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リーナ姫の最後の芸

 人魚は荒事が苦手です。それでなくとも、お世話になった王子を刺せるはずがありません。リーナ姫は真っ青になって拒否しました。


「そんなことできるわけないでしょ!」

「君ができないのならぼくがやる」


 そう言ってキリクが会場へ向かおうとするので、リーナ姫は慌てて止めました。


「ちょっと待って! ちゃんと説明して! どうして王子さまを刺す必要があるの?」

「リーナが泡になって消えないために血が必要なんだ。人間の……高貴なる者の血が」


 その答えにリーナ姫は覚悟を決めました。


「それはもういいの」

「何だよ、それ」

「今ここにいる人が泡になって消えたらどう思う? きっと驚くはずよね」

「当たり前だろ!」

「私はそれをやりたいの。だから血は必要ないわ」


 消えてしまうと告げられてから、ずっと考えていたことでした。王子とグレアムは、時折リーナ姫のショーを見にきてくれていたので、持ち技を大方知っています。もちろん今日のために新しい芸を用意してありましたが、全てがそうというわけではありません。目新しく、もっとインパクトのある芸があればと思っていたところでした。

 それを伝えると、キリクは驚き呆れ、そしてついには怒り出してしまいました。


「何言ってるんだ! そんな一時のことのために自分の命を投げ出すつもりか!?」

「私にとっては大事なことよ。それに自分のやりたいことをやって死ねるのなら本望よ。……まあ、ちょっと怖いけどね」

「何でそんなに自分勝手なんだよ! リーナを待ってる皆はどうでもいいって言うのか!」

「そういうわけじゃないけど……。でもキリクなら私の気持ちがわかるはずよ。ほら、前に実験で大事故を起こして死に掛けたことがあるでしょ。私はあの時キリクが死んじゃうんじゃないかと思って、凄く心配したわ。でもあなたは私の心配をよそに、痛がるどころか新しい発見をしたとか言って喜んでたじゃない。あの時は何て奴だって思ったけど、今ならあなたの気持ちわかるわ。ね、立場は逆だけど、今と同じだと思わない?」


 キリクはわなわなと唇を震わせ、搾り出すように言葉を紡ぎました。


「そんなの、違う……。死ぬって解ってるのに、そんなこと、させたくない……」


 キリクの震えを抑えるように、リーナ姫は彼の両腕にそっと手を置きます。そして成長した幼馴染の顔を眩しげに見上げました。


「実験に没頭しているときのあなたはとても素敵よ。好きなことに打ち込んでいると輝いて見えるのね。私も芸をしているときは、とても素敵だって褒められるの。だから、そういう私を是非あなたに見てもらいたいな」

「見たくない……。ぼくは……、リーナが好きなんだ。一緒に生きて行きたいんだ……」


 キリクは首を振り、必死に言い募ります。今にも泣き出してしまいそうな声でした。

 リーナ姫はキリクに抱きついて微笑みました。

 誰かが泣いている所を見るのは悲しいです。ですがそれが自分を思っての涙なら、そしてキリクの涙であれば、こんなに嬉しいことはありません。

 私はひどい女だ、とリーナ姫は思いました。


「うん、私もキリクのことが大好き……。だから一番好きな人に、自分の一番の姿を見てもらいたいの」


 そしてリーナ姫はキリクの耳元に唇寄せて囁きました。


 お願い、と。


 リーナ姫は一度やるといったことは必ずやり遂げます。それをキリクもよく解っていました。そして、駄目だと言いつつも、リーナ姫の気持ちは理解できてしまうので、最終的には彼女のお願いを受け入れるしかなかったのです。

 キリクはやるせない思いで、リーナ姫の体をきつく抱き返しました。


「恨むよ。君のこと一生恨んでやるから」

「うん……」


 それはキリクの記憶から、リーナ姫のことが一生消えないということです。リーナ姫は歓喜に震えました。そしてキリクを好きになってよかった、とリーナ姫は思ったのです。




 楽屋にキリクを伴って戻ったリーナ姫は、彼の身支度を整えるために奮闘しました。キリクが傍に居るといって聞かないので、助手をやってもらうことにしたのです。


「はい、できた。素敵よ!」


 いつもの野暮ったい前髪を整え、舞台衣装をつけるとキリクは見違えるような美青年になりました。少し幼さの残る秀麗な顔立ちは、ご婦人方に受けそうです。舞台の大成功の予感に、リーナ姫はほくそ笑みました。


