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安心と安全

「...よしっ、準備完了」


 小袴の紐をきつく締めると顔をぴしゃりと叩いた。鞘を手に取って腰に差し、部屋の風景も見納めだと思いその場で立ち止まった。


「お邪魔しました、では...」


 短い間ではあったが住み慣れた家がどんどんと離れていく、どんどん視界から遠ざかる。

 恐らく僕は二度とあの家に戻れないだろう。手紙の男のところへ行くと決めた以上、保証なんて生易しいものなど無い筈だ。


 結局僕は何のために生まれたのだろうか。

 母親には捨てられ父は大事な時期に他界、初めて掴んだ幸せも今日で終い。

 僕の人生は無意味だった。


「この町の人ともお別れか」


 買い出しによく訪れた町が見えた。ここに住む人たちとも二度と会えない。

 そして僕の存在はひっそりと忘れ去られる、そういう運命なんだ。


「おや?カヤちゃんとこの若ダンナじゃねえか。こんなところでどうしたんだい?また買い出しか?」


「...旦那だなんて。今日はちょっと散歩に... 。はは..」


「ほーん、散歩ねえ。旦那、良いこと教えてやんよ。出かけるときは「いつ」戻るか必ず伝えることだな」


 世間話を済ませるとその場を後にした。

 せっかくのアドバイスだが僕にはそれを使う場面はもう来ない。


 町の人にも忘れ去られる。

 大学の友達は僕のことを覚えているのだろうか。

 まだ記憶に残っていて欲しい、でもあと1年もすれば記憶から薄れていくだろう。

 そしてまた一年、十年、数十年と年月が過ぎて完全に忘れ去れる。


「いかんいかん、折角見れた夢なんだ。ネガティブで終わらせるなんてもったいないぞ、義家」


 どうも僕は直ぐにネガティブ思考に堕ちてしまう。

 もうすぐ終わる人生なんだ、折角だからドンと構えて楽しくいこう。


「そうだ、カヤさんから貰ったこの刀、一度も使わなかったな。最後に斬ってみるのもいいかもな」


 無論使うのはアイツに対してだ。

 失うものがないからといえ赤の他人を斬り殺すほどイカレてなどいない。


 でも正直言うとそれくらいの「イカレ具合」になることを望んでいる。

 正気でいられない、僕はこれから死にに行くんだ。

 倫理や道徳といった縛りを無くしてしまえば僕は歯止めが利かないだろう。

 

 『誰かを殺めたい』誰だって思ったことがあるはずだ。

 「無い」だなんて言う人間のことなど僕は信用できない、そんなことを簡単に言う人は嘘つきだろう。


 『その権利』が与えられたら真っ先に行使する相手は既に決まっている。母だ。


「...売女め、クソっ...!」


 忘れもしない日、あの日母は僕に背を向けて玄関から飛び出した。

 泣きじゃくる僕の声に反応することもなく、家の前に止めてあった間男の車にそそくさと入り込むあの女の姿は、さながら発情期のサルのようだった。


 足りない脳で足りない脳を持つ男と交わって、新たな被害者が生まれる。

 でも本人は被害者だと気づくことはきっとないのだろう。

 最初に産んだ子どもを捨て、倫理や貞操を捨ててまで生まれた子どもなのだから。

 きっと大切に育てられる、僕とは違う人生を歩むんだ。


「ああ駄目だ。ポジティブだ!そうポジティブにいかないと...! 僕はいい子、良い子!いつか報われるんだ! きっといつか...」


 良い子にしていれば報われる、そう信じてきた。

 真人間として生きていた、でも母からの連絡は一切来ることは無かった。

 報われないことの方が断然多いことなど、すっと昔に気づいていたというのに。


「...いっそのこと全部滅茶苦茶になればいいのに」


「なーに馬鹿なこと言ってんのよ」


「どうして、バレないように家を出たはずなのに。それにこれから間違いなく殺されるんだよ!?」

 

 命が危ないことは彼女も重々理解している筈だ。それを知ってここまでついて来る理由は一体何なんだろうか。理由を尋ねてみたが彼女は口を閉ざしたままだった。

 

