023.令嬢、弟の秘密を知る
サンルームのベンチに並んで座ってからも、リスティスは黙り込んだままだった。
報せを受けたお母様に出迎えられて、私はようやく一息付けた気分だった。
仕事のため不在のお父様に代わって、お母様や執事をはじめ、多くの使用人が事後対応に忙しくしており、私とリスティスは2人で過ごすことになった。
フェイもジェイムスも慌ただしく出かけていった。
気丈に振る舞っていた侍女や御者は休ませている。
リスティスは、屋敷に着いてから1度も私を見ようとしない。
けれど、サンルームに入ってから繋がれた手はそのままだった。
リスティスの横顔からは何の感情も窺い知ることはできなかった。
逆にそれが不安を掻き立ててならなかった。
「ティニー・・・」
呼びかけた声は、思っていたよりずっと小さくなってしまった。
それでも耳の側で呼びかけたも同然の距離であり、リスティスの耳に届くには十分だったようだ。
「え、あ・・・。どうしたの?」
「その・・・」
大丈夫?
その言葉を口にするのは躊躇われた。
口にしてしまえば、均衡が保たれていたものが崩壊するのではないかと漠然と思ってしまったのだ。
けれども、それは通じてしまったらしい。
困ったような苦笑を浮かべたリスティスは、随分と大人のように思われた。
「ヴィヴィ。今日のような襲撃はまたあるかもしれない。いや、これから増えると思う。でも、俺が守るから。俺だけじゃない。ジェイムスもフェイもいる。だから、今日みたいな無茶は2度としないで欲しい。約束して」
馬車の中でも散々言い含められた言葉を繰り返した。
けれどその言いようはまるで何かを恐れているかのようにも感じられた。
「ティニー。心配をかけてごめんなさい。でも、ティニーにだって危険な真似はして欲しくありませんわ。本当に心配したのですからね!」
「ヴィヴィ」
「それに、ジェイムスやフェイもそれが仕事だとわかっていますけれど、怪我を負って欲しくありませんわ。そのためでしたらわたくしだって戦います」
馬車の中では言えなかった言葉を吐き出す。
もう2度と私のせいで誰かが傷ついてほしくない。
自分の思いに気を取られていた私は、その時リスティスの表情の変化に気づくことができなかった。どこか憂いを含んだ声を聞いた気がした。
「ヴィヴィ・・・。
それでも。それでも、俺はヴィヴィを守りたい。もう2度と失いたくない」
2度と?
以前も同じようなことがあった。
「ティニー、それはどういう意味ですの?」
リスティスを見る。
リスティスも私を見ている。
「ねえ、ヴィヴィ。おかしなことを言うと思うかもしれないけれど、ヴィヴィは自分の未来を知っているんじゃないの?」
「え・・・」
それはもしかして。
「俺はね、この先に起こる未来を知っている。いや、知っていたんだ。でも、知っているせいかな。少しずつ前とは変わってきている。
ヴィヴィもそうだ。前のヴィヴィと今のヴィヴィは同じようで少し違う。この違いはなんだろうって考えていた。でも、俺と同じなんだとしたら納得がいく。
俺と同じように、死んで同じ生をやり直しているのなら」
同じ生をやり直す。
ああ、そうだわ。
転生なんて真希の記憶にこだわっていたからわからなかった。
私は、ヴィヴィアンとして2回目の生を受けた。真希を経由したとは言え、人生をやり直していたのだわ。
だからリスティスも前と少し変わっていたのね。
でもそうだとしても。
そうだとしたら。
「ティニー・・・」
私の目から涙が零れ落ち、溢れる涙は止まることなくその後を追う。
「ティニー、貴方はいったいいつ死んだと言うの? わたくしは、貴方の将来を守りたかったのに」
処刑を受け入れたのは、ハーグリーブス侯爵家が永続するため。ひいてはリスティスの未来のためだった。
空いた左腕が私の頭を掴んで胸に押しやった。繋いでいた手がそっと解かれ、背中に回る。
「違うよ。俺が死んだのは俺自身の所為なんだ。ヴィヴィの所為じゃない。それにヴィヴィが犠牲になる必要はなかったんだ。あれは冤罪だったのだから。俺の力が足りなかったからヴィヴィを救えなかった。ごめん、ヴィヴィ。ごめん・・・」
私はリスティスの胸の中で首を振った。
リスティスのせいなんかじゃない。