 一方キリクは整髪剤の感触が気持ち悪いのか、奇妙な顔をして整えた髪を触ろうとします。リーナ姫はその手を払い落としました。


「触っちゃ駄目! 形が崩れちゃうでしょ……そういえば今日は恥ずかしがらないのね。いつもこうしてればいいのに」

「女性の人魚は凄い格好してるから見てられないんだよ……。ここは女の人がちゃんと服を着てるから平気だけど」


 何だそんな理由だったのかと、リーナ姫は呆れました。たまに貝殻がポロリと取れてしまうこともありますが、人魚は大体気にしません。小さな頃から見慣れてればなんとも思わなくなりそうだけど、とリーナ姫は不思議に思いました。


 服を着て髪も整えたので、後は手袋をはめるだけです。リーナ姫はキリクにはめてあげようとして、手を止めました。キリクの指に切り傷が付いていたのです。


「これ、いつ怪我したの?」

「なんでもない。手袋ぐらい自分ではめるよ」


 そう言うと、キリクは手袋をひったくって、さっさとはめてしまいました。そしてリーナ姫に向き直り、ジッとこちらを見詰めてきます。


「どうかした?」

「視界がはっきりしているうちにリーナを見ておこうと思って」

「そう……。でもあまり見つめられるのはくすぐったいかも」

「じゃあこうしよう」


 リーナ姫の体があっという間に引き寄せられ、キリクと唇が触れ合いました。リーナ姫は驚きに目を見張りました。


「あ……、口紅が取れちゃう……」

「後で直せばいい。時間はまだあるだろ」

「そうだけど。でも、キリクがこんなことするとは思わなかった」


 鼻が触れ合うほどの至近距離で、真顔のキリクが囁きました。


「度胸がないって思ってた?」


 キリクの滅多に見ない、灰色の瞳に見つめられ、リーナ姫の胸が高鳴ります。次第に頬が上気してきて、リーナ姫はうろたえました。


「だって……、あなた照れ屋じゃない」

「リーナのせいで吹っ切れちゃったんだ」


 そう言ってキリクは優しく唇の端を持ち上げ、リーナ姫の唇を塞ぎました。リーナ姫は、柔らかい唇の感触にうっとりと身を委ねました。



 束の間の恋人同士の時間はあっという間に過ぎ去り、とうとうリーナ姫の出番がやってきました。

 リーナ姫とキリクは颯爽と舞台に踊り出て、一礼をします。美男美女のコンビの登場に、それだけで観客が沸き立ち、盛大な拍手が起こりました。王子はうっとりとリーナ姫を見つめ、その隣でグレアムがにこやかに見守ってくれています。


 リーナ姫は取って置きの笑顔を浮かべ、自らの技を披露し始めました。


 テクニカルパフォーマンスから始まり、リズムに合わせて踊る軟体技、そして最後はリーナ姫がもっとも得意とする、コメディパフォーマンスを取り入れたパントマイムで終わります。どれもこれも、拍手喝さいを浴び、舞台の興奮は最高潮に達しました。

 そしてとうとうリーナ姫が泡になって消える時間がやってきました。リーナ姫の体が淡く光だし、観客達にざわめきが走ります。

 そこにキリクの朗々とした声が響き渡りました。


「皆様、ただ今より、我が一座の花形が編み出した、究極のマジックをご披露致します。泡になって消える消失現象、とくとご覧あれ!」


 リーナ姫は笑顔で手を振り、その時を待ちます。観客達の期待に輝く瞳がリーナ姫に注がれました。王子やグレアムも感心したように見入っています。リーナ姫の心は喜びで満たされました。

 そしてとうとうリーナ姫の体は、弾ける様に泡へと姿を変えたのです。



 観客から今までにない、盛大な拍手が沸き起こりました。

 一人になってしまったキリクは、泡に触れないようリーナ姫の立っていた場所に移動しました。そして手袋を外し、傷のある手を胸の場所で広げ、何事かを呟きました。刹那、舞台が眩く光り、赤い霧が舞台を覆います。観客は拍手を納め、呆気に取られて舞台を見つめました。そして霧が晴れた頃、キリクに横抱きにされたリーナ姫が現れたのです。


「これにてリナのショーは閉幕いたします。皆様ありがとうございました!」


 観客の反応を待つことなく、キリクは閉幕の合図をしました。そしてリーナ姫を抱えたままさっさと舞台裏に移動してしまいました。舞台裏にたどり着いても、キリクの歩みは止まりません。声を掛けてくる団員たちを、すべて無視して歩き続けます。そして甲板まで来ると、ようやくリーナ姫を下ろしてキリクは床にへたりこんでしまったのです。

