第15章 『初めての日』ー2
エルディアの『初めての日』はカーニバルの二月ほど前、彼女の十歳の誕生日に行われた。
何も誕生日にやらなくてもと姉のマルティナには言われた。しかし、どうせ親が誕生日パーティーを開いてくれるわけでもないのだから、自分一人で自分の誕生日を祝ってくるとエルディアが言ったら、姉が泣きそうな顔をしていた。
しかし当日には、
「プレゼントは用意してあるから、楽しみに帰ってきてね」
と笑って送り出してくれた。
エルディアは八歳の誕生日に、乳母からプレゼントされた手作りのリュックサックに、姉に教えてもらった防犯グッズと厳選した身の回りの物を詰め込んで、姉や乳母、使用人に見送られながら屋敷を出て行った。
そして以前馬車で通ったことのあるメイン通りを中心に歩き回った。教会や病院や劇場や役所も見て歩いた。ただし建物の中へは入らなかった。人目のつかない場所へは絶対に足を踏み入れてはいけないと、乳母からきつく注意を受けていたからだ。
それから露天をたくさん見て歩き、お昼に何を食べるかを決めておいた。それから花屋へ行き、花束を二つ注文し、夕方に取りに来ると告げてお金を支払った。
その花屋はメディット伯爵家と取り引きをしている店だったので、お金だけ取られるということはないだろうと先払いをした。
それにスリにでもあって支払えなくなったら困ると思ったからだ。
まあ、すられたり落としたりしても困らないように、お金はあちらこちらに分散して持ってはいたのだが。これは御者見習いの少年に教わった、平民の常識らしかった。
やがてお昼の鐘が鳴った。
エルディアは素早くドーナツ屋さんでチョコレートのかかった穴のあいたドーナツと、砂糖をまぶしたボールのようなドーナツを二つ買い、お肉屋さんで小さめのローストチキンを、そしてスタンドバーで冷たいミルクを買って、中央広場へ向かった。
そして噴水の前のベンチに座って、そこでお昼を食べた。
「エルディア、十歳のお誕生日おめでとう」
と呟いてから。
グスッ!とどこかで誰かが鼻を啜る音がした。
食事を終えると、華やかな馬車によるパレードを楽しんだ。花の妖精に扮した綺麗なお姉さんから風船をもらい、人の流れに沿って少し歩いた。
そしてパレードが行ってしまい少し静かになると、今度はまた中央広場へと戻った。あまりふらふらしていると、迷子になると判断したからだ。
それから広い公園の中を歩き回り、絵になる景色を探した。
すると広い花壇の向こうに川が流れていて、その先に赤い橋が架かっているのが見えた。
カラフルな花々の向こうに濃い緑色の水が流れ、真っ青な空に真っ赤な橋……まるで絵本で見たような景色だとエルディアは思った。
夕方になったらお日様があの橋の辺りに沈むのかな。そうしたらもっと綺麗だろうな。彼女は目をつぶってその景色を想像してみた。
見てみたいけれど見れそうもないことがわかっていたから。『初めての日』は朝の八時から午後の四時までと決まっていたからだ。やはり遅い時間になると子供には危険だからだろう。
因みにこの『初めての日』は男の子は二日間なのだが、女の子は一日で済む。エルディアとしては二日でも良かったのだが。
とにかくその後はリュックサックの中から小さなスケッチブックを取り出して、その橋周辺の風景を描き始めた。そしてそれを仕上げ終えた頃には三時を過ぎていたので、エルディアは帰ることにした。
朝来た道をまた戻り、花屋さんで花束を二つ受け取ると、エルディアは無事家へ帰った。姉がホッとしたような笑顔で、乳母は大泣きで、使用人もみんな一様に安堵するような大きなため息をついて迎えてくれた。
エルディアは風船と小さい花束を姉に、そして大きな花束はみんなで分けてと乳母に手渡した。
夕食はエルディアの好物ばかりだった。そして姉からは前から欲しがっていたものをプレゼントされた。
それは、姉がデザインをして発注してくれた、ポケットのたくさん付いたふわふわのかわいいワンピースだった。