そう伝えたくて。
8歳の男の子。決してその胸は広くも固くもない。大差ない体格のはずなのに、大きな毛布に包み込まれたような安心感を抱いていた。
「ハーグリーブス侯爵家に敵対する輩であることは変わりないけれど、その勢力図は以前と違うと思う。以前であれば、第2王子の婚約者だったヴィヴィを排除して、ハーグリーブス侯爵家が王家への発言力を弱めたいと思っていた奴らだ」
「当家に敵対しているという点で同じであれば、ほとんど同じなのではないの?」
「違うと思う。ハーグリーブス侯爵家の立ち位置が変わっているから。以前は、表向きは第2王子派。現在は、第1王子。正確には王妃派。知っての通り、第2王子の生母は王の愛妾で、妃の地位にない。でも、彼女はグリーブル侯爵家の出身。グリーブル侯爵家は当家と同等の権勢を誇る高位貴族。マグネティア王家出身である王妃より国内の貴族への影響力は大きい。グリーブル侯爵家は、第2王子を王に据えたいと考えている」
そこまでは私も知っている。
だからこそ、第2王子と歳が近く最も権勢がある|ハーグリーブス侯爵家令嬢《私》が婚約者に選ばれたのだ。
「けれど、以前は第1王子派と第2王子派が明確に対立する事にはならなかった。父上がグリーブル侯爵の画策を阻止していたから」
「え?」
「父上は、第2王子派が明確な派閥を作る前に内側に入り込んで表立つ前に野望を瓦解させるために、ヴィヴィと婚約させたんだ。もちろん、その可能性はグリーブル侯爵も想定していただろうけれど、第1王子に表立って付かれるよりマシだと思っていたんじゃないかと思う。当家がマグネティア王家出身の王妃に付くっていうのはそれだけ意味が大きい。
認めたくはないけれど、実際父上はほとんどのその目論見を成功させている。第2王子派が表立つことはなく、第2王子とその母親を失脚させた。ヴィヴィを犠牲にして・・・」
これは私が死んだ後の話なんだわ。
「クローディン王子様とクラウディア様は・・・」
「気になるの?」
リスティスの瞳に怒りの炎が浮かんだように見え、即座に首を振った。
「違いますわよ! クローディン王子様が好きだからではなくて、単純にどうなったのか・・・、いいえ、気になっていません。大丈夫です! ティニー、まったく気にならないのですわ!」
話しているうちに不穏な気配を強めたリスティスに慌てて否定の言葉を言い募る。
「そう? ダメだよ、ヴィヴィ。王子なんかに気を許しちゃ」
必死に首を縦に振って同意すると、リスティスはようやく微笑んでくれた。
また呪いの魔法を発動させてしまうかと思った・・・。
「そ、それで、結局のところ、今回敵対する可能性があるのは誰ですの?」
「以前は、第2王子。正確にはグリーブル侯爵家に与した後ろ暗いところがある者たちが、ハーグリーブス侯爵からの粛清を恐れて失脚させようとしていた。今回もグリーブル侯爵家とその周辺の貴族は、ハーグリーブス侯爵家の台頭が目障りに思っているだろうからここは同じ。問題は、それに加えて、今まで中立だったり王妃派の貴族の一部が今以上にハーグリーブス侯爵家が権勢を握ることを恐れて失脚を望んでいる」
「以前より状況が悪いのですのね・・・」
「そうだね。今のところ、俺はアイゼルリバー伯爵がかなり怪しいと思っている。今日の首謀者がそうだったかはわからないけれど、遅かれ早かれ対立すると思う。アイゼルリバー伯爵は野心家だから」
アイゼルリバー伯爵・・・。フランシスカ様のお父様だわ。
「アイゼルリバー伯爵は、第2王子の婚約者に娘を据えようと画策しているみたいなんだ」「どうしてそんなことを知っていますの?」
「それから」
リスティスは次々に貴族の名前を挙げていく。その大半は、以前と合わせてもあまり交流のない貴族だった。
いったい、どこからその情報を仕入れたのだろう。
以前の記憶では説明がつかない。
その理由は教えてくれぬまま、リスティスは話を続けた。
「それと、ヴィヴィはフェイのことどう思う?」
「フェイ? 元軍人とは思えないところはありますけれど、ジェイムスに劣らない実力の持ち主だと思いますわ」
