第28話:最果ての講義室と、空っぽの期待値
静まり返った講義室。窓の外には、夕暮れ時の大学の風景が広がっていた。
それは俺が通っていた、どこにでもある退屈で、けれど平穏だった日常の断片。
「驚いたかい? ここは情報の墓場であり、この世界の唯一の『真実』が保存されている場所だ」
教壇に座り、俺と同じ顔をした男が、所在なげにノートを広げながら言った。
「お前は……誰だ。システムの化身か? それとも俺の偽物か」
俺はスマートフォンを構え、男を鋭く睨みつける。
「どちらでもあり、どちらでもない。僕は君が『あの日』のギャンブルに勝っていれば、ここに座っていたはずの未来……高木海斗の残滓さ」
男は自嘲気味に笑い、黒板に一つの数式を書き込んだ。それは、この世界の全てを支配する「運命の期待値」の正体だった。
「この世界は、現実で敗北した君の『やり直したい』という強い未練が作り出した、巨大なシミュレーターなんだよ」
「……未練? 俺がこの世界を作ったっていうのか」
「そう。君は幸運に愛されたかった。だから、圧倒的な強運を持つ『主人公』としての自分を定義した。それがこの冒険の始まりだ」
男の言葉が、俺の脳内にこびりついていた違和感を次々と解き明かしていく。
なぜ、最初にあれほどの幸運に恵まれたのか。なぜ、シルヴィアやエリザベートのような都合のいい「仲間」が目の前に現れたのか。
それは全て、俺が深層心理で望んだ「理想の物語」をシステムが自動生成していたからに過ぎない。
「だが、皮肉なものだね。君は自分の幸運を捨て、システムが想定していなかった『仲間との絆』なんて不確実なものに賭け始めた」
男は教壇から降り、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。
「その結果、システムは限界を迎えた。ヴェノムも、阿良多も、ユキさんも、君が捨てた『可能性』のゴミ箱から生まれたエラーに過ぎないんだよ」
「……ゴミ箱だと? あいつらにはあいつらの人生があった。俺が作った人形なんかじゃない!」
俺は激昂し、男の胸ぐらを掴み上げた。だが、その手には何の感触もなかった。
「熱くならないでくれ。君が彼らを信じるたびに、世界の解像度は上がっていった。それは認めるよ」
男は俺の手をすり抜け、窓の外の「夕暮れ」を指差した。
「でもね、カイト。この再起動が完了すれば、君の記憶も、彼女たちの存在も、全てゼロに戻る。……それが『初期化』の真の意味だ」
『カウントダウン:残り60秒。……全データの消去プロセスを開始します』
講義室の壁が、端からデジタルなノイズとなって崩れ始めた。
「君に選択肢をあげよう。このまま全てを消して、現実の大学のベッドで目を覚ますか。……それとも、僕を消して、君自身がこの世界の『孤独な神』として君臨し続けるか」
究極の二択。現実への帰還か、偽りの世界の王か。
どちらを選んでも、シルヴィアの忠誠も、ミアの笑顔も、エリザベートの温もりも、永遠に失われる。
「……ふざけんな。俺がパチンコやスロットで学んだ一番大事なことを教えてやるよ」
俺はスマートフォンの画面を、男の鼻先に突きつけた。そこには、俺と仲間たちが繋いだ『共同戦線の導き』のラインが、黄金色に輝き続けていた。
「負けが込んで、もう種銭が尽きそうになった時……一番の禁じ手はなんだか知ってるか?」
男が怪訝そうに眉をひそめる。
「それはな……『台を捨てること』じゃない。『自分なら勝てる』っていう、根拠のない自信を捨てることだ」
俺は、自分のスマートフォンを床に叩きつけた。
パリン、という硬質な音と共に、画面が粉々に砕け散る。
「管理者権限なんて、最初からいらねぇんだよ。俺は、俺が信じた『不確実な仲間』と一緒に、この理不尽な設定をぶち壊してやる!」
俺が叫んだ瞬間、砕けたスマートフォンの破片から、凄まじい「バグ」の奔流が溢れ出した。
それは管理者の男が予測していた「二つの選択肢」のどちらでもない、第三の道。
「なっ……自分のデバイスを破壊した!? 管理者としての存在証明を捨てるなんて、自殺行為だぞ!」
「いいや。これが『全ツッパ』の真骨頂だ!!」
俺の背後から、虚空を切り裂いてシルヴィアの長剣が突き出された。
続いてミアが、エリザベートが、阿良多が、ユキが。
次元の壁を食い破り、俺たちが紡いできた「絆」という名のノイズが、最果ての講義室に雪崩れ込んでくる。
「カイト殿! 迎えに来たぞ!!」
「もう一人で勝負させないニャ!!」
仲間たちの叫びが、無機質なシステムを内側から爆破した。
講義室が崩壊し、俺たちは再び、光り輝く王都の空へと放り出された。
だが、そこに待っていたのは、勝利の凱歌ではなかった。
『重大な不具合を検知。……世界は『未定義の状態』へと移行します』
空が、海が、大地が。色が混ざり合い、全く新しい「誰も知らない世界」へと再構築され始めたのだ。
俺の手を握るエリザベートの感覚だけが、この狂った世界で唯一の現実だった。
「……さあ。新しいゲームの始まりだ、みんな」
俺たちは、運命のダイスが振り下ろされた直後の、真っ白な未来へと突っ込んでいった。




