境界
"神通力"、その三文字が目に留まる。その力が何を指すのかは全く分からないが、その異質さを感じるには十分だった。
「なんの力だろう。もしかして僕たちが持つ不思議な力のことかな?」
「そればかりはわからないなあ。でも父さんは一度も神通力って言葉を出さなかったわ」
結局僕らはこの力を宗教的な要素の一つだと結論付けた。臭いものにふたをするという訳でもないが、考えても無駄なのでそうしたまでだ。
「もう夜も遅いし寝ましょ」
カヤさんは戸棚から風呂敷を取り出すと、古びた本を丁寧に包み押入れにしまった。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
その日、僕は中々寝つくことができなかった。今日の出来事が眠気を寄せ付けないほどの衝撃だった。丁度良い眠りのポーズを試してみたり、目頭を軽く押さえて眠気を誘おうとしたが効果は無かった。
「(この感じ、一睡もできないパターンだなあ...)」
カヤさんの方を向くと彼女は既に熟睡していた。起きているのは自分だけの様だ。僕は両腕をゆっくりと天井に伸ばして見つめた。自分という存在が本当に人間なのか、これまで一切考えることのなかったことを初めて考えてみた。
「...僕って何なんだろう。...妖怪にでもなっちゃったのかな?」
僕の様に手から衝撃波の様なものを放出する人間は一度たりとも見たことも無ければ聞いたこともない。それとも僕が無知過ぎるだけで皆は普通に扱えていたのだろうか。どちらにしろ僕は力について無知であり、この世界について何も知らない、知らないことだらけなのは確かだ。
この力、僕なんかが宿していいものなのだろうか。
「...ちょっと散歩しよう、深夜徘徊だ」
ゆっくりと起き上がると彼女が起きないようにと、少しずつ戸をずらして外に出た。綺麗な三日月が周囲の闇に色を加えている。
「大学、もしかしたら退学扱いになってるかなあ。だとしたら就活も始めないとな...」
ここに来てから徐々に失われていた記憶を取り戻しつつある。記憶を取り戻す喜びや安堵感を体験しつつも、同時に元の世界での自分という存在がどうなっているかを考えると焦燥感に駆られる日が続いている。おかげでまだ10代だというのに僅かながら白髪が生えてきてしまった。
「それでも"あっち"に居た時よりも楽しいなぁ、いつまでこうやって過ごせるんだろう...」
「それはお前次第だな、坊や」
背後から突然渋い声が聞こえてきた。思わず体が震えてしまったが、直ぐに立ち直ると"直ぐに放出可能"な体制をとった。
「ほお、予感は的中か」
「...誰ですか ...あなた」
笠を被っているせいで顔が全く分からないが、声色の漢字から50から60位の男なのはわかる。それよりもどうして人里離れた辺鄙な地、それも真夜中をほっつき歩いているのだろう。
「まぁ待て坊や、手を下ろすんだ。そんなもの食らったらこの老体には応える」
「だったら何しにここに来たか話してください。 ...そうでなければ、やりますよ?」
声を震えながら生まれて初めて脅迫をした。でも彼が何も話さなければ本当に重い一撃を放つつもりだった。だが彼はそんな言葉に耳を傾けることなく、軽くあしらった。
「震えているようでは駄目だな。男ならシャキッとしないとな」
「仕方な、」
その瞬間突然声を出せないほどの衝撃が腹部を襲った。胃の中の消化物が全て月の下に飛び散った。
激痛と嘔吐を行き来する中で必死に情報を整理することで精いっぱい、反撃などできそうにもなかった。
「(痛てえ、何だこの人... 何故襲うんだ? 目的は?)」
「おじいに負けてはダメだろう。次は坊やの番だ、と言いたいところだがその様子だと無駄か」
その一言にカチンときた。痛みを忘れてすぐさま反撃に出ると、空かさず彼に向けて一撃を発射した。以前ぶっ放した時よりも何倍も強い一撃だ。敵に命中すると轟音が鳴り響くと同時に砂煙が荒々しくたち、思わず「してやったぞ」と思った。
だが渾身の一撃は全く効果が無かった。男は被った砂埃を余裕そうに丁寧に払い落とした。
「新しく新調したばかりのものなんだがな。と言っても坊やからすれば知ったことではないな」
「坊や坊やって、ちょっと癪にさわりますね」
次の一手のため拳を構えると男は腕を組み心底あきれた表情を見せた。格下を見つめるその顔は、最早戦う気すらないことが理解できる程だった。
正直ここまで力が及ばないとは思いもしなかった。日頃からあれだけの鍛錬を重ねていただけに、ぽっと出の中年にここまでコケにされるとプライドもズタボロだ。
「...もうよせ。勝負は既についている、無駄に体力を消費するだけだ」
「生憎だけど、こんな僕でも黙って死ぬのはゴメンだからね」
殴っては蹴り、放つ。手加減などしない、いやできる相手ではない。
死にたくなければ殺るしかないが到底できそうにない。
「(左の尺骨は完全にいかれた、右も腕が全く上がらない。 ...ここまでか)」
「発現して日も浅いだろうによく戦ったな。では少し落ち着いてもらうと...」
男が最後の一撃を繰り出そうとした時に、体が震えるほどの怒号が周囲一帯に鳴り響いた。
「うっさいわね!!もう夜中よ、喧嘩するならよそでやってチョーだいっ!!」
「か、カヤさん...」
「...なんと寝てたのか。信じられんな」
(マズいっ...、何とかしないと)
ここまで音を立てれば気づかれるのも当然のことだろうが、どうしてこのタイミングなんだ。
どうにかして彼女を守らないといけないのに、動かないといけないのに...
