26 盆踊りー堤防の風、遠い空の向こうー
これは、東京から遊びにきた陽菜やウミガメの浦島太郎の夏休みより1年前、航太が小2、櫂が小1の夏休みの物語。
美浜村の夏は、太陽が沈んでもなお、アスファルトの熱をたっぷりと含んだ重たい空気に包まれていた。
お盆を迎えたその夜、村の中心にある広場には赤や白の提灯が無数に吊るされ、どこか懐かしいお 囃子と太鼓の音がドンドンと空気を震わせている。
かつてこの場所には、古い家屋や路地が入り組んでいた。だが、いつかの南海地震による大津波がすべてを飲み込み、跡形もなく押し流していった。今ではきれいに整地され、夜ともなれば村人たちが集まる広々とした盆踊りの会場になっている。失われた過去の上に、それでも人々が笑顔で集う、そんな温かくも切ない場所だった。
「わあ、すごい人! かぁちゃん、綿あめ食べたい!」
「もう、櫂はすぐそればっかり。はぐれないように、とーちゃんの手をしっかり握っててね」
水色の浴衣に身を包んだナギが、はしゃぐ次男の櫂の頭を優しくなでる。隣では、黒い甚平を着た父・青が、長男の航太の肩をがっしりと抱き寄せながら、賑やかな境内を見回していた。
西浜家の一同は、家族みんなで村の盆踊りにやってきていたのだ。
境内の真ん中では、浴衣姿の大人や子どもたちがやぐらを囲んで楽しそうに輪を作っている。
「お、あそこで冷たいラムネを配ってるぞ。ちょっと休憩していこうか」
青が指差した先では、村の自治会のテントの横で、氷水に浸かったガラス瓶のラムネがカランコロンと涼しげな音を立てていた。
「やった! ラムネだ!」
航太と櫂は我先にとテントへ駆け寄り、もらったばかりの冷え冷えのラムネ瓶を両手でしっかりと受け取った。ビー玉が「カチャン」と心地よい音を立てて栓に詰まる。
「ふう、生き返るなぁ……」
航太が栓のビー玉をビー玉押しで押し込み、プシュッと勢いよく炭酸が弾けた瓶を口に近づける。シュワシュワと甘いサイダーの味が喉の奥を潤した。
ふと、航太は目の前にある大きなコンクリートの堤防を見上げた。あの堤防の上からは、盆踊りの提灯の明かりの向こうに、どこまでも黒く広がる夜の海が一望できるはずだ。
「ねえ、櫂。あそこの堤防の上がさ、特等席じゃない? 祭り全体が一望できるかも」
「ほんとだ! 行こうよ、にぃに!」
大人の足元をすり抜けるように、航太と櫂はラムネの瓶を片手に、真っ先に堤防へと駆け出した。
「こら、二人とも走ったら危ないぞ! あまり遠くへ行くなよー!」
後ろから青の笑い声交じりの声が聞こえたが、二人はすでに階段を駆け上がり、海風が吹き抜ける堤防のてっぺんへと飛び出していた。
堤防の上は、ざわざわとした盆踊りの喧騒が少しだけ遠のき、代わりに心地よい潮風が汗ばんだ肌を撫でていった。
見下ろせば、赤く揺れる提灯の光が夜の海面に細長く反射して、ゆらゆらと揺れている。
「うわあ、風が気持ちいい……」
航太がふうっと息をつきながら、ビー玉の入ったラムネ瓶を傾けた。
隣で櫂も「おいしー!」と満足そうに笑っている。
その時だった。
「……いい夜だな、坊主たち」
ふいにかけられた声に、航太と櫂はビクッと肩を震わせ、揃って声の主の方を向いた。
そこには、いつの間にか一人の青年が腰を下ろしていた。
年の頃は十七、八歳くらいだろうか。日焼けした顔立ちは凛々(りり)しいが、どこか影があり、そして驚くほど透き通るような目をしていた。格好が変わっていた。頭には黒いゴーグルを引っ掛け、上はよれよれとした白いランニングシャツ、下はモスグリーン色の軍隊のような古いズボンを穿いている。今の時代では誰も見かけない、不思議な姿だった。
「あ、あの……こんばんは?」
航太が少し身構えながら声をかけると、青年は優しく目を細めてふっと笑った。警戒の色を解かない小さな兄弟を見て、青年の表情がどこか切なさに満たされる。
「驚かせてすまないね。俺はただ、この村の祭りの音を聞きに来ただけなんだ」
「……おじさん、その格好、変なの。頭のそれ、何?」
櫂が臆することなく、ラムネ瓶を持ったまま青年のゴーグルを指さした。航太は「こら、櫂!」と慌てて弟の袖を引っ張ったが、青年は怒るどころか、楽しそうに声を上げて笑った。
「はは、そうだな。これはな、空を飛ぶためのゴーグルさ。昔の乗り物に乗るときに使っていたんだよ」
「空を飛ぶの? すげえ! 飛行機?」
航太の目が一瞬で輝いた。現代の飛行機とは違う、プロペラのついた古い戦闘機のことだと、学校の図鑑で見たことがある。
「ああ。遠い空の向こうへ行って、そのまま帰れなくなっちまったんだけどな」
青年はぼそっと呟くと、夜の海の彼方を見つめた。その横顔があまりにも寂しそうで、航太と櫂は胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
この人は、なんだか、少し前の自分たちや、あの写真の中の母ちゃんによく似ている――航太は言葉にならない子供なりの直感でそう感じていた。
「ねえ、お兄ちゃん……どこから来たの? お祭り、一緒に行かない? かぁちゃんたちが下の広場にいるよ」
櫂が心配そうに青年の服の裾をトントンと叩く。
青年は首を横に振り、優しく櫂の頭を撫でた。その手が、まるで風のようにふわりと温かかったことに、櫂は驚いて目を丸くした。
「いや、俺はここでいいんだ。お盆の間だけ、こうして故郷の海を見に帰ってきたからさ。……おい、耳を澄ませてごらん」
青年がふと空を見上げたその瞬間、どこからともなく、勇ましくも懐かしい音楽が聴こえてきた。
——テン、テン、テーテテン、テーテテン……!
