八話 ♢ 曇天にさす希望
準備室に入る前に、とウィンがカバンから箱と水筒を差し出す。
「ヘザー様。校医のフォルモさんが置いていったチョコ、食べていないですよね?紅茶も淹れてあるので飲んでください」
ありがとう、そう返すとその場でチョコを口に入れる。
甘さが弾けるように口の中に広がり、予想以上の甘さに水筒を開けた。花に似た香りでありながら落ち着いていて、飲むとチョコに絡み合うように程良く甘さを中和してくれる。
思わず微笑んだ。驚くほどに体の芯が暖かく、頭は冴えていて、さざ波が打つように落ち着いている。
ウィンが少し驚くように私の反応を見て彼女の手元に残ったチョコを見下ろした。
――今なら何だって出来る気がする。1人でだってゴーレムを倒せる気がする。
後ろでカツンカツンとヒールを鳴らす音がしてエリカだと気がつく。
「レディ」ニヤリと言えるに違いないいたずらっぽい笑顔で言った。「わたくしは一位を獲りましたわ」
「ゴーレムはあと何分やったって勝てなかったはずです。敢えて攻撃を抑えないように破壊しないほうが良かったのですけど、今更ですわ」
にこにこ笑って続けた。
「ゴーレムから逃げ切ったことによる1000点。攻撃に当たらず素早く正確に対処したため満点の1000点」
「エリカ様……?」困惑したような表情でエリカを見つめるウィン。
私はまた始まったと思いながらも彼女を見た。
「本来先生方が望む最高得点をわたくしが出したんですわ。レディならわたくしが言いたいこと分かるでしょう?」片目を瞑ってウィンクしてみせる。
「ゴーレムのコアを破壊すれば更に1000の加点ですわ。あなたならいつものようにわたくしに勝ってみせてくれるわよね?」
2人に見送られながら個室になっている準備室に入り、鍵を掛けると制服を脱ぎ捨てる。綺麗に畳んでその上にブローチとリボンを置いた。
演習着とローブを着て、これも外さなくてはと指輪を置いて鍵をかけようとしたところでウィンに貰ったものを思い出す。
ロッカーの鍵をかける前に淡い浅黄に発光するブローチに目をやった。
――父上、母上、きっといい知らせを送ります。
♢♢♢
「ジオラス様」ぽつぽつと雨が試験場を濡らす。「先日はご迷惑をおかけしました」
隣に立ったジオラスが掠れた声で何かを言おうとしながら私を凝視した。
「ゴーレムは私がどうにかします。ジオラス様は逃げ切ってください。もし私がやられたとしても」
「そんな――」ジオラスがようやく喘ぐように霞んだ声をだす。
「ジオラス様は」ちらりと彼女に目をやって言う。「魔法を使わなくてもちょっとではぶれない体感と筋力があります」
なぜか顔を歪めてこちらを見る。
――自分を信じてあげてほしい。
その言葉は心の奥に飲み込んだ。
――ゴォォオオオン!!
空気を震わせて開始を合図する鐘がなる。
『スゥ――アモネ・ジオラスがすぐ逃げるのに対してヘザー・ヒースレイはその場に留まって二匹の精霊を召喚しました!虎の姿で――私の情報では紅いほうが炎、蒼いほうが岩の精霊だとキオクしていますが――どちらも中位精霊、そして使役しているとのことです――更にもう一体の精霊と契約をしているとのウワサもありますが真偽はまちまちですね――おーっとここでゴーレムが攻撃を仕掛けました!!がそれをヒースレイが結界で抑える!――これまたやすやすと耐えたァーっ!――この学園の高等院に通っております私の兄によるとこの学年で中型ゴーレムの放つコウセンに通用するケッカイを簡単に作れるのは上位26%だそうです――が、ヒースレイの実力であればそこまで驚くことでもないでしょう――』
興奮が体に広がる。これだけの出力で耐えられるなら本当に、1人でゴーレムを倒せるんだ。
――私は作戦を大きく変更することにした。
ズシンズシン、そんな音を立てて揺れが近づいてくると真横に走り出す。巨体を揺らしながらも魔力弾は高速回転。勝てないわけだ。
「ニカ、ゴーレムを地面に固定。リオ、ゴーレムの注意を引き付け続けて」そう命令する。
「主ってば指示が適当すぎ」
後ろ足だけで直立すると馬のように前足を思いきり地面に叩きつけるニカ。魔力がゴーレムへと飛んでいき、次の瞬間にはゴーレムの足だけが沼にはまっていた。
「それに関しては俺も同感だ」
ばちばちと爆竹のように弾ける火花をゴーレムに放つリオ。その後は誘うように反対方向に走り出す。
エリカの試験からアイデアを借りて足元から潰す作戦だ。リオを囮にして、光線から逃げながら少しずつゴーレムに近づく。
よし、ゴーレムも迷っている。いい兆しだ。
足に岩の結界を貼り、ゴーレムの背中に蹴りを入れ――
かろうじて蹴ったはずの地面が傾く。同時に、漠然とそして愕然と、体が押し潰れるような殺意を感じた。
――結界!!!
バキリという瞬間的な音と横からの激しい衝撃。結界が破られたのだ。
「ッ――カハッ」
硬い。体が硬直したように動かない。息ができない。苦しい。苦しい。何があった?どうして結界が破られた?苦しい苦しい。頭が痛い。
ゴーレムが突然腕を回してきて殴られたのだ。左側の当たった部分。二の腕と脇腹。右側は擦りむいた頭から耳と肩を通って腰まで。凍るように痛い。
痛い。痛い。イタい。
冷たい。冷たい。ツメタイ。
かろうじてニカが駆け寄って来るのと実況も絶句しているのが分かる。生徒たちのざわめきと悲鳴が耳を劈き、サァ――という掠れた音になって小さくなる。耳が機能していない。
意識も朦朧として、視界もぼやけていく。僅かに大きな揺れと大きな影を近くに感じ、ゴーレムが来たのだ。もうだめかも知れない。そう思った。ごめんなさい。そう呟いた。
――その時だった。
「蝶々の蝶々の精霊さん!私の私のシレイア……しーちゃん!――」
観客の音が聞こえないほどに掠れてしまった中で、ジオラスの声が鮮明に響いた。
「――ヘザー様に癒しの魔法を」
ふわりと体が暖かくなる。じわりと指先が熱を持つ。緩やかに、つまみを回すように音が戻ってくる。
「――私に護れるような力を」
体が軽くなる。瞼を開けると先程までの曇天が嘘のように晴れ渡っていく。
「お願い……」
「――ヘザー様を助けて……!」
泣き出しそうな、絞り出すような声で祈るジオラスの声に反応するように幼くも美しい声が響く。
「もちろん」
彼女の髪色とマッチするような鮮やかな赤と白の蝶がひらりと舞うのが見えた。
「あたしの大事な契約者の願いとあらば」
突風がゴーレムの魔力弾を跳ね返した。




