第13話:ゼロになる幸運と、信じる力
王宮の地下から戻った俺は、庭園のベンチに座り、自分の右手をじっと見つめていた。
視界の端でチカチカと主張し続ける『幸運値 99,999,999』の文字。
これまでは、この数字さえあれば、どんな困難も面白おかしく解決できると思っていた。
だが、神崎の残した「誰かが不幸を肩代わりしている」という言葉が、鉛のように心を重くする。
「……らしくないニャ、カイト」
ふいに、柔らかな毛並みの感触が膝に触れた。
いつの間にか戻ってきたミアが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「せっかく美味しいお魚を食べたのに、そんな顔してたら味が落ちちゃうニャ」
「ミア……。なあ、お前は怖くないのか? 俺と一緒にいて、いつか大きな不幸に襲われるかもしれないんだぞ」
俺の問いに、ミアは猫耳をぴくりと動かし、それから悪戯っぽく笑った。
「アタシが奴隷として死にかけていたのを救ってくれたのは、カイトの幸運ニャ。それが誰かの犠牲の上に成り立っていたとしても、アタシを救った事実は変わらないニャ」
ミアは俺の手に自分の小さな手を重ねる。
「それに、もし不幸が来るなら、アタシが自慢の爪で引き裂いてやるニャ。アンタは笑ってればいいニャ」
ミアの真っ直ぐな言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「……お喋りはそこまでだ。カイト殿、客人がお目見えだぞ」
庭園の入り口から、厳しい表情のシルヴィアが歩いてきた。
彼女の背後には、顔色の悪い役人が数人、震えながら控えている。
「カイト殿、王都の北門付近で大規模な陥没事故が発生した。幸い死者はいないが、物流が完全に止まっている。……それだけではない。王宮の食糧庫で謎の腐敗が始まり、明日の朝食すら危うい状況だ」
シルヴィアの報告に、俺は息を呑んだ。
神崎が言っていた「バランスの崩壊」が、ついに目に見える形で現れ始めたのか。
「カイト、ここにいたのね」
さらにエリザベートが、ドレスの裾を翻して駆け寄ってきた。
彼女の美しい顔には、いつもの余裕はなく、焦燥の色が滲んでいる。
「お父様の呪いが再発したわ。今度は寝室の天井が崩落して……カイト、貴方の力が必要よ。貴方の幸運で、この『不運の連鎖』を止めて!」
三人からの期待の視線が俺に集まる。
俺は立ち上がり、深く息を吸い込んで、いつものように心の中で願った。
(この不運を、俺の幸運で上書きしてくれ……!)
だが。
カランッ、と乾いた音が響いた。
俺がポケットから取り出し、景気づけに投げたコインが、泥の中に無様に落ちた。
「……え?」
いつもなら、どこかに跳ね返って奇跡を起こすはずのコインが、ただ汚れて転がっているだけ。
視界の端の数字が、急激に減少を始めた。
9,000万……5,000万……1,000万……。
そして、ついに『0』になった。
「幸運値が……消えた?」
俺が呆然と呟いた瞬間、庭園の大きな噴水が轟音と共に崩壊した。
噴き出した水が、俺たちを飲み込もうと迫り来る。
「カイト殿、危ない!」
シルヴィアが瞬時に俺を抱きかかえ、後方へと跳躍した。
ミアもエリザベートの手を引いて、崩落する地面から間一髪で逃れる。
「……くっ、聖剣が重い!? 魔力が……吸い取られているのか?」
シルヴィアが苦悶の声を上げる。
黄金に輝いていた聖剣が、禍々しい紫色の光を放ち、彼女の体力を奪い始めていた。
「カイト、数字が消えたってどういうこと!? 貴方の力は……」
エリザベートの声に、俺は拳を握りしめた。
「神崎の言った通りだったんだ。俺が今まで使ってきた幸運は、この世界の貯金を使い果たしていただけだったんだよ。……俺のせいで、みんなが……!」
絶望が俺を支配しようとした、その時。
パシッ、と俺の頬に乾いた衝撃が走った。
「……何、情けない顔をしてるのよ、この馬鹿!」
エリザベートが、俺の頬を平手打ちしていた。
彼女の瞳には涙が溜まっていたが、その光は決して折れてはいなかった。
「貴方が幸運だから好きになったんじゃないわ。幸運を鼻にかけず、迷宮で私を庇い、不器用ながらも私たちを救おうとしてくれた……その『心』に惚れたのよ!」
「エリザベート殿下の言う通りだ、カイト殿!」
シルヴィアが呪いの光を放つ聖剣を力強く握り直し、無理やり鞘に収めた。
「運がないなら、私の剣で切り開く! 奇跡が起きないなら、私の努力で奇跡を掴み取る! それが騎士の……いえ、貴方のパートナーとしての誇りだ!」
「アタシもだニャ! カイトが普通の人になっても、アタシが世界一の護衛になってやるニャ!」
三人の強い意志が、冷え切った俺の心に火を灯した。
幸運値がゼロ。
それは、ようやく俺が「この世界の住人」として、自分の足で立てるようになったということではないか。
「……ああ、そうだな。俺が間違っていた」
俺は汚れたコインを拾い上げ、指で汚れを拭った。
「運がないなら、知恵と勇気でなんとかするまでだ。大学生を舐めるなよ」
俺が前を向いた瞬間。
『0』だった数値が、一瞬だけ白く輝いた。
『特殊条件クリア:真の信頼を獲得。スキル「共同戦線の導き」が解放されました』
それは、自分一人だけがラッキーになる力ではない。
仲間たちの能力を最大限に引き出し、共に運命を切り開くための力。
「シルヴィア、ミア、エリザベート。指示を出す。……この『不運』を、俺たちの手でぶっ壊しに行くぞ!」
「「「はいっ!!」」」
三人の力強い返事が、夜の帳が降り始めた王都に響き渡った。
その様子を、遠くの屋根の上から眺める人影があった。
神崎はスマートフォンの画面を閉じ、小さく息を吐いた。
「……まさか、幸運を捨てて絆を選ぶなんてね。計算外だよ、カイト君」
彼は空を見上げ、薄く笑った。
「でも、それこそが僕が求めていた『エラー』だ。さあ、第2ラウンドを始めようか」
王都を襲う未曾有の不運。
幸運を失った俺の、本当の逆転劇がここから始まる。




