2話目「静寂の谷」
道と呼べるかも怪しい斜面を、俺たちは一時間近く登った。
最初のうちは啓太が軽口を叩き、裕太郎がそれにツッコミ、誠が地図を片手にはしゃいでいた。
けれど、途中から自然と皆の口数が減っていった。
理由はすぐにわかった。静かすぎるのだ。
鳥の声がしない。虫の音もしない。風で杉の葉が擦れる音すら、やけに遠くから聞こえるような気がした。
「……なんか、耳、変にならん?」
裕太郎がぽつりと言った。俺も同じことを感じていた。まるで耳栓をしたみたいに、世界の音量が一段階落ちているような違和感。
「気圧のせいちゃうか、結構登ったし」
啓太がそう言うが、あまり確信はなさそうだった。
尾根を一つ越えたところで、視界が急に開けた。
崩れかけた石垣がいくつも段々に連なり、かつてここに人が住んでいたことを物語っている。
「おお~、ここが例の村の跡地か」
誠だけはテンションが高いままだった。
石垣の間を歩いていくと、朽ちた木の柱や、瓦の破片、割れた茶碗の欠片なんかがそこかしこに転がっている。
「結構な数の家があったっぽいな」
「うん、地図で見た感じ、二十戸くらいはあったんちゃうかな」
誠がスマホの古地図と見比べながら言う。
俺は少し皆から離れて、辺りを歩いてみた。
石垣の隙間に、朽ちた仏壇の跡らしきものを見つけた。中は空っぽで、位牌も何もない。
――ここで死んでいった人たちは、弔われることすらなかったのかもしれない。
そう思うと、ぞっとした。
さらに歩くと、苔むした古い井戸を見つけた。
覗き込むと、底が見えないほど深い。硫黄のような、鉄錆のような、嫌な臭いがかすかに立ち上ってくる。
――ここが、鉛中毒で人が死んでいった村の井戸かもしれない。
そう思うと、覗き込んだまま動けなくなった自分がいた。
「北斗、そんなとこ覗いて何しとんねん」
いつの間にか隣に来ていた誠が声をかけてきた。
「いや……なんとなく、嫌な感じがして」
「気にしすぎやろ。それより見てくれ、良さそうな整地スペース見つけてん」
村の中心部と思われる、比較的平らな場所にテントを張ることになった。
四人がかりでテントを設営し、荷物を運び込む。作業をしていると、いつの間にか日が傾き始めていた。
「なあ北斗、井戸の話やけど」
荷物を整理しながら、裕太郎が小声で聞いてきた。
「え?」
「誠が飲み会で言うてた、鉛中毒で村人が死んでいった話。あれ、本当やったんかな」
「さあな。誠のことやから話盛っとるだけかもしれんし」
そう言いながらも、俺の頭からはさっきの井戸の臭いが離れなかった。
夜になり、焚き火を囲んで飯を食う。
誠が「実はもうちょっと村の歴史調べてきてん」と得意げにスマホを見せてきた。
「明治時代に銀と鉛の鉱山があってな、村が急に賑わったらしいんやけど、そのあと原因不明の病人がバンバン出て、村人がバタバタ死んでいったらしいわ」
「うわ、怖」
「最初はシャーマンが山の神の怒りやーって、生贄捧げたらしいで。結局は井戸水に鉛が混ざっとったんが原因やったんやけどな」
「それ、さっきの井戸か……?」
俺がそう言うと、誠は少し黙って、それから笑って誤魔化した。
「まあ昔の話や、気にすんな気にすんな」
啓太だけは、その話にあまり興味がなさそうに、黙々と肉を焼いていた。
「啓太、聞いてるか?」
「ん? ああ、聞いてるで。単に怖い話苦手なだけや」
そう言って笑う啓太の顔は、いつもより少しだけ強張って見えた。
焚き火の炎がパチパチと爆ぜる音以外、何も聞こえない夜だった。
――はずだった。
「……なあ、今、聞こえた?」
裕太郎が急に声を潜めて言った。
「カン……カンって、金属を叩くみたいな音」
「え、俺も聞こえた気がする」
俺も頷いた。遠く、山の奥のほうから、規則正しく何かを打つような音。
まるで――つるはしで岩を掘っているような音だった。
「イノシシか何かちゃう? この辺、罠猟とかやってそうやし」
誠は努めて明るく言ったが、その声は少し上ずっていた。
啓太だけが「え、何も聞こえんけど」ときょとんとした顔をしていた。
「啓太、ほんまに聞こえへんの?」
「うん、全然。お前らの気のせいちゃうか?」
だが俺には、その音が段々と大きくなっていくように感じられた。
その夜、俺はなかなか寝付けなかった。
テントの外で、あの音が――カン、カン、と、途切れながらも確かに続いていた。
何度か寝返りを打つうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。
2話目、お読みいただきありがとうございました。
ようやく現地の廃村跡に到着し、キャンプの設営、そして初めての「異変」までを描きました。
今回意識したのは「静けさの気持ち悪さ」です。鳥の声も虫の音もしない山というのは、実際に経験すると想像以上に不安になるものです。その静寂を破るように響く「カン、カン」という音――これが本作全体を通しての、恐怖の起点になります。
啓太だけがその音に気づかない、という描写も地味に伏線です。「聞こえる/聞こえない」の差が、この後の展開を大きく左右していきます。
井戸の場面も、単なる小道具ではなく、後々もう一度意味を持って戻ってくる予定です。
次話では、いよいよ坑道の中へと足を踏み入れます。少しずつ、後戻りできない空気になっていきますので、よろしければ引き続きお付き合いください。




