23 父ちゃんの家族写真と母ちゃんの秘密
美浜村の初夏。海風が校舎の窓をすり抜け、青々とした木々の葉を心地よく揺らしていた。
西浜家の長男・航太は小学三年生になり、弟の櫂は小学二年生になった。二人の肌は、毎日のように海や浜辺で駆け回っているため、すっかり健康的な小麦色に焼けている。
放課後、元気に帰宅した二人は、誰もいないリビングの畳の上で大きな荷物を放り出した。
「ふう、暑かったなぁ! 喉渇いた!」
「にぃに, 麦茶飲もうよ!」
航太がキッチンへ行こうとしたとき、ふと、リビングの一角にある父・青の仕事机に目が止まった。
そこには、いつも決まって一組の写真立てが飾られている。中身は、数年前に家族みんなで神戸へ旅行したときのものだ。水色のワンピースを着た母のナギと、笑顔の青、そしてあの時はまだ小さかった航太と櫂が写っている、大切な家族写真だった。
「ねえ, 櫂。これ, 開けたことある?」
航太が興味津々な声で写真立てを指さした。櫂は首をかしげる。
「ううん、ないよ。父ちゃんがいつも大事にしてるやつでしょ?」
「ちょっとだけ, 裏側見てみようぜ。何枚か重なって入ってるかもしれないだろ」
好奇心を抑えきれなくなった兄の誘いに、櫂も「おっ、面白そう!」と目を輝かせて頷いた。
航太はそっと写真立てを手に取り、裏側の留め金をパチンと外した。表側のガラス面を慎重に外し、中の写真を一枚ずつ取り出していく。旅行の写真、数年前的運動会の写真……そして、その一番後ろから、思わず手が滑りそうになるほど古い、一枚的小さな写真がひらりと滑り落ちた。
写真の端は、何かの炎で炙られたように、黒く焦げていた。
「わっ……なにこれ」
二人は床に這いつくばり、その写真を覗き込んだ。
そこに写っていたのは、見慣れたリビングでも、賑やかな海辺でもなかった。
どこまでも深く透き通る、海の底。その神秘的な海底的岩陰にちょこんと腰を掛けている、一人の少女だった。
栗色の長い髪がまるで絹糸のように水中でふわりと広がり、何より驚いたことに、その腰から下は美しい銀色の鱗に包まれた──本物の「人魚」の姿だったのだ。
「に, にぃに……これ, 母ちゃん……だよな?」
櫂が青い顔をして、航太の服の裾をぎゅっと引っ張った。写真の少女的顔立ちは、まぎれもなく、今まさに台所で夕飯の支度をしている母・ナギその人だった。
「う, 嘘だろ……? 母ちゃんって, 昔……人魚だったのか……?」
航太の頭の中が真っ白になった。
──その瞬間、航太と櫂の脳裏に、最近テレビで見たニュース映像がフラッシュバックした。
山から人里に降りてきて、猟銃で威嚇されながら捕獲される大きな熊。檻に入れられ、大勢の大人たちにスマートフォンやカメラで写真を撮られ、フラッシュを浴びて怯える熊の姿。
もし、母ちゃんが人魚だとバレたら……?
自分たちも──お父ちゃんまでもが、「珍しい生き物」として捕まってしまうんじゃないか?
薄暗い水槽に入れられ、ガラス越しに知らない人間たちの好奇の目に晒され、カメラのフラッシュが連続して光る……。そんな恐ろしい光景が、二人の想像の中で現実味を帯びて膨れ上がった。
「ひいいっ……!」
「やだぁ、捕まりたくないよぉ……!」
二人は写真を床に落とすと、ガチガチと震えながら抱き合った。自分たちが人間じゃなくて、「人魚の子供」かもしれないという恐怖と、見世物にされるという想像が、幼い心を支配した。櫂は恐怖のあまり、声を殺して泣き出した。
その時、キッチンの方から「そろそろハンバーグが焼けるわよー」と、ナギ的明るい声が聞こえてきた。
「ひっ……!」
現実に引き戻された二人は、慌てて写真を写真立ての裏側に押し込み、元通りにガタガタと慌てて机に戻した。心臓がバクバクと五月蠅く鳴っている。
どうしよう、母ちゃんに本当のことを聞いた方がいいのか? それとも、一生秘密にしておいた方がいいのか? 二人は顔を見合わせたまま、すっかり怯えて固まってしまった。
夕方。窓の外の空が、だんだんと夕焼けのオレンジ色に染まり始める頃。
漁から戻ってきた青が「ただいまー!」と大きな足音を立てて玄関から入ってきた。
「お父さん、おかえりなさい!」
エプロン姿のナギがリビングから顔を出す。
だけど、今日の航太と櫂は、なんだか様子がおかしかった。テレビをつけても画面を全く見ていないし、夕飯のハンバーグが目の前に並んでも、いつもなら「やったー!」と飛びつくはずなのに、お皿を見つめたままスプーンを持ったまま固まっている。
青は首をかしげ、ナギは心配そうに二人の近くにしゃがみ込んだ。
「航太、櫂? どうしたの? 学校で何かあった? それとも喧嘩でもした?」
「ううん……なんでもない……」
航太は下を向いたまま、モゴモゴと呟いた。櫂はすっかりしょぼくれて、ナギの袖を小さな手でそっと掴むと、ポツリと言った。
「あのさ……母ちゃん……」
「ん? どうしたの、櫂」
「おれたちさ……人間だよね……? その, 魚になったりしない……よね?」
その質問に、リビングの空気がピタリと止まった。
