと自覚しているのか?」
「自覚も何も、俺の記憶の半分は、大学の掲示板に貼られた『落単者リスト』でできてる。もう半分は、中世の拷問官の記録だ。……めちゃくちゃなんだよ、この体の中は」
男が吐き捨てた言葉に、俺は背筋が凍るような感覚を覚えた。
パッチワークの世界は、ただ景色が混ざっているだけじゃない。存在そのものが、不条理に継ぎ合わされている。
「……先輩、この人の『核』が、外の掃除屋たちを呼び寄せています」
ユキがタブレットを抱きしめ、怯えたように男を見つめた。
彼の体から溢れるノイズは、ガベージ・コレクタにとっての「最高級の餌」なのだ。
「おい、お前……何を企んでここに来た。俺たちを売って、自分の消去を免れようってのか?」
俺が鉄の棒を突き出すと、男は弱々しく首を振った。
「逆だ。俺を……俺という『エラー』を、お前たちの手で完全に殺してほしくて来たんだよ。
……このままじゃ、俺は掃除屋に食われ、奴らの一部になっちまう。そうなれば、この街の『隙間』もろとも、お前らも消されるぞ」
その瞬間、図書室の外で、地鳴りのような咆哮が響いた。
これまでとは比較にならない、巨大な質量を感じさせる足音。
窓の外を見ると、数千もの掃除屋が一つに溶け合い、街を丸ごと飲み込もうとする「漆黒の津波」と化していた。
『再定義、失敗。……全セクターの強制フォーマットを開始する』
「……っ! 全員、俺の後ろに下がれ! 阿良多、この部屋の入り口を封鎖しろ!」
「無理だ、カイトくん! 物理的な障壁じゃ、あの概念の塊は止められない!」
阿良多の絶望的な叫び。ミアは牙を剥き、シルヴィアは震える拳を握りしめる。
俺たちが手に入れた「不確実な日常」は、今、あまりにもあっけなく終わりを告げようとしていた。
だが、隣に立つエリザベートが、俺の服の裾を強く、強く引いた。
「……カイト。あの日、貴方は言ったわよね。期待値なんて関係ない、自分が信じた一パーセントを掴み取るって」
彼女の瞳には、かつての王女としての気高さではなく、一人の「共犯者」としての不敵な光が宿っていた。
「……ああ。そうだったな。一回きりの全ツッパだ」
俺はポケットの中で熱を帯び続ける「スマートフォンの破片」を、あえて床に叩きつけた。
そして、そのまま足で力一杯踏みつける。
バキィィィィィンッ!!
砕け散ったガラスの破片から、青白いプラズマのようなノイズが噴き出した。
『隠しクエスト:自分自身の名前を取り戻せ。……中間プロトコル、承認』
『権限代行:高木海斗。……これより、一時的に「世界のバグ」を定義し直します』
「……ガウザー、いや、名前も知らないおっさん。……あんたのその『エラー』、俺が全部買い取ってやるよ!」
俺はノイズの渦の中に手を突っ込み、男の胸から溢れる「漆黒の呪い」を、素手で掴み取った。
「なっ……!? 小僧、何を……! 貴様まで消えるぞ!」
「消えねぇよ。……俺は、もっといい名前をこれから見つけるんだからな!」
俺の腕を伝って、猛烈な「情報量」が流れ込んでくる。
大学の講義、パチンコ屋の喧騒、介護施設の匂い、そして仲間たちと過ごした異世界の記憶。
それらが渾然一体となって、俺の手の中で一本の「光り輝く鍵」へと形を変えていった。
「シルヴィア、ミア! あの津波の『中心』を狙え! ユキ、隙間の座標を最大まで広げろ!」
「……了解だ! カイト殿、貴殿が道を拓くなら、私はその先にある地獄まで供をしよう!」
「アタシの最高速度、見せてやるニャアアアッ!」
俺たちは、押し寄せる漆黒の絶望に向かって、真正面から飛び込んだ。
鍵が虚空を切り裂き、パッチワークの空に巨大な「亀裂」が走る。
それは破壊ではなく、この世界の「本当のルール」を書き換えるための、最初の一行。
光の中で、俺はガウザーだった男の、満足げな微笑みを見た気がした。
だが、光が収まった時。
俺たちの前に立っていたのは、掃除屋の残骸ではなかった。
現代の警察官の制服を着た、けれど腰には剣を差した、冷徹な目をした男たち。
「……確保だ。現実と幻想の境界を荒らす、不法入国者ども」
彼らが掲げた警察手帳には、王都の紋章と「世界管理室」の文字が刻まれていた。
物語は、さらに複雑で、逃げ場のない「管理社会」の核心へと引きずり込まれていく。
「……お前ら、何者だ?」
俺の問いに、リーダー格の男が冷たく答えた。
「君たちが『神』と呼んでいたシステムの、運営担当だよ」
世界の裏側が、ついにその正体を現した。