もう滴る汗を拭う力も残っていない。絶望的だ。
「...うむ、『同じ』だな。これで揃ったな」
「ちょっとおじさん! うちの旦... 愛弟子に何してんのよ!?ボロボロじゃない」
「師の出来が悪いとこうなるのだ。恨むなら自分を恨んでくれ」
面倒な輩だと瞬時に理解した彼女は一度家の中に戻ると、弓を持ち出して男へ狙いを定めた。ギリギリと弓が張る音が微かに耳元へ届く。
「悪いが女を痛めつける癖は持ち合わせていない。そいつを下ろすんだ、早く」
「親から躾を教わらなかったのかしら?とても私の倍近く生きている人間の立ち振る舞いじゃあないわね」
「...親の顔など最早記憶にすら残っていないよ。さあ下ろせ、さあ」
男が手を差し伸べカヤさんの下へ足を動かした瞬間、張り詰めた矢が男目掛けて放たれた。俺は咄嗟に顔を下に向けた。
矢で死ぬのもあっけないと感じたが、これで男は終いだと考えると安堵した。だがいつまでたっても男が倒れる音が聞こえない、流石にあの距離だと回避することはできない。
(死んだのか? ...でも、)
「...もう良いか?」
目よりも先に耳が男を捉えた。咄嗟に顔を上げると男は矢を掴み、そこに立っていた。確実に仕留めたと思った彼女の表情も厳しいものだった。
到底勝てる相手ではないと理解したカヤさんは渋々弓をその場へ下ろした。
「...おい」
「何かしら、お望み通り弓は下ろしたわよ」
「確認しておくが、お主は女とはいえ坊やの師であることは違いないのだな?」
「そうだけど、何k」
男は彼女のみぞおち目掛けて拳で突いた。
「ウッガあ!?」
「...弟子が何度も喰らいついているのに対し。『師』であるお主がたかが一矢通らぬだけで降参するとは弟子を愚弄するつもりか?」
彼女はその場で崩れ落ちた。
僕はすかさず彼女に覆いかぶさったが、その後のことは何も覚えていない。
目を覚ました時は既に日が真上に上っていた。
「...布団の中、何で」
布団から這い上がろうとしたが激痛で体を起こすところではない。体中に響くこの激痛は一体何なのか。
状況を理解できない僕は天井を見つめて固まった。そこから思い出せる記憶を一つ一つ口に出して事を理解しようとした。
「町で買い物をした。次は... そうだ、人が死んでいたんだ」
子どもが数字を数えるように一本一本指を折りたたんで記憶を辿った。右の薬指を曲げ終えると、ようやく夜中の出来事にたどり着いた。
「そうだ、カヤさん! 何とかしないと!」
「何とかしなくても大丈夫よ」
やけに近い距離から彼女の声が聞こえた。
声の方へ首を曲げると柱を背にして座る彼女の姿があった。
「...おはよう、といっても既にお昼だけどね」
「カヤさん、そうだ、あの男...」
「目を覚ました時には既にここを去っていたわ。丁寧に置手紙だけ残してね」
彼女が簡単に状況を話してくれているが、内容が全く耳に入らない。ところどころで苦しそうな声を漏らしてお腹をさすっている姿に目を離せないからだ。
「...まさか、 ..ッ、失礼!」
僕は了承を得ずに思いっきり服をめくり上げた。そこに見えたのは青黒く変色したお腹だった。
「...全く、次からは気を付けてよ」
カヤさんは僕の手を優しく握ると服から手を離させた。
「ご、ごめんなさい。...気になって、つい」
「...凌辱なんてされてないわ、安心して。でもアイツ『女を痛めつける癖は持ち合わせていない』だなんて話していたけど、大ウソじゃない。 ....でも自業自得ね」
彼女は懐から男からの手紙を取り出して渡すと、膝を抱え込み俯いた。こうした時に優しい声でもかけてあげれば少しは良いのだろうが、僕にはそれができなかった。伸ばそうとした手も途中で下ろした。
便箋の中を確認すると、そこにはたった一言だけ書かれていた。
『六条大路東端の河原で待つ』
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