25 航太と櫂の浦島太郎?〜カメを助けたおれたちの長い午後〜
陽菜が東京へ帰ってから、美浜村の夏休みは少しだけ静かになった気がした。
あんなにうるさく感じていた蝉の声も、どこか遠くで鳴いているように聞こえる。防波堤を並んで歩いたことや、三人で分け合った冷たいラムネの味を思い出すたび、航太の胸の奥はほんの少しだけ、ちくっと切なくなった。
「にぃに、シロが早く海に行こうって言ってるよ!」
居間の畳の上でぼんやりしていた航太の耳に、櫂の元気な声が飛び込んできた。
足元を見ると、我が家の愛犬である二代目シロ――真っ白でふわふわの柴犬が、ちぎれんばかりに尻尾を振って、航太の膝に鼻を押し付けてきている。
「あ、ああ。分かったよ。よし、櫂、シロ、浜辺に行くか!」
「やったあ!」
航太は切なさを吹き飛ばすように勢いよく立ち上がった。
太陽はまだギラギラと照りつけていて、美浜村の浜辺はいつも通り、どこまでも青くて広かった。シロは波打ち際を嬉しそうに走り回り、櫂はそれを追いかけて歓声を上げている。
やっぱり、俺たちの夏休みは海がなくっちゃ始まらない。航太がそう思いながら砂浜を歩いていると、少し先の岩陰から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「こらー! 動くなよ!」
「ほら、ひっくり返せ! 棒で突っつけ!」
声の主は、近所に住む小学一年生の男の子三人組だった。彼らは手に手に木の棒を持ち、何かを囲んで大騒ぎしている。
「なんだ? 何やってんだあいつら」
航太が眉をひそめて駆け寄ると、三人組の足元で、小さな生き物が必死に手足をバタつかせていた。まだ生まれて間もないような、手のひらより少し大きいくらいの、ウミガメの子どもだった。子亀の甲羅には、男の子たちが突き立てた棒の跡が白く残っている。
「ひどい……! かわいそうだよ!」
追いついた櫂が、悲痛な声を上げた。
その瞬間、航太の胸の奥で、カッと熱いものが燃え上がった。
数日前、陽菜が「寂しかった」と言ったときの顔や、かつて母・ナギが抱えていたかもしれない孤独、そして自分たちが「見世物にされるかもしれない」と怯えたあの恐怖が、一気に脳裏をよぎったのだ。弱いものが理不尽に虐げられている姿が、どうしても許せなかった。
「やめろよ!」
航太は叫びながら、一年生たちの間に強引に割って入った。すかさず櫂も航太の隣に並び、子亀をかばうように立ちはだかる。
「うわっ、航太にぃに!」
「なんだよ、俺たちこれで遊んでるんだよ!」
一年生の一人が不満そうに口を尖らせたが、航太は一歩も引かなかった。小学三年生になり、少し体つきも大きくなった航太の迫力に、一年生たちは気圧されている。
「遊んでるんじゃなくて、いじめてるんだろ! こんな小せえカメをみんなで突っついて、何が楽しいんだよ! 自分がやられたらどう思うんだ!」
「そうだそうだ! バイバイしなきゃダメなんだぞ!」
櫂もぷんぷんと怒りながら拳を握りしめる。さらに、異変を察した二代目シロが「ガルルル……」と低い唸り声を上げながら、一年生たちを鋭い目で見据えた。
「ひえっ、犬まで怒った!」
「に、逃げろー!」
さすがに犬の加勢には敵わないと思ったのか、一年生三人組は慌てて木の棒を放り出し、クモの子を散らすように砂浜の向こうへと逃げ去っていった。
「ふぅ……。ったく、あいつら……」
航太は大きく息を吐き出し、すぐに足元の草むらに視線を落とした。子亀はひっくり返ったまま、小さなヒレを力なく動かしている。
「大丈夫か?」
航太はそっと手を差し伸べ、子亀の体を優しく仰向けに戻してやった。櫂も隣で心配そうに、子亀の砂まみれの甲羅を小さな手でさすってやる。
