12.シロアキ君の為ですよ
「お前らは、他のガキ共を黙らせろ! その間に、俺がランカ・ライカをやっつけてやる!」
そうトロル・ニー・デイダランは叫んだ。右手に持った金棒を高く掲げている。それを受けて彼の手下達は「おぉ!」と叫んだ。もっとも振りだけで、実は士気はそれほど高くはない。理由は前回と同じ。これから攻め入るつもりのランカ山賊団に勝っても、大して得るものはないからだ。危険な戦闘をするだけ、彼らにとって損なのである。
負けたら二度と攻め込まない。前回、トロルはランカ・ライカにそう言われて正々堂々と一対一の勝負をした。結果、彼は負けたのだが、それでも彼はそれに納得をしていなかった。何故なら、勝負の前、彼は強力な麻酔効果のある弓矢をその腕に受けていたからだ。それを彼が知ったのは、逃げ帰った後の事なのだが、とにかく、それでは正々堂々とした勝負とは言えないだろうと、そう彼は思ったのである。
が、ならばどうして、直ぐにトロルがランカ山賊団に攻め込まなかったのかというと、彼の手下達がすっかりと“木の化け物達”とやらに怖気づいてしまい、ランカ山賊団を攻める事に同意しなかったからだった。
流石のトロル・ニー・デイダランでも、弓矢に掠ってもいけない条件下で、ランカ・ライカ達にたった一人で勝負を挑むのは無謀過ぎる。それを彼は一応は分かっていたのだ。つまり、ランカと勝負する為には、手下達の協力が必要なのだ。
トロル山賊団の面々が、ランカ山賊団と戦う事に再び渋々同意したのは、前回の戦闘の時に見た“木の化け物達”が、植物魔法によるもので、そしてその植物魔法は戦闘にはあまり役に立たないと知ったからだった。
「俺らの見た植物魔法は、木が逃げたり集まって来たりはするらしいが、それ以外は何もしないらしいぞ。人を襲うようにもできるらしいが、その場合は敵味方の区別なく襲うのだそうだ。だから多分使わないだろう」
そんな事をトロル山賊団の一人が言ったのだった。何処かから調べて来たらしい。つまり、彼らは前回の戦闘時、こけおどしに引っかかったという事になる。そしてそれを知って、トロルの手下達にはボスに反対する理由がなくなってしまったのだった。それに、そんな手にやられた事が、悔しいことは悔しくもあったのだが。
「いいか? もし、木が動き始めても気にするなよ? どうせ、大したことは何もして来ないんだからな!」
トロルはそう叫ぶと、それからランカ山賊団のテリトリーである森に向かって金棒を振りかざしながら突っ込んでいった。彼の手下達はそれに続く。
トロルが「おおおぉ!」と雄たけびを上げながら駆けて行くものだから、彼らの位置は森の中でも丸分かりだった。
やがて、しばらく進んだところで、前回と同じ様に、森の上空をグライダーが飛び始めた。魔法使いが一緒に飛んでいるかどうかまでは分からなかったが、その可能性はかなり高そうだ。
そして、そうトロル山賊団達が不安に思っているところで、「臆病な木々~」と上空からそんな声が微かに聞こえて来たのだった。前回とは言っている内容が違っている気がしたが、彼らは特に問題にしなかった。
「おい、いいか? 木が動き出しても、逃げ出すなよ?」
「分かってる。もう二度と騙されるか」
そんな事を言っている間で、前回と同じ様に地面が揺れ始めた。地面が盛り上がる。木の根っこが出てくる。トロルの手下達は「落ち着け。ここから、ただ木達が集まって来るだけだ」とそんな事を言い合っていた。が、それから木々は、彼らの予想とはまったく違った動き方をしたのだった。
「おい。逃げて行くぞ?」
そう。木々は何故かトロル山賊団を恐れ、逃げて行ってしまったのだ。その所為で、森の中には木のない空間がぽっかりと空いてしまっている。
「ハハハ。なんだ、こりゃ?」
と、拍子抜けしたトロルの手下の一人が言う。だが、次の瞬間には彼らはその危機的状況に気が付いていた。別の山賊団が言う。
「おい、ちょっと待て。これって、何処に身を隠せば良いんだ?」
そしてその不安は的中した。