「うん。実力は疑っていない。でもあいつは俺たちが知らない人間だ。そもそもなんで軍人が、縁もゆかりもない貴族に仕えることになったのか。父上が認めたのだから身の上に問題はないのかもしれないけれど、あの侍女のことがある。あまり信頼しないほうがいいと思う」
胸に棘が刺さったようにズキズキと傷んだ。
彼女の蔑んだ視線が脳裏に浮かぶ。
「ええ、そうですわね・・・」
「ヴィヴィ・・・。いっそ、クレアに辞めないでもらえるよう画策したほうが」
「! ダメですわ、そんなことしないでちょうだい! クレアは結婚して幸せそうでしたもの。彼女の幸福を壊すことはしたくありませんわ」
退職したクレアを1度だけ訪ねたことがある。2人の子供を連れた彼女はとても幸福そうだった。
「ヴィヴィがそう言うなら」
リスティスはすんなりと同意してくれる。
「ヴィヴィはクレアが好きだね」
「ええ。以前もクレアは優しくて姉のような存在でしたから」
わがまま放題だったヴィーだけれど、クレアのことは好きだった。
「そう・・・」
クレアの幸福はもちろんのこと、私は今回実現しないといけないことがある。
「ティニー聞いて。わたくしね、どうしても助けたい人たちがいるの」
私はあの2人を忘れてはならない。
「以前、わたくしの護衛に付いていた人たちよ。わたくしは彼らに報いらなければいけない」
「ヴィヴィ、それは・・・」
私は頷きをもって肯定する。
彼らは私の護衛について、そしてその任務の中で生命を落とした。
「ええ、そうですわ。キースとロビンのことよ」
キース・ロックフォールとロビン・アバランチ。
キースはまだ20歳だったし、ロビンも幼い子供が帰りを待つ若き父親だった。
「・・・だから、今日ジェイムスを」
リスティスの言葉に頷きを返す。
キースはジェイムスの3番目の息子だったから。
キースの死因となった傷は、今日のジェイムスと酷似した状況で負ったものだった。
「そうか・・・。俺、ヴィヴィはキースのことなんて気にしていないんだと思っていた」
それはそうだろう。
「ええ。以前であれば、仕方がないと思っていたわ。キースもロビンも、彼らの職務の中で殉職したのだから、役目を果たしたのだと納得していた。でも、彼らの犠牲の上でわたくしは生き残った。
もし、彼らがわたくしの護衛に付いていなければ? 彼らはもっと長生き出来たかもしれないし、わたくしはもっと早く死んでいたかもしれない。
だから仕方がないなんて思ってはいけなかった。失われていい生命なんてないのですから」
リスティスは、目を瞠った。
以前の私であれば、そんな発想に至ることがなかっただろう。
リスティスも貴族の跡取りとして、同じような価値観を持っていたかもしれない。
貴族にとっても平民にとっても、生命は等しくない。平等なんて存在しない。
高貴なる王侯貴族の生命は尊重され、平民の生命は使い捨てのように王侯貴族のために消費される。
それが当たり前だった。
真希の常識がなければ、そんな発想に至らなかった。
けれど、私が思っていたのとは違いリスティスはその瞳を潤ませていた。
「ヴィヴィがそんな風に考えていたなんて知らなかった。俺もキースを死なせたくない。協力するよ、もう誰かを犠牲にはしない」
そう言って、リスティスはキースとの繋がりを明かしてくれた。
キースが私の護衛に付くより前、彼は国境付近の砦に配属されていたらしい。そして、リスティスはその砦でキースと出会ったそうだ。
跡取りとして様々なことを学んでいたリスティスは、その砦にも足繁く通っていた。当時もジェイムスはリスティスの護衛に付いていたため、その息子のキースとも自然と交流を持つようになったらしい。
私がクレアを姉と慕うように、リスティスはキースを兄のように慕っていたらしい。
若く優秀だったキースは、それゆえに私の護衛に任命された。それ自体は喜ばしいことだとリスティスは思っていたそうだ。
勤務地が屋敷に移ったことで、会う時間が増えたし、何よりキースが私を守ってくれるのは心強いと思っていたらしい。
けれどその結果が殉死だった。
当時のリスティスの胸の内は複雑だったらしい。
私は、そんなことに何も気がつかなかった。
なんて情けないのだろう。
最愛の弟の心情を何一つ分かろうとしていなかった。
私はいったいリスティスの何をわかっていたのだろう?