「痛かったね、怖かったね。もう大丈夫だよ」
櫂の優しい声に呼応するように、子亀は一度、小さく「キュー」と鳴いた気がした。そして、怪我がないことを確かめるようにゆっくりと砂浜を這い、海の方へと向かっていく。航太と櫂は、その姿をホッとした表情で見守っていた。
子亀が波打ち際にたどり着いた、その時だった。
ざばぁん、と少し大きな波が立ち、海の奥から二つの大きな影が近づいてくるのが見えた。
「うわ、何だ!?」
航太が目を丸くする。現れたのは、航太たちの体ほどもある、立派で大きな二匹の親亀だった。親亀たちは子亀を優しく包み込むように寄り添わせると、驚くべきことに、航太と櫂の方を真っ直ぐに見つめ、人間の言葉で語りかけてきたのだ。
『心優しい少年の皆さん。私たちの息子を助けてくれて、本当にありがとうございました』
波の音に混じって、確かにそんな鈴の鳴るような、穏やかな声が聞こえた。
「えっ……!? カメが、しゃべった……?」
航太は腰を抜かしそうになり、櫂は「ひゃあ!」と叫んで航太の背中に隠れた。シロも不思議そうに首を傾げ、短く「ワン!」と吠える。
『驚かせてしまってすみません。私たちは海の底に住む者です。大切なわが子を救っていただいたお礼に、私たちの家で、心ばかりのもてなしをさせてくれませんか?』
もう一匹の親亀が、静かにその大きな背中を波間に突き出した。ちょうど、航太と櫂が一人ずつ乗れるくらいの大きさだ。
「もてなしって……それって、もしかして竜宮城?」
航太はごくりと唾を飲み込んだ。頭の中では、昔絵本で読んだ『浦島太郎』の話がぐるぐると回っている。カメを助けて竜宮城に行き、帰ってきたらおじいさんになってしまう、あの話だ。
(どうしよう……。行ったら、俺たちもおじいさんになっちゃうのかな。でも、母ちゃんは人魚だったんだし、海の中には不思議な世界があるって、本当なんだ……)
恐怖よりも、好奇心と、母の故郷かもしれない世界への憧れが、航太の胸の中で急速に膨らんでいく。
「ねえ、にぃに……どうする? おれ、ちょっと行ってみたいかも……」
航太の服の裾を引っ張りながら、櫂の目がキラキラと輝いていた。櫂もまた、恐怖を忘れてワクワクしているようだ。
親亀たちは優しく目を細め、二人を促すように頭を上下に振った。
『心配はいりません。あなたたちを傷つけるようなことは決してしません。さあ、私たちの背に乗りなさい』
「……よし、櫂。行ってみよう!」
航太は決意を固めると、親亀の広い甲羅へと足をかけた。ゴツゴツとした甲羅は温かく、不思議と安心感があった。櫂も航太に続いて、もう一匹の親亀の背中にちょこんと跨る。
「シロ! 俺たちが戻ってくるまで、ここで待っててくれよ!」
航太が浜辺に残る愛犬に叫ぶと、シロは「くぅん」と寂しそうな声を上げたが、水際できちんとお座りをして、二人を見つめた。まるで「分かった、待ってる」と言っているようだった。
「出発だ!」
航太の声とともに、二匹の親亀はゆっくりと沖へと泳ぎ出した。不思議なことに、海の中に入っても、航太たちの周りには透明な空気の泡のようなものが包み込み、息苦しさは全くなかった。服も少しも濡れていない。
「うわあ! すげえ! 櫂、見てみろよ!」
「魚がいっぱい泳いでる! にぃに、あそこにいるの、アジかな!?」
二人は親亀の背にしがみつきながら、目の前に広がる圧倒的な光景に歓声を上げた。光が差し込む浅瀬から、徐々に深い青の世界へと潜っていく。色とりどりのサンゴ礁、見たこともない光を放つ深海魚たちが、二人の横を通り過ぎていく。
やがて、遠くの海底に、ぽつりと光の街が見えてきた。
