九話 ♢ 雨上がりは虹
「もちろん」蝶がひらりと舞う。「あたしの大事な契約者の願いとあらば」
ジオラスが目を丸くして蝶を見上げる。
「しーちゃん…?」
吹き飛ばされそうになったゴーレムが、起き上がろうと巨体を必死に動かした。
心なしか悲しそうに蝶がジオラスの手に止まる。蝶がジオラスと私には聞こえないくらいの声量で話している。
その間も体がぽかぽかと暖かく、魔力にとっぷりと浸かったように力がみなぎる感覚が全身を包む。
手をついて立ち上がるとぎょっと驚いたようにジオラスが凝視する。観客がざわめきの声を一層大きくし、私はハンドサインでヘレボルスに大丈夫だという合図を送った。
血がぽたりぽたりと滴っていたはずが滲みに変わり、今はかさぶたですら無く綺麗になっているのが手で拭うと分かる。
「……は、ハンカチ使ってください!」
恐怖に近い顔で声を震わせながらハンカチを差し出され、ありがとうございますと素直に受け取った。
「でももう治っているんです。先程まで恥ずかしいことに魔力切れを起こしていたのに有り余る程に魔力が貯まっています。痛みもほら、ないんです。治ったを通り越して絶好調くらいに」
べっとりと血がついた手をハンカチで拭って、握っては開いてを繰り返してみせる。
ジオラスが一度ぽかんとしたように首を傾げると何かを思い出したのか笑顔で蝶を見、自分の手を見て握った。
蝶を見つめる。魔力の流れを確認するまでもない。この蝶は別格だ。上位かそれ以上の力を感じる。
見た目と魔力の雰囲気からして風の精霊であるはずだ。ならすでに完治した傷は何だ。そしてジオラスから溢れんばかりのこの魔力。
気温はかなり低いにもかかわらずじわりと手汗を握った。
勝てる。勝てる。ジオラスのこの膨大な魔力量なら。
これほどとはヘレボルスも思わなかっただろう。見ろと私に言ったことの意味をようやく理解した。あの時から、最初から、ジオラスはこの魔力を内に秘めていた。
何故それを閉じ込めているのかは今考える必要はないだろうが、それを表に出しうまく扱えるようになれば私をも超える実力者になることは間違いなし。
そういうことだろう、とヘレボルスがいるはずの出入り口サイドを見た。気持ち悪いくらいの満面の笑みで嬉しそうにして私達を見ているのに気が付いて悪寒が走る。
ジオラスに向き直ると2人でニカが閉じ込めていたゴーレムに向き直った。
「申し訳ありません。もう制限時間の半分以上を使ってしまったので簡潔に話します。ゴーレムの装甲に私が亀裂を入れます」
こくりとジオラスが相槌を打った。
「私、細かいことが苦手なので――」
「分かっています。風の、しかも能力の高い精霊を連れているならそのまま装甲を破壊して吹き飛ばしちゃってください」食い気味に、早口に、そう返した。
「えぇ、平気よ」ジオラスの代わりに蝶が答える。
「そして、一番大事なコアを破壊するところですが――」
「主!ゴーレム!!!」
ニカの声で会話を中断する羽目になった。ゴーレムが復活したのだ。
いささか早すぎるのではないだろうか。顔を顰めて結界を張る、が割られる。私たちはそれぞれ反対方向に飛んで避けた。
声を張り上げる。
「話は後です!!急ぎますよ!!!」
リオと合流して乾燥した地面を全速力で駆ける。
「爆炎火球!!!」
3つの魔法陣が高速回転を始めたが、ゴーレムの魔力弾が魔法陣の真ん中を正確に貫き、ドォォォオン!!!という地響きと、突風と共に爆発する。
「あぁっ!」
ついそう口走った。
――だから言ったんだ。タイムラグがあるって。
「主!!あいつを使え!!わざわざ2段階に分けなくても一回でどーにかすりゃあいいに決まってんだろ!!」
リオの言葉にハッとする。確かにそうだ。
「ジオラス様!!」
「ヘザー様!!」ジオラスが近づいてくる。「なにか策が?」
「私の炎に上乗せして風の魔法を放ってください!私の攻撃力で足りないところを補ってください!!」
そういうとジオラスは頷いた。
立ち止まって結界を創る。
――三重、五重、八重……
ニカが土でゴーレムの四肢を固定する。魔力弾が結界にヒビを入れる。
「爆炎火球!!」
「しーちゃん!ぐるぐる!!」
高速回転を始めた魔法陣に蝶の魔法陣が重なる。刹那、試験場を熱波が揺らした。
燃え盛るトルネードはゴーレムをも破壊し、吹き飛ばす。
「ヘザー様っ!」差し出された手を反射で握った。「追いますよ!!」
「へっ?」
ぶわり、風が吹いて足が地面から離れる。縮れて小さくなる火とゴーレムに手が向く。
ドクンと体に魔力が流れ込む。左手、ジオラスが魔力を流している。
基本属性魔導書の始めの章に綴られている無属性魔法。
私は人差し指でゴーレムのコアに狙いを定めた。指先の一点から、ジオラスから送られてくる魔力を込める。
風で揺れる指先が淡く光るゴーレムのコアを指した。
「魔力光線――ッ!!」
一瞬だった。光がゴーレムのコアへ一直線に走り、ガラスが割れるようにあっけなく、パリンと小さな音を立てて散った。
ふわりと風魔法で地面に近づくも、30cmほどでジオラスも魔力切れになったのか私達はドサリと地面に落ちる。
「ふっ、ふふっ」
理由はいつ振り返ってもわからない。
「んふふふっ、えへっ」
その姿はひどく滑稽だったと思う。
それがおかしかったのか。
「んふふふふふ……あはははははっ!」
私は笑った。久しぶりにここまで声を出して笑ったと思う。
「ヘザー様…?」
久しぶりにこんなに砂と泥まみれになって、魔力を切らしたと思う。
ふと瞼を開けると空が目に入る。
目を細めるその眩しさに目を細めた。
コアが結晶になり、日を受けてダイアモンドダストのように虹色に輝いている。
「ジオラス様?」
なんでそんな事を聞いたのかは覚えていない。
「名前で読んでもいいでしょうか?」
ジオラスが驚いた顔でこちらを向いて、いたずらっぽく笑った。
「敬語と敬称抜きでお願いします」
青い、青い空に、コアの結晶が輝いた。