身を守ってくれる木々が周囲に一切ない無防備な状況の彼らに向かって、矢の雨と石つぶてが降り注いだのだ。しかもそれを放っているランカ山賊団達は木々に守られたままだ。
「ちきしょう! また、やられたぁ!」
そう叫んで彼らは逃げようとしたが、既に手遅れだった。矢と石つぶてによって、瞬く間に全滅してしまったのだ。
「上手くいったみたいだね、ナゼル」
パテタとタテトの双子コンビが、ナゼルに向かってそう言った。彼らは崖の上でその様子を観察していたのだ。ナゼルはそれに「ええ、そうね。成功したと言って良いと思う」とそう応えた。ただし、予想通りに失敗した事もあるにはあったのだが。
「うおぉぉ! 勝負だぁ!」
そんな叫び声が、ナゼル達のいる場所からでも聞こえて来ている。
つまり、トロル・ニー・デイダランだけは彼女達の張っていた罠を突破して、そのまま攻め入って来ているのだ。
「流石ね、あの謎の霊長類は……。まぁ、ナイアマン達が待ち構えているはずだけど」
そこで空の上を、ライドとメリルのグライダーが大きく旋回した。
「どうだったぁ?」
というメリルの声が響いて来る。それにナゼルは「大成功よ! 早く、セルフリッジさん達の所に行ってあげて」とそう返した。するとライドが手を振り、メリルはガッツポーズを取った。そしてそれから方向を変えて、彼女達はマカレトシア王国にある廃村の倉庫を目指したのだった。
――少し前、トロル山賊団が攻め込んで来そうだという事が分かった時、ナイアマンは頭を抱えた。
「なんで、よりによって、このタイミングなんだ? どうも今回は妙に運が悪いぞ。僕らは」
ライドとメリルの二人の協力があれば相当に心強い。トロル山賊団に対して、罠を張れるだろう事は分かっていた。ただ、セルフリッジとの約束の時間には間に合わない。ライドとメリルの二人は「植物魔法を使ってから、急いで向かえばきっと間に合うよ」と、そう言っていたが、ナイアマンは悩んでいた。何しろ今回はランカの命もかかっているのだ。安易な判断はできない。ところがそこでナゼルが、
「セルフリッジさんのことだから、きっと大丈夫。アクシデントが起こったケースも考えているわよ」
と、そう言うので、結局はライドとメリルコンビに協力してもらう事に決めたのだった。それはランカ・ライカが、たった一人の死者はもちろん怪我人すら許さないだろうと分かっていたからでもあった。自分を救う為に、団の誰かが犠牲になったと分かれば、恐らく彼女は嘆き悲しむだろう。
「さて、双子ちゃん達。わたし達はナイアマン達の所に向かうわよ。準備しているといっても、あの謎の霊長類は、ナイアマン達だけじゃ、ちょっときついでしょうし」
ナゼルはそう言うと、槍を握りしめて、山道を急ぎ始めた。
「木ぃ! あたし達の為に台をつくってぇ!」
そうメリルが叫ぶ。すると山の斜面に生えている木の一本が、スッと手を伸ばして、ライドのグライダーに足場を提供した。
「オッケェ! さすが、メリル!」
ライドはそう叫ぶと、その足場に着地する。そのタイミングで、メリルがまた叫んだ。
「今度は高く上げて、木ぃ!」
それに応えて木は、その枝を目一杯に高く掲げる。充分な高さまで来たところで、ライドはその足場を蹴った。滑空する。そして、しばらく進むと彼女達はまた同じ事を繰り返した。
「これなら、迂回しないといけない山を真っ直ぐに進めるね、ライド! きっと間に合うよ」
そうメリルが言う。
「思ったよりも疲れるけどね、メリル!」
ライドはそれにそう答える。
そうしてショートカットして進めば、セルフリッジ達の所まで直ぐに行けると彼女達は考えていたのだ。もっとも、セルフリッジとの約束の時間に間に合わない事は、その時既に確定していたのだが。
「うちの子供に、なにをしているんだい!」
ドアを蹴破って現れたランカ・ライカの姿に、その場にいた一同の注目は集まっていた。彼女の蹴ったドアは、見事にシロアキを殴ったシャロムの部下に当たっている。音で彼女は位置を把握していたのだろうか?
