第三十二譚 時間稼ぎ
「はあはあ……!」
息を切らしながら、森の中を走る。
木の枝で顔を引っ搔こうが、小川に足を突っ込もうが関係なしに走り続けている。
時折、後方から悍ましい叫び声が聞こえてくるが、振り返らずに、ただ前だけを見て。
「皆! 着いて来ているかい!?」
先頭を走るジオが、後ろを走る俺達に向かって声を荒げる。
「アタシは大丈夫よ……!」
「俺も問題ない!」
「わ、私も……大丈夫、です……!」
各々無事を確認しあうが、セレーネの体調がよくないみたいだ。
セレーネは、決して体力があるわけではない。
今までも無理をしてここまでやって来たんだろう。
でも、そのせいで返って現在のセレーネの状況を作ってしまっている。
「本当に大丈夫なのか?」
俺はセレーネに声をかける。
しかし、セレーネは「はい」と返事をする事もなく、こくんと頷くだけだった。
限界が来たのだろう。
逆に、良くここまで頑張って来れたものだ。
しかも、そんな疲れ切った状態で回復魔法なんて余計に疲れるものを使ってくれた。俺なんかの為に。
あの日、夜中にお前が誰かと話してるように疑った自分が情けない。
「エルフィリムまであとどのくらいだ!?」
「数時間はかかるよ……!」
数時間、か。
俺は思わず笑みがこぼれる。
「こんな時に何笑ってんのよ!?」
「いや、たったの数時間でいいんだ、と思ってな」
俺は必死に動かしていた足を止める。
それに呼応するかのように、セレーネ達の足も止まった。
「アル、様……?」
「ジオ。俺ちょっとトイレットタイムだから、セレーネ連れて先に行っててくれ」
「何を言っているんだい……?」
俺は三人に背を向ける。
「数時間で戻ってくるから先に行けって言ってんだよ」
「アル様……!? 駄目です! そんなこと――」
「ジオ、頼む」
俺の決意が伝わったのか、ジオは「うん」と言って、セレーネ達を連れて行こうとする。
「さあ、セレーネちゃん。早く行こう」
「だ、駄目です! アル様!!」
「……さっさと行くわよ」
セレーネの俺を呼ぶ声が少しづつ小さくなっていく。
なに、心配はいらない。なんせトイレに行くだけだからな。
過去最長記録を更新だな。数時間のトイレなんて。
しかし、我ながらくさい芝居だったな。
なんでこんな事したんだろうか。
……よくわからないや。
でも、まあ偶にはこういう事もいいだろ。一度はやってみたかった憧れのシチュエーションだぞ。
仲間を護る為に自らを犠牲にして時間を稼ぐっていう……。
いや、死ぬ気はないけどな? トイレ行くだけだし。
ただ、悔いがあるとすれば、セレーネにお礼と感謝、伝えてなかったなぁ。
よし、帰ったら伝えよう。
ちゃんと、セレーネの前で、目を見て言葉にしよう。
そうしたらセレーネは何て言うんだろうか? あいつはキーラと似ているからな、きっと照れながら「そんなことはない」って言うんだろうな。
先程よりも、魔物達の叫び声が多く、近く感じる。
どうやら大分追って来たらしい。
野生の魔物がこんなに統率が取れてるなんてありえない。きっと聖王あたりが絡んでるんだろうさ。
見られたからには消す。
そういう事なのだろう。まあ、今はどうだっていいんだが。
セレーネ達がエルフィリムに着くまで数時間。
なんとしてでも数時間耐えてやるさ。
「三万だろうが四万だろうがかかって来い! まとめて返り討ちにしてやる!」
なんだったら、この魔物達全て倒してしまうのもいいかもな……!
俺は魔物達のいる方向に向けて走り出した。
□――――エルフィリム領:森林地帯
森の中を、三人の男女が走っている。
暗かった空も、今はもう明るくなりつつあった。
妖精族の王子であるグラジオラスは最後尾に並び、後ろを警戒しながら走っていた。
彼の心配事は二つ。
一つは、森の異変について。
森の魔物達が一つの場所に集まる事など、国の歴史を多く勉強してきた彼でさえ知りえない前例のない事態だった。
さらに、あまりにも統率がとれ過ぎており、何者かが介入したと考えるのが妥当である。
しかし、魔物達の統率をとれる存在など、グラジオラスは一人しか知らなかった。
聖王リヴェリア。この世界で、魔物達を従え、命令することが出来るのは奴だけであると。
聖王ならば、この状況を作る事も容易だろう。しかし、たかが一種族の為にここまでするだろうか。
否。だからこそである。
魔法大国という別称を持っているからこそ、ここまでするのだ。
そう、グラジオラスは考えていた。
妖精族は、魔法に関しての技術ならば他種族よりも数歩先を行く。
魔法の先進国でもあるエルフィリムは、数々の魔法道具を造り上げている。今までも、これからもだ。
であるから、聖王は自分の国を狙ったのだと。
芽を出す前に摘む。つまりはそういうことなのではないかと。
もう一つは、先程まで共にいた青年の事である。
彼は“再誕の勇者”と呼ばれる、つい最近名を知られるようになった青年である。
その実力は、現妖精族の中でも一、二を争う強さを持つグラジオラスも認めるほどだ。
数分前、アルヴェリオは彼等を逃がすために一人で魔物達に立ち向かっていった。その事が、グラジオラスの心配なのである。
別に、彼の実力を疑っている訳ではない。しかし、数が数なのだ。
時間稼ぎとはいえ、相当な数の魔物達と戦う事になるだろう。
そうなると、いくらアルヴェリオが強かろうと、あの数相手では厳しいというもの。
今すぐにでも助太刀したい。
そんな思いがグラジオラスに芽生える。
だが、グラジオラスには彼から頼まれた事がある。
セレーネを無事に連れて帰る事。
その約束を破る訳にはいかない。だからこそ、彼はこうして最後尾を走っているのだ。
アルヴェリオと別れてからのセレーネは、どこか暗い表情を見せていた。
それもそのはず。
彼女は知っているのだ。彼の性格を。彼の人間性を。
彼は時間稼ぎのつもりであの場に残ったわけではなく、全て掃討するつもりで残ったのだという事も。
「セレーネちゃん、大丈夫かい?」
ずっと俯いていたセレーネを心配して、グラジオラスが優しく問いかける。
「……アル様は……人が良すぎます。あのような、芝居を打ってまで……」
俯いたまま話すセレーネの声は、震えていた。
そんな彼女の様子を見たグラジオラスは、必死で何かを言葉にしようと葛藤しているが、結局何も言わなかった。
いや、言えなかったのだ。
「……やはり、運命を自分の手で切り開くのは無理なのですか……? 神は、私を許してはくれないという事なのですか……?」
誰の耳にも届かなかったその言葉は、そのまま森の中に消えていった。




