六話 ♢ ノイズ
フォークとナイフが置かれる音と椅子を引く音。
「ヘザー様?」ウィンが不安そうに顔を覗き込んだ。「食事中に考え事をするなんて珍しいですね……大丈夫ですか?」
その声で現実に引き戻された私は顔を上げて瞬きする。
「えぇ、私は大丈夫。ごめんなさい」
「あ、謝らなくても……食欲がないのですか?」
「大丈夫」慌てたように心配するウィン。首を横に振った。
一人、他人事のようにナイフを動かしていたエリカがステーキから目を離さずに言った。
「あの男爵令嬢が気がかりなんじゃないですの?」
「アモネ・ジオラス男爵令嬢……」呟いて下を向くウィン。
いつもはあんなに美味しそうなステーキが、冷えて油が固まって、なんだか醜く歪んで見えた。
勉強に集中するため忘れようと思った。でも、そう思えば思うほど頭の中に染みついた。それは翌朝になっても同じだった。
暗闇の中で目覚める。びっしょりと汗をかいているのに、とてつもない悪夢を見ていたはずなのに、その内容を覚えていない。
重いまぶたを開いて寝返りを打つ。あまりよく眠れなかった。後悔、謝罪の言葉、ゴーレム、諦め、父上、絶望。浮かんでは消えてと私にしがみついた。嫌な気持ちだけが心にこびりついた。
体を起こすとベッドを軽く整えていつものように窓辺へ向かった。
冷たい突起をかちゃりとおろして施錠すると窓を開いて空を仰ぐ。群青色の空から視線を落とす。
眼の前に小鳥のようで嘴がとがった小さな魔獣がこちらを見つめているので手に乗せてみた。なんだっけ、人をつついて魔力を奪っていくから〝魔力泥棒〟、とかそんな感じだった気がする。
こんなに小さくて弱いとはいえちょっとした魔獣が魔法学園に入り込むなんて凄いなぁと他人事に思う。
気分転換にシャワーを浴びることにした。
ザバァッ。ぬるま湯を頭に思いきり掛ける。ぽたぽたと前髪に水が滴るのを見つめた。やっぱりぼーっとした頭を覚ますには最適だった。
制服に着替えて髪を梳いて貰っている間に童話集の続きを読み始めた。解読だけが少し難しくて内容としてはシンプルなものだ。
今読んでいるのは猫の物語。鋭く長い爪が自慢の黒猫と丸く短い爪がコンプレックスの白猫、白猫は黒猫に憧れ、黒猫はそれに鼻を高くする。
そんなある日事件は起こる。黒猫が鳥を襲ったことに白猫が激怒するのだ。黒猫の言い分としては1つにこの世は弱肉強食の世界である。2つにこの鳥が鈍いのが悪い。
トントンと軽く肩を叩かれる。
「終わりましたよ」
「ありがとう」優しい声色に顔を上げて感謝を伝えた。
「趣味ですから」
いつものように誇らしげな顔を向けたウィンはエリカに走り寄ったのを見て本に意識を戻す。
白猫はそうは思わなかった。自分たちより小さく弱い者を守るのは当たり前。それに自分だって黒猫より弱く力もない、何よりこんな爪じゃ相手にすらならない、小鳥以下である。
そんな言葉を最後に白猫は遠くへ行ってしまう。白猫を大事な相棒のように思っていた黒猫は酷く落ちこむのだ。
ふぅ、と息を吐いて本を閉じる。なんだか今の自分みたいで嫌だなぁと思う。
右手を見ると中指に婚約者に貰った指輪がきらりと輝いていた。金製の指輪で、蔦模様にサファイアがチャームポイント。
市場で買ってくれたものだ。5年前の建国祭でどうしてもと頼み込まれて2人でボロけたフード付きのローブを羽織っていた歩いたっけ。
『どうしたの?わぁ!きれいなアクセサリーだねぇ。ヘザーはキラキラしたの好きだもんね』
『見て見て!これ、可愛くない?』
『確かに…可愛いですね』
『え〜!そうだよね〜っ!おじさん、俺これ買います!いくらですか?』
『そんな、ちょっと見ていただけなので、別にいいですよ。イアン様とこうしていられるだけでも、私は……十分嬉しいです』
『違うよ〜。俺があげたいの。ほら、受け取ってくれる?俺のお姫様?』
特注でもなければ本物の金かサファイアか、鑑定してもらってもない。でもあの時の彼のふにゃりとした情けない笑顔が愛おしくて。
懐かしいなぁ……。この学園に入学してからの婚約者は社交的な笑顔を貼り付けて裏ではずっと険しい顔をしている。
エリカの呼ぶ声に、指輪から目を離して立ち上がった。今日も試験があるのだ、切り替えていこう。