「どうして来たんだ! ....この、馬鹿!」


「...馬鹿で結構よ」


 そういうと彼女は「技」で僕の体を縛り付けた。だが普段と違って本気ではない、この程度の強さならいつでも解くことができるくらいだ。


「...? な、何を」


「えいっ」


 重い一撃を喰らわされると思い、思わず瞳をギュッと閉じてしまった。

 その瞬間、額に優しい衝撃が伝わるのを感じた。


「指をはじいた、だけ?」


「...今回はこれで許してあげる。次は無いからね」


 そういうと彼女は術を解いて僕の前を通り過ぎて行った。

 僕は額を軽くなでると、彼女の後ろをついていくように歩き始めた。




 二日後の夜、僕らは目的地にたどり着いた。

 都の東側に位置しているというのに、辺り一帯雅さが一切感じられない異様な場所の様に感じる。

 松明を川岸に向けると、黒い血が付着している古座らしきものが置いてある。

 この河原が「どんな場所」なのか連想することは容易かった。


「ということは.... やっぱりな」


 大きな柳の下を照らしてみると、うっすらと人の顔が4つ確認できた。

 目が合った顔もあったが、目を見開いたまま一向に表情を変えることは無かった。

 見ない方が良いのだろうが、僕は彼らの表情に釘付けになってしまった。


「見ちゃダメ、って言っても無駄みたいね」


「...僕らもああなるのかな?腐り果てるまで、ずっと」


「安心しろ坊や。君たちはあのようにはならんよ」

 

彼らを凝視していると「手紙の男」が背後から近づいてきた。

いつの間にそこに居たんだ、僕もカヤさんも男の気配を一切感じ取れなかった。


「どういう意味よ?」

「あそこに並んでおる首は皆強盗に殺人、強姦など人の道を外れた者だ。まあ、墜ちた人間が行きつく先がこの光景よ」


 この人、本当に僕らを殺す気はない様だ。だとしたら僕らをあそこまで痛めつけて、わざわざここに呼び寄せた理由は一体何なんだ?


「坊や、柄から手を放すんだ。そんなに強く握りしめているとヒヤヒヤしてたまらんよ。

それに坊やの技量では私に傷をつけることが不可能なことくらいわかるだろう?」


「...わかったよ。じゃあ単刀直入に聞くけど、一体何のために僕をここまで来させたんですか」


「その応えは私の館で『見せよう』」


 そういうと男は自身が住んでいるという館へと僕らを案内した。

 彼の館までは少し距離があった。その道中で気がついたが、どうやら僕は都に関するイメージを勘違いしていた。


「...浮浪者が多いのね。小さな子どもまで地べたで寝てるわ」


「彼らは既に死んでいるよ。近年の飢饉に疫病、日を追うごとに道路に並ぶ遺体の数が増える一方だ。

そして恐ろしいのは飢饉や疫病だけじゃない。」


 男はいくつか並ぶ遺体の一つを指した。


「可哀そうに、罪人でもないのに首が見当たらない。きっと遊び半分で殺されたのだろうな。

人は追いつめられるほど、自身の正体を剥き出し、それを他者に向けるものだ。」


「取り締まれないのですか?都なんだから治安を維持する担当の人たちがいるんじゃ...」


「『検非違使』と呼ばれる者達がまさにそうだな。だが全てが狂ったこの世界では彼らの力など無いに等しいのさ。だが彼らは貴族の身に何かある時しか動かない。」

 

 かつて「住めば都」という言葉を聞いた覚えがある。でもその都は決して華やかな場所ではなく、どこかディープな感じで、悲しい雰囲気が漂う場所だと感じられた。


「さあ着いたぞ、もう安心せい。ここには私に仕える者達も暮らしておる。」


 その館は豪邸とまでは言わないが、都という一等地にしては十分すぎる広さを誇っている。

 館の周囲は高い壁で覆われ、敷地内には櫓まで設置してあるくらい警備に徹底しているように見える。


「どうしたんだ、櫓など見つめて。もしかして初めて見るのかい?」


「それもそうですけど、何というか警備に抜け目がないというか、あなたには必要がないものに思えて...」


「備えあれば憂いなし。面積はちとばかり取られるが、ないに越したことは無いよ」


 とはいえそこま防衛する必要があるのだろうか。疑問に思いながらも疲労が溜まっていたので理解したような反応を示した。

 立っているのもやっとの状態で、両足を交互に地面にグリグリと押し付けて疲れをなくそうと試みた。


「坊やと君はここを使うといい。師弟同士話しておきたいことも色々とあるだろう、今日はもう休みなさい。君たちの質問の回答は明日にしよう」


 用意された部屋には布団が二人分用意されていた。湯を浴び終えると、そのまま布団に崩れ落ちるように倒れた。緊張の糸が解れるような感じといったところだろうか。


「はあぁ..... 疲れた...」


「もう寝ましょう。私さっきから頭が...」


 もはや言葉を発する気力すらない。カヤさんの声にコクンと頷くと、そのまま眠りについた。

 後は明日の自分がどうにかしてくれるだろう。

 

読んでいただきありがとうございます。

次回の配信日は未定ですが近日中には更新するのでお待ちください。

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