七話 ♢ 雨音の鳴る
私が先程の試験で調合した薬が入った瓶を、目の高さにやって眺めてから、他の生徒のものと一緒に箱にしまうのが反射で見える。
「今日は調子が良くないのかい?いつもに増して険しい顔してたよ」白髪が混じる切り揃えられた顎髭を指先で掻いてこちらを見た。
私は小さくため息をついてキャビネットを片手で開く。
「魔法実技の試験が不安で」ごとりと重い瓶をその中に置きながら答えた。
グレーに近い青の瞳を少し細める。
「ヘレボルスかぁ」苦笑交じりに同情するような声で言う。「彼、とんでもないからなぁ。最近入ってきたばかりなのに私達教師の中でもしょっちゅう話題に出る」
キャビネットの鍵をかけ、自分のカバンを掴んだ。
「それでは私は昼食に向かうので失礼します」
「あぁ、片付けの手伝い感謝する」私が放った鍵をキャッチすると片手を軽く上げて返事した。「次の試験でも健闘を祈るよ」
魔法薬学の教室の入口に立ったところで立ち止まり後ろを振り返って蔑みの視線と共に数え切れないほど言ったセリフを今日も繰り返した。
「煙草は控えたほうが良いかと」
「この異臭の中でも分かるのかい?これは特別匂いが薄いんだぞ……うー、将来が楽しみだなー!」
嬉しそうに声を高くした教師に呆れたので無視してその場を離れた。
コツコツとブーツが一定のリズムを刻む。すれ違いざまに生徒たちが、いつも通りのはずの口を隠して額を寄せ合う姿を見て何だか俯きがちになってしまう。
無意識のうちにぎゅっと指輪を握っていた。
ここ最近の私はきっとおかしい。頻繁に身に覚えのない、やけに鮮明な、それでも朝には忘れる悪夢に魘されている。
キリキリと頭に痛みが走った。
私はきっと――
『ヒースレイ』
私はホールに立っていた。飾り付けられてシャンデリアが煌めくところ、舞踏会だろう。声の主が綺麗なスーツに身を包んだ男性であることが伺えた。
殿下?彼は私の婚約者だ。ヒースレイとは十中八九私の事だろう。
殿下の視線の先を、人混みの中で体をよじって見る。
ぞわりと鳥肌が立つのを感じた。
あの淡いバイオレットのドレスはヒースレイに代々伝わるドレス。それと同じ髪色の——
『えぇ、違うの殿下、私はただこの女が』
——私だ。こんな事を言った覚えはない。私が喋っているようにも感じない。誰かの記憶を見ているようだ。
――違う、違わない。違う。私はただ。
悲惨という言葉が似合う表情をした〝私〟が顔をぐちゃぐちゃにしながらしゃがみこんだ。
『君には絶望したよ』
『違うんです!この女が悪いんです!!私は何も悪くない!!』
知らない。こんな物語は知らない。
何故か他人事に思った。
哀れだ。
――ドンッ
「ミス・ヒースレイ?」
不思議そうな顔をした魔法実技の教師が首を傾げて顔を覗き込んでくる。「大丈夫ですか?」
「そうです。ミス・ジオラスとは……って言っても話してませんよねぇ」
私より高い位置にある顔を真顔で見つめ返すと苦笑まじりの笑顔で首を掻いた。
「すみません、忙しいので」
「待ってください」
隣を通り過ぎようしたが、うんざりしながら立ち止まると教師が真剣な表情で言う。
「寮の裏側にある花をミス・ジオラスが世話しているのは知っていますね?」
またジオラスの話題。教師の顔を見た。
「肯定と受け取りましょう。では、今からそこに行ってくれませんか?」
「お願いです」
訴えかけるような表情に、私は戸惑った。
何故、今なのか。何故、そこに行ってほしいのか。そこにヒントがあるのだろうか。
「わかりました」
私は渋々、そう返した。
♢♢♢
――風が強いな。
髪が口に入りそうになるのをはらう。
風に吹かれて花畑の花が踊るように揺れている。誰かの言葉が頭の奥で響いた。
『見て!ヘザー!このお花の名前知ってる?』
花畑に近づいて、葉に触れる。僅かに乾燥していて花が俯いている。
――ジオラスが水やりしていないのかもしれない。私が水を……
