29 波間の光と小さな祈りの帆船
美浜村の初夏。六月の激しい雨が上がり。すっかり水疱瘡の赤い跡も綺麗に消え去った頃、西浜家の次男・櫂は、心も体もすっかり元通りになっていた。
小学四年生の櫂の肌は、連日の太陽を浴びて再び健康的な小麦色を取り戻している。
「にぃに、待ってよー!」
「遅いぞ櫂! 今日は潮が引いてるから、裏浜の岩場まで行けるんだ! 急がないと潮が満ちちゃうぞ!」
5年生になり、すっかり背も伸びて少年マンガの主人公のように頼もしくなった兄の航太が、虫取り網とバケツを両手に提げて先を走っていく。その背中は相変わらず眩しくて、カッコよかった。
以前の櫂なら、「どうしておれは、にぃにみたいに足が速くてカッコよくないんだろう」と少しだけ羨ましくて落ち込んでいたかもしれない。でも、病気の間、愛犬のシロが夢の中で教えてくれた「誰かを思いやり、幸せを祈る心」を知ってからの櫂は違っていた。
(にぃには太陽みたいにみんなを引っぱるヒーロー。おれは……みんなが怪我をしないように、ずっと見守る月になればいいんだ)
胸の奥でそう呟くと、なんだか不思議と足取りが軽くなった。
「ワンっ! ワンっ!」
二人の後ろから、真っ白でふわふわの柴犬・二代目シロが楽しそうに尻尾を振りながら追いかけてくる。櫂は立ち止まり、シロの頭を優しく撫でた。
「シロ、足元気をつけてね。濡れた岩場は滑るから」
「くぅ〜ん」
シロは理解したように小さく鳴き、櫂の足元に寄り添った。
裏浜に着くと、そこはゴツゴツとした岩場が露出し、透明度の高い潮だまり(タイドプール)がいくつもできていた。小さな小魚やヤドカリが、キラキラと光る水面の下で忙しなく動き回っている。
「すげえ! 櫂、見ろよ! 大きなカニがいるぞ!」
航太がバケツを置いて岩場にしゃがみ込み、目を輝かせた。
「ほんとだ! はさみが赤くて大きいね。にぃに、挟まれないように気をつけてよ?」
「へいきへいき! 俺を誰だと思ってんだよ、西浜航太さまだぞ!」
そう言って豪快に笑う航太の横で、櫂はふと、岩場の陰に落ちている小さな木切れに目が留まった。
それは、波に洗われて丸くなった小さな流木だった。ちょうど手のひらに乗るくらいの大きさで、船の形によく似ている。
「……あ、船みたい」
櫂はそれ拾い上げると、ポケットから取り出した細い凧糸と、浜辺で拾った真っ白な平たい貝殻を取り出した。水疱瘡で寝込んでいた間、ずっと部屋で図工の本を読んでいた櫂は、手先がとても器用になっていたのだ。
流木の窪みに貝殻をそっと挟み込むと、まるで小さな一本帆の帆船のようになった。
「できた……『小さな祈りの号』だ」
櫂がぽつりと呟いたその時、ふいに後ろから小さな声が聞こえた。
「……綺麗な、お船!」
「えっ?」
櫂と航太が振り返ると、そこには見知らぬ小さな女の子が立っていた。
年齢は幼稚園の年長さんか、小学一年生くらいだろうか。麦わら帽子を深めにかぶり、泣き出しそうな顔で小さな手をギュッと握りしめている。
「あれ? 君、誰の妹? この村の子じゃないよね?」
航太が立ち上がり、首をかしげた。女の子はビクッと肩を揺らし、航太の迫力に押されたのか、すっと後ずさりした。
「あ……ごめんね、怖がらせちゃった?」
櫂は慌てて立ち上がると、できるだけ背を低くして、女の子と同じ目線になるようにしゃがみ込んだ。
「お兄ちゃんたちは、西浜航太と、櫂だよ。怪しい人じゃないよ。君のお名前、教えてくれる?」
櫂の柔らかくて優しい声に、女の子は少しだけ緊張を緩めたようだった。
「……あおい。……さくらば、あおい」
「あおいちゃんか。可愛い名前だね。どうして一人でこんな岩場にいるの? お父さんやお母さんは?」
そう尋ねた瞬間、あおいちゃんの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「う……うわぁぁぁん! おかあさん、入院しちゃったの……! おとうさんと、病院に……お見舞いにいく途中だったのに……おとうさん、お電話してて……あおい、お花探してたら……迷子になっちゃったの……!」
「ええっ!? 迷子!?」
航太が声をあげた。
「病院って……もしかして、隣町の総合病院か? ここからじゃ子供の足じゃ歩いていけないぞ!」
「あおいちゃん、泣かないで。大丈夫だからね」