それは真珠や貝殻で飾られた、まるでお城のような美しい建物だった。
「ようこそ、私たちの郷へ」
親亀たちに導かれ、航太と櫂はその光の城へと足を踏み入れた。
そこでの生活は、まさに夢のような時間だった。
城の中には、美しいヒレを持った海の住人たちがたくさんいて、二人を大歓迎してくれた。出される料理は、海の恵みで作られた見たこともないほど美味なものばかりで、櫂は「おいしい、おいしい!」と頬張っていた。
「航太くん、櫂くん、こっちで遊ぼう!」
助けた子亀もすっかり元気になり、二人の周りを嬉しそうに泳ぎ回る。航太たちは子亀と一緒に、水の流れを利用した海底のすべり台で遊んだり、光るクラゲのイルミネーションを眺めたりして、時間を忘れて楽しんだ。
海の住人たちはみんな優しく、温かかった。その温もりに触れるたび、航太は母・ナギのことを思い出していた。
(母ちゃんも、こんなに綺麗で優しい世界にいたんだな……。でも、ここを離れて、俺たちのところに来てくれたんだ。一人ぼっちで寂しかったって言ってたけど、こんなに素敵な場所でも、やっぱり寂しいことはあるのかな……)
そんなことを考えていると、城の奥から、どこか聞き覚えのある、懐かしくも切ない美しい歌声が聞こえてきた。それは、幼い頃に母ちゃんが子守唄代わりに歌ってくれた、海のメロディに酷似していた。
「……母ちゃん」
航太がポツリと呟くと、隣にいた櫂もハッとしたように歌声の方を向いた。
その瞬間、二人の胸の中に、強烈な「我が家」への恋しさが湧き上がってきた。
ここでの生活は本当に楽しい。まるで何日も、何週間もここにいるような充実感がある。だけど、どれだけ美しいお城でも、どれだけ美味しい料理があっても、やっぱり自分たちの家が一番だ。父ちゃんの豪快な笑い声や、母ちゃんの作る温かいハンバーグ、そして浜辺で待っているはずのシロの姿が、急激に恋しくなった。
「にぃに……おれ、お家に戻りたい。父ちゃんと母ちゃんに会いたいよ」
櫂が少し目に涙を溜めながら、航太の手をぎゅっと握りしめた。
航太は櫂の手を力強く握り返し、大きく頷いた。
「ああ。俺たちの夏休みは、やっぱり美浜村の家で過ごさなきゃな。父ちゃんたちも心配してるかもしれないし……」
航太が親亀たちに向き直り、「あの、俺たち、そろそろ帰ります」と告げると、親亀たちは寂しそうに、でも深く納得したように頷いた。
『分かりました。あなたたちの帰るべき場所は、あの光り輝く陸の上ですね。寂しくなりますが、お送りしましょう』
再び親亀の背に乗った航太と櫂は、光の城を後にした。去り際、子亀が何度もヒレを振って見送ってくれた。二人はそれに応えて、ちぎれるほど手を振り返した。
「バイバイ! またね!」
「元気でねー!」
深い青から、だんだんと光の差し込む薄青の世界へ。親亀たちはものすごいスピードで海を駆け上がっていく。頭の上がどんどん明るくなり、ついに、ざばぁっと水面に顔を出した。
眩しい太陽の光が、二人の目に飛び込んでくる。
「ぷはっ! 戻ってきた!」
航太が辺りを見回すと、そこは見慣れた美浜村の浜辺だった。そして、波打ち際を見ると――。
「クゥーン!」
白い塊が、猛烈な勢いでこちらに向かって走ってきた。二代目シロだ。シロは親亀から降りた航太と櫂の足元に飛びつき、顔中をベロベロと舐め回した。
「うわっ、冷たい! シロ、待っててくれたんだな! 偉いぞ!」
航太はシロを抱きしめながら、ふと、ある恐怖が胸をよぎった。
(待てよ……。海の中では、確か七日くらい経った気がする。一週間だ。一週間も家を空けてたとしたら、父ちゃんと母ちゃん、警察を呼んで大騒ぎしてるんじゃ……!?)