「あ……」
航太は耳を澄ました。リズミカルで、どこか誇らしげなその行進曲は、間違いなく耳馴染みのあるものだった。
「あそこの角を曲がってずっと車で行ったところにある、隣町の商店街のパチンコ屋さんだ!」
櫂がぴょんと跳ねながら声を上げる。
「そうそう! 毎週末、景品を換えるときとかに大きなスピーカーで流してる曲だよね!」
航太も大きく頷いた。お祭りの夜、近所の商店街のパチンコ店から景気づけに流れてくる『軍艦マーチ』のメロディだった。
だが、青年の瞳には、まったく違う景色が映っていた。
青年の耳には、かつて若い仲間たちと肩を組み、遠い南方へ飛び立つ直前に聴いた、あるいは出撃していく仲間たちを見送ったときの、忘れられない壮行会の音楽が響いていたのだ。
遠い昔の記憶と、目の前で元気にラムネを飲む現代の子どもたちの姿が重なり、青年の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……そっか。今の時代は、そんな平和な場所で、こんなに明るい音が流れているんだな」
青年は嬉しそうに、そしてどこか安堵したように微笑んだ。
「当たり前だよ! 今はみんなで花火も見られるし、美味しいアイスも食べられるもん!」
航太が胸を張って言うと、青年は深く頷いた。
「そうだな。お前たちがこうして笑って、この海風を吸って生きていることが、何よりの証拠だ」
その時、下の広場の方から「航太ー! 櫂ー! どこにいるのー!」と、青のよく通る野太い声が響いてきた。ナギの心配そうな姿も、提灯の光の中に小さく見える。
「お前たちの母ちゃんは、あの女性か?」
青年は水色の浴衣を着ているナギを指して、航太と櫂に訊いた。
「そうだよ。おれたちの優しいかあちゃん」
航太と櫂は口をそろえて誇らしげに言った。
青年は、
「そっか、お前たちのかあちゃんか…」
と、そこで言葉を切り、少し切なそうな顔になり、
「かあちゃんをだいじにしろよ」
と航太と櫂の頭を撫でた。
その時の青年がなぜそんな切ない顔をしていたのか、幼い航太と櫂にはまだ分からなかった。
「あっ、とーちゃんだ!」
航太と櫂が振り返り、もう一度堤防のベンチの方を持ち直したとき――。
ふわりと、潮風が強く吹き抜けた。
まるで、夏の夜の幻が解けるように、そこに座っていたはずの青年の姿は、嘘のようにスッと消えていなくなっていた。
「……あれ?」
櫂が目をこすり、周囲を見回す。けれど、そこには誰もいない。ただ、櫂には、遠くからパチンコ店の音楽と、盆踊りの太鼓の音がドンドンと響いているだけだった。
「にぃに……お兄ちゃん、どこに行ったの?」
「……ううん、きっと、空の上の遠いところへ、飛行機で帰ったんだよ」
航太は少しだけ大人びた声でそう言い、自分のラムネ瓶をぎゅっと握りしめた。
「おい、こんなところにいたのか! 探したぞ、お前たち」
階段を駆け上がってきた青が、大きな手で航太と櫂の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。後ろから追いかけてきたナギも、二人を見つけてほっと胸をなで下ろす。
「もう、勝手に遠くへ行っちゃダメでしょ。……って、どうしたの、二人ともそんなに真剣な顔をして」
ナギが不思議そうにしゃがみ込み、子どもたちの顔をのぞき込んだ。
航太と櫂は顔を見合わせ、それから下の広場で赤く揺れる盆踊りの輪と、どこまでも広がる美しい夜の海を交互に見た。
「かぁちゃん、とーちゃん。この海ってさ、昔からずっと、みんなを見守ってくれてるんだよね」
航太がしっかりと前を向いて言った。
青とナギは少し驚いたような顔をしたが、すぐに優しく微笑み、それぞれの我が子をぎゅっと抱きしめた。
「そうよ。この海はね、悲しいことも嬉しいことも、全部包み込んで、いつまでも私たちを見守ってくれる大切な場所なの」
ナギが優しい声で囁き、夜風に揺れる髪をそっと直した。
頭の上では、無数の提灯が夏の星空のように赤くまたたいている。
津波に流された過去の痛みも、遠い日の切ない記憶も、すべてはこの美浜村の優しい潮騒の中に溶け込んでいく。
航太と櫂の胸の奥には、あの夏の夜に出会った優しい青年の笑顔と、ラムネの爽やかな甘さが、いつまでも消えない宝物として刻まれていくのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
お盆近くになり、戦争のエピソードも入れた航太と櫂の夏休みの物語を作りたくなりました。
アイデアを入力してAIが書いたものを加筆修正しました。
加筆した部分は行の初めを2マス空けています。