櫂はそっとポケットからハンカチを取り出し、あおいちゃんの涙を優しく拭った。水疱瘡で高熱を出していた時、母のナギが何度も手拭いで汗を拭いてくれた、あの温かい手を思い出しながら。
「お母さん、病気なの?」
「うん……ずっとお部屋にいて……元気が無いの。あおい、お母さんに……元気になってほしいのに……何もしてあげられないの……」
あおいちゃんはしゃくりあげながら、小さな胸を痛めるように服をギュッと掴んだ。
その言葉を聞いた瞬間、櫂の胸の奥がキュンと痛んだ。
(……あ、おれと同じだ)
水疱瘡にかかって、部屋から一歩も出られず、家族に迷惑をかけていると悩んでいたあの時の自分。大好きな人が苦しんでいるのに、小さくて何もできない自分が悔しくて、悲しくてたまらなかったあの時の気持ちと、まったく同じだった。
「あおいちゃん……」
櫂はあおいちゃんの小さな手を、両手でそっと包み込んだ。
「あおいちゃんはね、何もできてなくなんか、ないよ」
「え……?」
あおいちゃんが涙で濡れた目をパチパチとさせた。
「お母さんのことを想って、こんなに心配して、お花を探していたんでしょ? その気持ちだけで、お母さんはすっごく嬉しいんだよ。おれね、この前病気でずっと寝込んでたんだ。その時、何もできなくて悔しかったんだけどね……シロが教えてくれたんだ」
「シロ……?」
あおいちゃんが、櫂の足元にいる白い柴犬を見た。シロは「ワン」と優しく短く鳴いた。
「うん。病気で何もできなくてもね、大切な人の幸せや、元気になることを『祈る』ことはできるんだよ。祈るのってね、どんなに遠くにいても、ベッドの上からでも届く、すっごく強いパワーなんだ」
櫂は、自分が作ったばかりの流木の小さな帆船を、あおいちゃんの手のひらに優しく乗せた。
「これはね、『祈りの船』だよ。この船に、あおいちゃんのお母さんへの『早く良くなってね』っていう気持ちを乗せて、海に浮かべるの。美浜村の海はね、世界中の海と繋がってるから……あおいちゃんの優しい祈りを、お母さんのところまで運んでくれるんだよ」
「本当……? お船が……届けてくれるの……?」
「うん! おれが保証する! だって、おれたちの母ちゃんは……あ、いや、美浜村の海は世界一優しい海だからね!」
櫂はニッコリと、太陽のように温かい笑顔を向けた。
横で聞いていた航太も、ガツンと自分の胸を叩いて笑った。
「そうだぞあおいちゃん! 櫂の祈りは本物だ! 俺のサッカーの試合の時も、櫂が祈ってくれたおかげでロングシュートが決まったんだからな!」
「にぃに、それはにぃにの実力でしょ」
「へへっ、まあな! でも、櫂の祈りがあると無敵なんだよ!」
兄弟の賑やかなやり取りを見て、あおいちゃんの顔に、ようやく小さな微笑みが戻ってきた。
「うん……! あおい、祈る! お母さんが、早く元気になりますようにって!」
あおいちゃんは小さな両手をギュッと合わせ、胸の前で目を閉じた。
(お母さん、早く元気になってね。一緒に公園に行こうね。大好きだよ)
あおいちゃんの心の声が、風に乗って潮騒の中に溶けていくようだった。櫂も隣でそっと手を合わせ、一緒に祈った。
(あおいちゃんのお母さんの病気が、早く治りますように。あおいちゃんご家族が、みんなで笑顔になれますように)
二人が目を開けると、櫂は流木の船をそっと潮だまりの静かな水面に浮かべた。白い貝殻の帆が海風を受け、小さな船はキラキラと光る波間を滑るように進んでいった。
「うわぁ……飛んでるみたい!」
あおいちゃんが目を輝かせた。
その時だった。
「あおいー! あおいーっ!」
遠くの防波堤の方から、男の人の焦った大声が響いてきた。
「あ、お父さんの声だ!」
「よかった! 探してるぞ! こっちだー! ここにいるぞー!」
航太が大きな手を振りながら、豪快に叫んだ。
走ってきた男性は、あおいちゃんの姿を見つけると、崩れ落ちるように抱きしめた。
「あおい! よかった……急にいなくなるから、どこへ行ったかと……!」
「お父さん、ごめんなさい。お花を探してたら、迷子になっちゃって……。でもね、お兄ちゃんたちが助けてくれたの!」
あおいちゃんが櫂と航太を指さすと、父親は何度も頭を下げた。
「本当にありがとうございました! 妻の急病で混乱してしまって、目を離した隙に……なんとお礼を言ったらいいか」
「ううん、無事に見つかってよかったです!」
航太が胸を張ると、父親はあおいちゃんの手を引いて歩き出した。
