第24話:融解する境界線と、歪んだ正義
市場を飲み込んだ白銀の激流が引き、王都に静寂が戻る。
だが、俺の手の中にあるスマートフォンは、かつてないほど不吉な「熱」を帯びていた。
「……カイト。あの男が言っていたこと、本当かしら」
エリザベートが、濡れたドレスのまま俺の隣に立つ。
彼女の瞳には、阿良多を操り、デバイスを強奪した『蛇の舌』の刺青の男への怒りと、未知の脅威への不安が混ざり合っていた。
「魔法とシステムの融合……。あり得ない話じゃない。
阿良多の効率性と、この世界の理不尽な魔力が混ざれば、世界は『計算通りに魔法が発動する』地獄に変わる」
俺は意識を失った阿良多を神崎に預け、市場の喧騒から離れた日陰へと移動した。
「カイト殿、見てくれ。……私の剣が、共鳴している」
シルヴィアが差し出した打ち直しの長剣。
その刃が、不気味な黒いノイズを放ちながら震えていた。
それは、地下で神崎のバグを切り裂いた時に宿した『システムを拒絶する力』。
それが今、何者かの手によって「世界の理」が書き換えられようとしていることに、本能的な警告を発しているようだった。
「嫌な匂いが強くなってるニャ。……さっきの清潔な匂いに、ドブ川のような悪意が混ざった……最悪の匂いだニャ」
ミアが鼻をひねり、市場の北門――『蛇の舌』が消えた方角を睨みつける。
その時、俺のスマートフォンが激しく振動し、画面いっぱいに赤いノイズが走った。
『同期率:100%。……魔法体系の論理化(ロジック化)が完了しました』
『これより、全市民に対して「最適化された魔力徴収」を開始します』
「なっ……!?」
悲鳴は、市場の至るところから上がった。
ついさっきまで俺たちを祝福していた市民たちが、一斉に胸を押さえて膝をつく。
彼らの体から、淡い光――魔力の残滓が無理やり吸い取られ、空へと昇っていくのが見えた。
「……魔力徴収!? 魔法を使えない平民からまで、命の源を奪うつもりか!」
エリザベートが叫ぶ。
魔力を奪われた彼女にはわかる。これがどれほど残酷な「効率化」であるかを。
「あはは……素晴らしい。これですよ、これこそが真の救済だ」
空が割れるような音が響き、王都の上空に「巨大な魔法陣」が展開された。
だが、それは幾何学模様ではなく、無数の「回路図」と「プログラムコード」で構成された、異形の魔陣だった。
「ようこそ、新しい管理の世界へ。……高木くん、君の『絆』とやらで、この圧倒的な『システム』に勝てるかな?」
空中から降りてきたのは、先ほどの刺青の男――ヴェノム。
彼は融合したデバイスを掲げ、不敵に笑う。
ヴェノムの背後には、魔力を強制的に吸い上げられ、人形のように動く『蛇の舌』の精鋭たちが控えていた。
「お前……! 自分の仲間までシステムに繋いで、何をさせる気だ!」
「ただの再利用ですよ。死にゆく者の魔力を、一滴残らず有効活用する。……これぞ阿良多くんが求めた『究極の効率』でしょう?」
ヴェノムが指を鳴らす。
すると、空中の魔陣から黒い稲妻が放たれ、シルヴィアの目の前に着弾した。
ドォォォォンッ!!
「……っ!? 速い、速すぎる……! 予備動作が全くなかったぞ!」
シルヴィアが間一髪で回避するが、稲妻が落ちた石畳は、熱で溶けるのではなく「デジタルなノイズ」となって消滅していた。
魔法という「現象」が、システムという「計算」によって省略され、発動した瞬間に結果へと直結する。
これが、融合された権限の恐ろしさだった。
「カイト、指示を! あの魔陣を壊さない限り、王都中の人が干死んじゃうニャ!」
ミアが飛び出そうとするが、俺は彼女の手を強く掴んだ。
「待て、ミア! 今行っても、あいつの『計算』に捕捉されるだけだ。……俺たちに必要なのは、あいつの予測を上回る『バグ』だ」
俺は自分のスマートフォンの画面をスワイプし、隠しコマンドを入力した。
阿良多との勝負で手に入れた、あの「黄金の光」の残滓をすべて注ぎ込む。
『緊急プロトコル:アンチ・ロジックを展開。
……「不確定要素」をシルヴィアの剣へ転送します』
「シルヴィア! その剣に俺の全権限を乗せる!
呪いでもウイルスでもいい、あいつの『完璧な計算』に、泥を塗り込んでやれ!!」
「承知した……!! 我が主、そしてこの国の民のために……この命、バグとなって散ってみせよう!」
シルヴィアの長剣が、どす黒く、しかし気高く輝き始める。
それは、正義という名の「非効率な情熱」が宿った、唯一無二の武器。
だが、ヴェノムは冷たく笑い、デバイスを操作した。
「無駄ですよ。……『プレイヤー2』が、既に承認されましたから」
その瞬間、王都の北門が轟音と共に崩壊した。
土煙の中から現れたのは、巨大な魔物でも軍勢でもない。
カツ、カツ、と。
革靴の音を響かせ、一人の少女が歩いてきた。
彼女は、俺の大学の図書館でいつも本を読んでいた、無口な後輩――「ユキ」だった。
だが、彼女の手には阿良多のものをも超える、漆黒のタブレットが握られている。
「……先輩。やっぱり、ここにいたんですね」
ユキの瞳には感情がなく、その声は機械のように冷たかった。
「ユキ……お前まで、この世界に……?」
「私はヴェノムさんたちとは違います。……私はただ、この歪んだ世界を一度『初期化』して、
先輩と二人だけの、静かな箱庭を作りたいだけなんです」
彼女がタブレットを操作した瞬間、王都全体の時間が、今度こそ完全に「停止」した。
俺たち四人を除いて、風も、火も、人々の呼吸さえも。
『最終試練:真冬の箱庭を開始します』
ユキという名の、最恐の「プレイヤー2」。
彼女が求めたのは支配ではなく、世界の「完全な沈黙」だった。
俺の指が、恐怖でわずかに震える。
かつてない孤独な戦いが、凍てつく王都で幕を開けようとしていた。




