第2話 借金まみれの姫騎士と、ただの幸運な紙くず
「……えっ?」
姫騎士シルヴィアの素っ頓狂な声が、静まり返ったカジノのフロアに響いた。
無理もない。
誇り高き騎士が、ルーレットの景品として「お持ち帰り」されるなど、彼女の人生設計のどこにも存在しなかったはずだ。
だが、彼女以上に焦っていたのは、カジノの支配人だった。
「お、お持ち帰り……? シルヴィアをですか?」
「ああ。金貨1000枚を一括で払えないなら、彼女の身柄で手を打つ。あんたにとっても悪い話じゃないだろう?」
俺が淡々と告げると、支配人の顔に下劣な笑みが浮かんだ。
「なるほど! 彼女は我がカジノに莫大な借金がありましてね。その借金と金貨1000枚を相殺するというなら、喜んでお譲りしましょう!」
「支配人! 貴様、私を売るというのか!」
シルヴィアが激昂し、腰の剣に手をかける。
だが、支配人は鼻で笑って一枚の羊皮紙を懐から取り出した。
「売るも何も、お前はただの借金のカタだ。この『魔力契約書』がある限り、お前は私の命令には逆らえない」
その羊皮紙を見た瞬間、シルヴィアの顔から血の気が引いた。
魔力契約書。
どうやらこの世界には、契約者の自由を強制的に奪う厄介なアイテムが存在するらしい。
シルヴィアは唇を噛み締め、悔しそうに俯いた。
「……くそっ。弟の薬代のために、こんな奴から金を借りるんじゃなかった……」
ぽつりと漏れたその言葉で、彼女の事情がなんとなく読めた。
どうやら遊興費で借金を作ったわけではなく、家族のための苦渋の決断だったようだ。
真面目で家族思い。
その上、これほどの美貌と剣の腕を持つ騎士。
キャラクターの深みとしては申し分ない。
「ほら、これが彼女の契約書です! さあ、これでもう金貨1000枚の支払いはチャラですからね!」
支配人は逃げるように俺に羊皮紙を押し付けた。
俺がそれを受け取った瞬間、シルヴィアが絶望に満ちた瞳で俺を睨みつける。
「……好きにしろ。私の所有権は貴様に移った。煮るなり焼くなり、どうとでもするがいい」
気丈に振る舞っているが、その声は微かに震えていた。
見ず知らずの男の所有物になる恐怖と、騎士としての誇りがせめぎ合っているのだろう。
俺は羊皮紙をまじまじと見つめた。
「これが、君を縛っている契約書か」
「そうだ。それに逆らえば、全身の血が沸騰する呪いがかかっている。……悪趣味な代物だ」
「なるほど。それは厄介だな」
俺は頷き、そして。
ビリッ。
なんの躊躇いもなく、その魔力契約書を真っ二つに破り捨てた。
「なっ……!?」
「あ……?」
支配人とシルヴィアの声が重なる。
「ちょっと待て! 何をしている! それは絶対の効力を持つ魔力契約書だぞ!」
「いや、ただの紙切れだよ、これ」
俺は破れた羊皮紙の断面を指差した。
そこには、契約の証であるはずの魔力の光など、一切宿っていない。
「シルヴィア。君、本当に契約の呪いを感じていたか?」
俺に問われ、シルヴィアはハッとして自分の胸に手を当てた。
「……い、いや。言われてみれば、契約を交わした日から、一度も呪いの苦痛を感じたことはない。私が勝手に思い込んでいただけだ……」
そう。
俺の『幸運値MAX』が、ただの紙切れを掴ませるはずがないのだ。
この支配人は、高価な本物の魔力契約書を使うのをケチり、偽物の羊皮紙でシルヴィアを騙してタダ働きさせていたのである。
「き、貴様! なぜそれが偽物だとわかった!」
支配人が狼狽し、後ずさりをする。
その時だった。
支配人の踵が、カジノの床の不自然に浮き上がった木の板に激突した。
バキィッ!
派手な音とともに床板が割れ、中から隠し金庫のような小箱が転がり出てきた。
箱の蓋が開き、中から大量の書類がばら撒かれる。
それはただの書類ではなかった。
「……なんだこれは。領主への贈賄記録? 違法薬物の密売ルート? ……それに、私の弟に毒を盛ったのは、支配人、貴様の指示だったというのか!?」
ばら撒かれた書類を拾い上げたシルヴィアの声が、氷のように冷え切った。
彼女の弟の病気は、この支配人が仕組んだ罠だったのだ。
恩を売って借金を背負わせ、優秀な騎士を自分の手駒にするための、卑劣なマッチポンプ。
「ち、違う! それはでっち上げだ!」
「カジノの裏帳簿が、こんな都合よく床下から出てくるなんてな。運が悪かったな、支配人」
俺が肩をすくめると、カジノの入り口から武装した都市衛兵たちが雪崩れ込んできた。
「今の騒ぎは何だ! ……むっ、あれは領主様が探していた裏帳簿! 支配人、貴様を横領と数々の違法行為の容疑で連行する!」
衛兵たちに両脇を抱えられ、支配人は惨めに喚きながら引きずられていった。
あっという間の出来事に、カジノの客たちは呆然と立ち尽くしている。
シルヴィアもまた、状況が飲み込めず、目を白黒させていた。
「さて、これで君の借金もなくなったし、弟さんの病気も衛兵が手配する解毒薬で治るだろう」
俺は残った偽の契約書を宙に放り投げた。
「君は自由だ。好きなところへ行くといい」
背を向けてカジノを出ようとする俺の背中に、慌てたような足音が近づいてきた。
「ま、待ってくれ!」
振り返ると、シルヴィアが俺の前に立ち塞がり、勢いよく頭を下げた。
銀色の美しい髪がサラリと揺れる。
「貴方は……私の恩人だ。弟の命を救い、私を絶望から救い出してくれた。この御恩は、一生かけても返しきれない」
「いや、俺はただルーレットを回しただけだけど」
「謙遜しないでほしい。あの状況で偽の契約書を見抜き、床下の隠し証拠まで暴き出すとは……貴方、ただの大学生ではないな?」
いや、本当にただの大学生だ。
運がカンストしているだけで。
シルヴィアは顔を上げ、青い瞳で俺を真っ直ぐに見つめた。
その頬は、ほんのりと赤く染まっている。
「私を、貴方の剣にしてほしい。いや……どうか、私を連れて行ってくれないだろうか」
誇り高き姫騎士からの、事実上の忠誠と同行の誓い。
「景品として、ではなく?」
俺が意地悪く聞くと、彼女はさらに顔を赤くして、小さな声で答えた。
「……景品でも、構わない。貴方のそばに、いたいんだ」
堅物な騎士が見せた、初めてのデレ。
これには流石の俺も、心を動かされざるを得なかった。
「わかった。じゃあ、まずはこの街で美味しいご飯でも食べに行こうか。案内、頼めるか?」
「っ! ああ、任せてくれ! この街の地理なら誰よりも詳しい!」
尻尾を振る大型犬のようにパァッと表情を輝かせたシルヴィアと共に、俺はカジノを後にした。
手に入れたのは、金では買えない最高に可愛くて頼りになる相棒。
俺の異世界生活は、どうやら退屈とは無縁になりそうだ。