あおいちゃんは何度も振り返り、櫂に向かって手を振った。
「櫂お兄ちゃん、ありがとう! あおい、お祈り届くの待ってるね!」
「うん! 絶対届くよ! お母さんによろしくねー!」
櫂も大きく手を振り返した。あおいちゃんの背中が見えなくなるまで、ずっと、ずっと手を振り続けた。
夕方。
オレンジ色の綺麗な夕焼けが、美浜村の海と空を真っ赤に染め上げていた。
西浜家のリビングには、香ばしい醤油と甘い砂糖の匂いが漂っていた。今日の夕飯は、ナギが作ってくれた魚の煮付けと、すりおろしリンゴが入った特製卵焼きだ。
「ただいまー!」
「ただいま戻りました!」
玄関を開けると、キッチンからエプロン姿のナギが笑顔で顔を出した。
「お帰りなさい、航太、櫂、シロ。今日はどこまで行ってきたの?」
「裏浜! 母ちゃん聞いてよ、今日さ、櫂がすっげえカッコよかったんだぞ!」
航太が真っ先にリビングへ駆け込み、今日あった出来事を父の青とナギに身振り手振りで話し始めた。
「迷子の子がいてさ、泣いてたんだけど、櫂がさ『祈りの船』を作ってあげてさ! 『祈りはベッドの上からでも届くパワーなんだよ』って、すっげえ優しい顔で言ったんだ! あおいちゃん、泣き止んで笑顔になったんだぞ!」
「へぇ……『祈りの船』か」
ソファで新聞を読んでいた青が、驚いたように目を丸くし、それから力強くフッと笑った。
「さすが俺の息子だ。誰かを力で助けるだけが男じゃない。そうやって人の心に寄り添えるのは、すごい強さだぞ、櫂」
ナギは小さく息を呑み、それから目元を少し潤ませながら、櫂の前に優しくしゃがみ込んだ。その手で、櫂の頭を温かく、撫でてくれた。
「櫂……。あなた、水疱瘡で苦しかった時に、そんな素敵なことを見つけていたのね」
「母ちゃん……おれね、あの時、何もできなくて悔しかったんだ。でも、病気になったからこそ、あおいちゃんの『何もできなくて悲しい』って気持ちが、すごく分かったんだよ」
櫂はナギの目を見つめて言った。
「おれ、にぃにみたいに足も速くないし、力も強くないけど……でも、困ってる人や、悲しい人がいたら、その人のために一生懸命祈ることができる。寄り添うことができるんだ。だから……おれ、このままでいいんだって思えたんだ」
ナギは嬉しそうに目を細め、櫂をぎゅっと抱きしめた。
「ええ、もちろんよ。そのままの櫂が、お母さんは大好き。世界で一番、優しくて誇らしいお父さんとお母さんの自慢の息子よ」
「へへ……ありがとう、母ちゃん」
抱きしめられたナギの体から、いつもの潮の香りと、お母さんの温もりが伝わってきて、櫂の胸は温かい幸せでいっぱいになった。
「よしっ! じゃあ今日は、名探偵兼、名カウンセラーの櫂のために、みんなで乾杯だな!」
青が豪快に麦茶のグラスを掲げた。
「なんだよ父ちゃん、俺のことも褒めてくれよ! 俺だって大きな声出して父親呼んだんだぞ!」
「ははは! お前も大手柄だ、航太!」
リビングに、ドッと明るい笑い声が広がった。
足元では、シロが「ワン!」と誇らしげに一声鳴き、櫂の膝に静かに顎を乗せた。
(シロ、ありがとう。おれ、自分だけの強さを見つけられたよ)
櫂は心の中でシロに感謝を伝えた。シロはまるで言葉が分かっているかのように、目を細めて気持ちよさそうに尾を振った。
窓の外では、美浜村の夜の海が、どこまでも静かに、波音を奏でていた。
あの小さな『祈りの船』は、今頃どこまで進んでいるだろう。きっと、海風に乗って、あおいちゃんのお母さんの病室まで、優しくて強い温もりを届けているはずだ。
自分を好きになれた少年の一歩は、この美浜村の青い海のように、どこまでも優しく、そしてあたたかく広がっていくのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
またまた完結したのにストーリーを作りました。この物語は航太と櫂が小学生になってからの原稿を入力して、AIに自由に物語を作ってもらいました。
少年マンガの主人公のような兄航太とその弟の櫂
ーーできる人が身近にいると闘志を燃やしたり、逆に自己嫌悪になる方もいますよね。
櫂のように自己嫌悪になる人は、自分の居場所や自分の役割ーできることーを見失っているのだと思います。
誰かと比べるのではなく、みんな、
世界に1つだけの花
ですよ。受け売りですが。笑