ストンとその考えにたどり着いて、今から試験なのに無駄に魔力を使えないと首を振った。
淡い茶色と空色の影が突然視界を埋め尽くす。顔に温もりを感じて、私の精霊――シオンが張り付いているのだと一拍遅れて気がついた。
「シオ――」
「ヘザー!」張り付いたまま嬉しそうにシオンが頬ずりした。
「どうしてここにきたの?」
期待がこもった明るい声に、私はそっと掴んで引き剥がすと顔を顰めて吐き捨てた。
「分からない」
さっきの笑顔が嘘のように顔を曇らせると、俯いて体の力を抜いたシオンがぼそりとそっか、とだけ呟く。
「先生に、ここに行ってきてって言われたんだけど何か知らない?」
辺りを見渡す私に、シオンは知らない、と呟いた。
灰色の積乱雲がゆっくり近づいてくる以外には変わったことは無く、約束は果たしましたから、と心の中で呟く。
私はくるりと踵を返して花畑に背を向ける。
シオンが最後に、昔のヘザーに戻って、そういったのに、私は聞こえないふりをした。
♢♢♢
キィンキィンと金属音が響き、ゴゴゴと激しい音を立ててその場に岩のゴーレムのようなものが湧き出る。
前者はウィン。後者はそのペアの侯爵令嬢の魔法だろう。かなり荒削りだが大きさは試験用のゴーレムと大差ない。
感嘆のため息を漏らす。この2人は今のところトップの成績だろう。今までは必ずと行っていいほど怪我を負っていたが2人は服に汚れが付いただけに見える。
大きな鐘の音で2人の試験の終了が伝えられ、ウィンが躓いてしまった令嬢の手を取るのが見えた。
魔道具から実況の声が響いた。数値化された成績が発表される。
成績を聞くために一瞬生徒たちは声を潜め、発表された瞬間大きな歓声と拍手が挙がった。出口近くの生徒が客席の柵越しにウィンたちに話しかけているのが見える。
上位15位以上には更に成績にプラスされるからかなり盛り上がるのだ。2人は1775点。今のところは3位。
エリカがそろそろ自分の番だと言って席を立つ。雲に隠れて試験場が暗くなる。不利だ、そう私は思った。雨が降ると地面がぬかるむ。あの教師は雨なんかで中止にしたりしない。追加の得点もハンデもなし。
結局あれ以上の練習が出来なかったものだから不安が募る。
――はぁぁぁぁああ
大きなため息をついてから私は冷静になることにした。
少し目を瞑ろう。そのほうが落ち着くと読んだことがある。
何組が過ぎただろうか。
エリカが子爵令息とゴーレムの前にたち、鐘の音を合図にそれぞれ反対方向へ飛んだ。
実際のゴーレムは巨体だけでなく魔法の回転速度も問題だ。さほど少なくない数のペアがその攻撃に当たって、逃げ切れず、1000点の加算を逃している。
ゴーレムが放った光線をうまく高密度の刃へと変えてゴーレムの下半身を切り離すエリカ。そして令息の魔法で倒す。歓声。まだ開始から一分も経っていない。
その後はゴーレムの装甲が邪魔になってコアを破壊できていなかったけど、2000点というそれまでの最高点である1900点から100点もの大差で最高得点を叩き出した。
演習着から制服に着替えてきたウィンが今の試合を別の場所から見ていたと嬉しそうにエリカを褒めた。
♢♢♢
通路を通って出入り口の方へ立った。前の生徒が競技場からこちら側へと歩き、ヘレボルスと話しているのが見える。
小走りで後ろからジオラスが来る。ヘレボルスに頑張るようにとありきたりな言葉で見送られ、歩きはじめると期待と興奮に詰まったように辺りが静かになってざわめきが広がった。
実況が場違いなほどに明るい声でアナウンスを始めた。
『さて!今回の対ゴーレム中間魔法実技試験も最後となります!アンカーとなる——そして多くの注目を集める——ヒースレイ&ジオラスペアの最後の5分間が今!始まりましたぁ――っ!!』
試験場の中央に書かれた円の中に立つと反対側の出口にゴーレムが立つ。青く淡く光るセンサーがこちらを捉え、ジオラスが横でぶるりと体を震わせた。