ナギは一瞬、ハッとしたように目を見張り、それからふっと優しい笑みを浮かべた。だが、すぐに青の方をチラリと見る。青もすべてを察したように、やれやれと苦笑いをしながら頭をかいた。
「おいおい、もしかして……父ちゃんの机の上の写真立て、開きちまったのか?」
ギクリとした表情で、航太と櫂はビクッと体を震わせた。
「み, 見たのか……?」
「ごめんなさい! 勝手に触ったわけじゃなくて、その……裏に何があるか気になって……!」
航太が土下座でもしそうな勢いで頭を下げると、ナギは小さく息を呑んだ。
まさか、あの写真を子どもたちが見るなんて。
青は航太と櫂、2人を参ったなあという笑顔で見つめた。
ナギは震える声で口を開いた。
「青くん、写真……」
ナギはびっくりして青を見つめたあと、混乱している2人の息子にいった。
「航太、櫂……。ごめんなさい。隠していたわけじゃないの。でも、あの写真は……本当は、私が人間になった日に、燃やしてしまおうと思っていたものなの」
「えっ……?」
ナギは立ち上がり、机の上の写真立てから、例の焦げた写真をそっと取り出した。
「私は、人魚界の掟を破って人間になったの。だから、人魚だった頃の記憶や証は、全部捨てなきゃいけないって思ってた。人間として生きるのに、邪魔になるって……。だから、この両親が撮ってくれた写真も、庭で燃やそうとしたの。その時の焦げ跡よ」
それを聞いた航太と櫂は、言葉を失った。母ちゃんが、自分の過去を消そうとしていたなんて。
すると、ソファに座っていた青が立ち上がり、ナギの肩を抱き寄せた。そして、焦げた写真を愛おしそうに見つめる子どもたちとナギの顔を交互に見た。
「ナギ。お前は、人間になるために過去を捨てようとしたかもしれない。でもな、俺にとっては違う」
「青くん……」
「人魚として生きていたお前が、悩み, 苦しんで, それでも俺を選んで人間になってくれた。その過去のすべてを含めて、今のナギなんだよ。人魚だったお前がいたから、今の家族がある。だから、この写真は俺がとっておいたんだ。お前に内緒でな」
青は不器用だが、真っ直ぐな瞳でナギに伝えた。
「俺にとっては、どれも大切な家族の記録だ。お前が自分の過去を否定する必要なんて、どこにもない」
ナギは、青の言葉に驚き、そして目からポロポロと涙を溢れさせた。
「青くん……私、ずっと怖かったの。人間になりたいと願ったことが、わがままだったんじゃないかって。過去を振り返っちゃいけないって……。でも、そう言ってもらえて、嬉しい……」
ナギは泣きながら青の胸に飛び込んだ。
その様子を見ていた航太と櫂も、こらえきれずに泣き出した。
「うわーん! 母ちゃん、よかったよぉ! 海に帰らなくていいんだもんねぇ!」
「父ちゃん、かっこいいよぉ!」
青は笑いながら、泣きじゃくる息子たち二人を片手で抱き寄せた。
「ははっ、まあな! いいか、お前たち。母ちゃんはな、すごい勇気を出して人間になったんだぞ。だから、お前たちは世界一強い母ちゃんの子どもなんだ」
青の力強い説明を聞いて、航太と櫂は「ふぅ……」と、全身の力が抜けたように同時に大きな深呼吸をした。
「よかったぁ……。尾ひれが生えて、学校のプールで沈んじゃったらどうしようかと思った……」
櫂が胸をなで下ろすと、リビングにドッと笑い声が広がった。
「ばかだな、お前が沈むのはカナヅチだからだろ。今度休みに、父ちゃんが特訓してやるよ」
「やだ、父ちゃんの特訓スパルタだから嫌だ!」
キャッキャと笑い合う息子たちの頭を、ナギは涙を拭いながら愛おしそうに順番になでた。
「でもね、航太, 櫂。写真のことはびっくりさせちゃったけど、父ちゃんが言った通りよ。母ちゃんが人間になって、こうして青くんと結婚して、あなたたちを産んだのはね……海の底にいるときから、ずっと夢見ていたことなの。あの写真のころの母ちゃんは一人ぼっちで寂しかったけれど、今は世界で一番幸せよ」
ナギのその言葉を聞いたとき、航太と櫂は、さっきまで感じていた不安や驚きが、すーっと温かいもので満たされていくのを感じた。
「母ちゃん……」
「おれ、人間でよかった! いや、母ちゃんが人魚でも人間でも、どっちでも大好きだけどさ!」
航太が照れくさそうに笑いながら言うと、ナギは嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう、二人とも。さ, 冷めないうちにハンバーグ食べましょ。今日は特別な日になったわね」
夕食の後、家族みんなですっかり誤解の解けた写真立てと、焦げた写真は、再び青の机の上に大切に戻された。
窓の外では、美浜村の夜の海が、まるで二人の秘密と過去を優しく包み込むように、静かに、どこまでも穏やかにきらめいていた。
もう二度と離れることのない家族の温もりの中で、西浜家の夜は、あまく静かに、穏やかに更けていくのだった。
アイデアを入力してAIが書いたものを加筆修正しました。加筆した部分は行の初めを一桝空けています。