青ざめる航太の横で、櫂も同じことに気づいたのか、「にぃに、どうしよう! 怒られるよぉ!」とガタガタと震え出した。
二人は親亀たちにお礼を言うのもそこそこに、「急ごう!」とシロを連れて我が家へと猛ダッシュした。
息を切らせながら、いつもの通学路を走り抜け、西浜家の玄関に飛び込む。
「た、ただいまーー!! ごめんなさい!!」
航太が勢いよく引き戸を開け、居間へと転がり込んだ。叱られる覚悟でギュッと目を瞑る。
しかし、リビングから聞こえてきたのは、怒号ではなく、いつもの穏やかなテレビの音と、包丁がまな板を叩く「トントントン」という軽快な音だった。
「あら、おかえり。ずいぶん慌ててどうしたの? 競争でもしてきた?」
キッチンの奥から、エプロン姿のナギがひょっこりと顔を出した。その表情はいつも通り穏やかで、一週間も子供が行方不明になっていた母親のそれとは到底思えなかった。
「え……? 母ちゃん……?」
航太と櫂はきょとんとして顔を見合わせた。
そこへ、奥の部屋から青が「お、おかえり」と欠伸をしながら出てきて、壁の時計を見上げた。
「お前ら、海に行ってからまだ一時間しか経ってねえぞ? もう飽きたのか? いつもなら夕方まで戻らねえのに」
「ええっ! 一時間!?」
航太と櫂は同時に叫んだ。壁の掛け時計を見ると、確かに二人が家を出た時間から、ちょうど一時間ほどしか進んでいない。
「どういうこと……? 俺たち、海の底で一週間くらい遊んでたはずなのに……」
櫂が混乱して頭を抱える。青は二人の様子がおかしいことに気づき、「おいおい、熱でもあるのか?」と航太の額に手を当てた。
その時、ナギが二人の前にしゃがみ込み、その小麦色に焼けた肌と、濡れていない服をそっと撫でた。ナギの瞳には、全てを見透かしたような、優しい光が宿っていた。
「航太、櫂。もしかして……海の底の、綺麗なお城に行ってきたの?」
「……! なんで分かるの、母ちゃん!?」
航太が驚いて目を見開くと、ナギはふふっと嬉しそうに微笑んだ。
「海の底の世界はね、地上の世界とは時間の流れ方が違うのよ。あちらでの七日は、こちらの一時間。……そっか、あなたたち、海の住人に気に入られたのね。怪我がなくてよかったわ」
「ナギ、お前……」
青が驚いたように声を漏らすと、ナギは青を見上げて優しく微笑んだ。
「青くん、海はね、心優しい人を決して忘れないの。この子たちが、海の大切な命を救ったから、そのお礼だったのよ。ね? 航太、櫂」
「うん……! 一年生たちがウミガメの子どもをいじめてたから、やめろって言ったんだ。そしたら、お父ちゃんカメとお母ちゃんカメが来て……」
航太は、海の中での不思議な体験を、溢れるような言葉で両親に話し始めた。櫂も身振り手振りを交えて、「ご飯がすっごく美味しかったんだよ!」と付け加える。
青はそれを聞きながら、やれやれと頭をかきつつも、どこか誇らしげな笑顔を浮かべた。
「へえ、ウミガメを助けたか。さすが俺の息子たちだな。勇敢で優しいじゃねえか」
「ふふ、本当にね。でも、あちらの美味しいご飯もいいけれど、今日の夕飯も負けないくらい美味しいわよ? ほら、あなたたちの好きな唐揚げよ」
ナギが優しく微笑むと、二人の緊張は完全に解きほぐされ、お腹が「グゥ〜」と大きな音を立てて鳴った。
「あはは! やっぱりお腹は正直だな!」
青の豪快な笑い声がリビングに響き渡り、航太と櫂も顔を見合わせて笑った。
不思議な海の旅から戻ってきた西浜家のリビングには、いつもと変わらない、温かくて愛おしい時間が流れていた。
まだ一時間しか経っていない、長い長い夏休みの午後。
航太は窓の外の青い海を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。海は遠く離れた場所にあるのではなく、いつも自分たちのすぐそばで、優しく見守ってくれているのだと、確かに実感していた。
「母ちゃん、俺、やっぱりここの家が世界で一番好きだよ!」
航太が真っ直ぐな瞳で言うと、ナギは愛おしそうに二人の頭を撫でた。
「ありがとう、航太。母ちゃんも、ここが世界で一番幸せな場所よ」
美浜村の夏の風が、カーテンをふわりと揺らす。少年たちの眩しい夏休みは、まだ始まったばかりだった。
先日、これで今度こそ完結と思ったのですが、夏休みもあってか、また航太と櫂の物語を思いつきました。
この物語は浦島太郎をモチーフにしています。浦島太郎は民間伝承で口伝で伝わり、作者は分からないようです。
幼い少年たちの夏休みの不思議な出来事というような感じの物語にしました。
アイデアを出してAIがまとめてくれました。
今回は、行の初めが一桝空いていますが、これはすべてAIが書いています。
明日8月2日からは、
影追いペアー理不尽を強いる者たちへの反撃ー
を投稿します。2人の高校生の物語です。