自分を愛してくれている人、心配してくれる人達がこんなにいるんだ。『初めての日』にエルディアは初めてそのことに思い至った。
だからこそ彼女はその後、姉のため、使用人のためにこの家を守らねばと、スペア要員としての役割を熱心に取り組むようになったのだった。
❅
そして、それから二月後のカーニバルの初日、王太子を初めて見かけた時、エルディアは自分の『初めての日』を思い出し、思わず彼を見つめてしまったのだ。
だから王太子が少し顔を歪めていることに気付いてしまった。
どうしたのだろうと思ったら、両膝から血を流していた。広場は凄い人混みだったから、きっと後ろから押されて転んだのだろう。
エルディアはスカートのポケットから傷薬を取り出して、王太子の前に差し出した。
すると彼はギョッとした顔をして「何?」と聞いてきたので、彼女は傷薬だと言った。すると、少し間があいた後で王太子はこう言った。
「こんな傷は大したことはない。毎日の鍛錬の時は、もっと大きな怪我をすることもあるんだから。でも、ありがとう」
確かにその傷以外にも、足だけではなく腕や手の甲にも古い傷跡があった。
王太子は靴を脱ぐと、噴水の中に入って行って、傷口の汚れを落とした。それを見たエルディアは、確かに怪我に慣れているのだなと理解した。
薬を拒否されたのは、多分怪しまれているんだなと。
基本貴族は知らない人間から口に入れる物はもらわない。毒が入っているかも知れないからだ。きっと薬も同じなんだろう。
エルディアは何となく、この少年は本当に命を狙われたことがあるような気がした。
エルディアは噴水から下りようとした少年に、自分のリュックサックの中から取り出したタオルを手渡した。
すると血が付いてしまうからと断わろうとしてきたので、
「それなら明日、新しいタオル返してくれればいいから」
と無理矢理押し付けた。本当は別にタオルを返してもらいたかったわけではなかった。ただ、その方が彼が受け取りやすいのではないかと考えたのだ。
それにおそらく新しいタオルを要求しても、それを負担に思わない家の子だと思ったからだ。
それからエルディアはベンチに座ると、スカートを膝上まで捲くった。そして少年同様に膝にできた自分の擦り傷を見せた。
「私もね、さっきおじさんにぶつかって転んで、膝を擦りむいちゃったの。血は出てないんだけど。
この傷薬ね、薬師の私のお父さんが作ったんだけど、よく効くんだよ。
私が毒見じゃなくて毒塗り見するから、あなたも塗った方がいいよ。もしばい菌が入ったら大変だし。この薬には殺菌作用もあるんだよ」
そういってとても小さな木のスプーンで少量のクリーム状の薬を掬うと、エルディアはそれを自分の両膝の上から垂らした。そしてそれから指で傷口に擦り込んだ。
「はい、どうぞ」
お手本を見せてから、エルディアは王太子に薬を手渡した。王太子は今度は素直に受け取った。
ばい菌というところで反応していたから、もしかしたら化膿させてしまった経験があるのかもしれない、とその時彼女は思った。
傷の手当てが終わった後、エルディアは王太子と色々な話をした。王太子は彼女の話をどれも楽しく興味深そうに聞いていたが、エルディアが自分も二月ほど前にこの公園付近で『初めての日』を過ごしたのだと話すと、より一層瞳を輝かせた。
少年が関心を持ってくれた。エルディアは嬉しくなって、ますます話が彈んだ。
少年はレイと名乗った。その時は愛称なのか偽名なのかわならなかったが、本名はレイノルドだったのだから愛称を正直に教えてくれていたのだ。
エルディアもの愛称であるエルと教えておいて良かったと、レイモンド王太子の婚約者になった時に思った。
もっともこの愛称だけでは、王家の力を以てしても彼女を見つけ出せなかったのだが。
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