 リーナ姫には何が何だか解りませんでした。


「……どういうことなの?」

「成功してよかった……。本当によかった……」


 リーナ姫の疑問に、キリクは答えになっていない返事を呟きました。月明かりに照らされたキリクの顔はひどく真っ青で、ぶるぶると震えています。リーナ姫は慌ててキリクを抱きしめました。体もとても冷え切っています。


「ひどい顔色! ねえ、何があったの? 大丈夫?」

「少しリーナの時間を逆行させた後、ぼくの血を、使ったんだ……」

「え、それってあの時大失敗した実験の魔法? 完成してたのね」

「そうみたいだ。実際に使うのは初めてだったんだ。でも心配だから帰ったら、母さんに体を診てもらってくれ……」

「うん……。でも血はどういうことなの? あなた人魚でしょ。それに高貴な血って……」

「ぼくはハーフなんだ。人間と人魚のね。高貴な血は……そういうんじゃなくて、つまり……」


 キリクは言いにくそうにもごもごと口ごもりました。リーナ姫はせかさず、キリクの言葉を待ちます。


「本当は人間の、童貞の血が必要だった……」

「何それ」

「そんなの母さんに聞いてくれ! ぼくがあの薬を作ったわけじゃないんだから!」


 大声を上げたキリクの体がぐらりと傾きました。興奮したせいで、眩暈をおこしてしまったようです。リーナ姫は慌ててキリクの体を支えました。


「落ち着いてよ。……そんなになるまで血を使わせちゃったのね。キリクに頭が上がらないわ」

「当然だ」

「あれ、これは……?」


 キリクの握り締めた左拳に手を触れたリーナ姫は、違和感を感じて尋ねました。キリクはああ、と思い出したように手を開きます。そこには、小石で花を模ったような髪飾りがありました。そのなかに一つだけ青い粒が見えます。


「これ、青真珠……」

「本当は全部青真珠だったんだよ。リーナの誕生日に渡すつもりで作ってたんだ。最後の一つがなかなか見つからなくて、渡せなかったけどね。でも魔法の触媒に使ってしまったから、色あせてもう使い物にならないな……」


 キリクが苦笑して、髪飾りを放ります。リーナ姫は慌ててそれを追いかけました。


「駄目、そんなことしちゃ! せっかく作ってくれたんでしょ? ありがたく頂きます」


 髪飾りを大事そうに抱えたリーナ姫に、キリクは肩をすくめて言いました。


「そんなものでよければ」




 キリクの体調が整った頃、二人は海に戻るべく柵の前に立っていました。すると遠くから声がしたので、リーナ姫とキリクは声のするほうを振り返りました。

 声の主は王子でした。そして、その背後から追いかけるグレアムの姿も見えます。


「リナ、貴女に大事な話が!」

「王子、お待ちなさい!」

「王子さま、グレアムさま……ふふ」


 相変わらずの二人の様子に、リーナ姫の口からはくすくすと笑いが漏れます。リーナ姫の初めて聴く声に、王子は陶然とし、グレアムは驚きに目を見張りました。


「なんと愛らしい声なのだ……」

「リナ、お前声がでるようになったのか」


 リーナ姫は笑顔で頷きます。そしてキリクの手をとり、二人に言いたかったことを伝えました。


「私、これから彼と故郷に帰ります。王子さま、グレアムさま、お兄さまとお父さまが出来たみたいでとても楽しかったです。二人とも、親切にして下さってありがとうございました! 私、あなた方のこと、決して忘れません!」


 そう言い切ると、リーナ姫はキリクと一緒に海へと飛び込んだのです。


「ま、待てっ! 泳いで帰るつもりか!?」


 グレアムはギョッとして慌てて海の底を覗き込みました。しかし夜の海は暗く、何も見えません。変わりに、さようなら、という声のみが聞こえただけでした。


 グレアムはしばらく呆気に取られていました。しかし急に今までのことが思い返され、自然と笑い出してしまいます。


「最初から最後まで逞しい娘だな!」


 一方の王子はそれどころではありません。リーナ姫にまるで意識されていなかったことが、彼に相当な打撃を与えていました。「お兄さまか……」と呟き、ぽろぽろと涙をこぼしています。


「王子さま、そんなにお泣きにならないで……」


 そんな王子の背後から、少女の気遣わしげな声が聞こえました。

 王子の婚約者である姫君です。慌てる王子の様子が気にかかって、後を追ってきたようでした。

 姫はハンカチーフを取り出し、小さな手で王子に手渡しました。


「これ、お使いになってください」

「ありがとう、姫……」


 年若い婚約者に慰められながら、王子は失恋の涙に暮れました。



 こうして海底に戻ったリーナ姫とキリクは、末永く幸せに暮らしたのでした。



おしまい。

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