それからランカは自分を縛っていた縄を容易く引きちぎると、間髪入れずに高速で移動して、シロアキを殴った男を蹴飛ばして止めを刺す。更に、続けて近くにいた男の腹に掌底を入れて吹き飛ばすと、今度は背後にいた男を掴んで投げた。
大暴れだ。
それには今まで閉じ込められていた鬱憤を晴らす、という意味もあったのかもしれないが、やはりシロアキを騙して傷つけたという怒りの方が大きい。
「ちょっと待て? どういう事だ? ランカ・ライカの首輪はそのままだぞ? 魔力抑制は効いていないのか?」
その光景に混乱したシロアキがそう言う。その間にも、ランカはシャロムの部下達を次々と倒していく。
シャロムの部下達は、銃を使う事ができなかった。三階にはあまりに人が密集し過ぎていたからだ。銃を使えば、仲間の誰かに当たってしまう。
セルフリッジが下から声を上げた。
「いえ、効いているはずですよ、シロアキ君。ここからだと、ランカさんの動きの全ては見えませんが、普段の力よりも五割減といったところでしょうかね」
それを聞いて、シロアキが尋ねた。
「なんだと、セルフリッジ? どうして、ランカ・ライカには、たった五割しか魔力抑制が効かないんだ?」
セルフリッジはこう返す。
「それはランカさんの魔法が、身体能力強化魔法だからですよ、シロアキ君。マカレトシア王国の警察には、セピア・ローニーという女性がいるのですがね、その人は意図的に身体能力強化魔法で身体を錬成していった結果、魔力抑制があまり効かない身体をつくりあげる事に成功しました。
セピアさんは魔力が封じられている状態でそれをやった訳ですが、無自覚ながら、ランカさんはそれと同じ事を、魔力を封じられていない状態でやり続けた事になります。当然、セピアさんよりも魔力抑制に耐性がある可能性が高い」
そうセルフリッジが説明し続けている最中に銃声が響き始めた。仲間に当たる事も厭わず、シャロムがランカ・ライカに向かって銃を撃ち始めたのだ。ただし、彼女には当たらない。外れたうちの一発は、彼の部下に当たってしまった。
「シャロムさん! 銃を使うのはやめてください。また、仲間に当たっちまう!」
「煩い! 銃を使わないで、どうやってこんな化け物を食い止めるって言うんだ?」
そんな声が響いている。それを聞きながらセルフリッジは思う。
“おやおや、ですね。或いは、正しい判断…… かもしれませんが、人心はどんどんとあなたからはなれていきますよ、シャロム・シャイロー”
シロアキの疑問の声が、また響いた。
「ちょっと待て、セルフリッジ!? お前の話が正しいとするなら、ランカ・ライカはいつでも逃げ出せた事になる。なら、どうして、逃げなかったんだ?」
セルフリッジはそれを聞くと笑った。
「そんな簡単な事が分かりませんか?」
一呼吸の間。
「それは、シロアキ君の為ですよ」
「なに?」
「ランカさんは、以前よりシロアキ君の事をとても心配していました。だから君が暗黒街から狙われるかもしれない非常に危険な状況に立たされていると知って、何とかしてあげたいと思ったのでしょう。それであなたに捕まっている振りをして、あなたを守ろうとした。あなたを説得しても、ランカ山賊団には来てくれないと判断したのでしょうね。一度や二度は、そんな事を彼女から言われませんでしたか?」
そう言われて、シロアキは思い出した。確かにランカからうちに来ないかと一度尋ねられている。シロアキはセルフリッジの問いに何も答えなかったが、その沈黙の意味を悟ったのか、セルフリッジは言う。
「ですが、さっきの僕の話で、もうあなたに捕まっている振りをしても無意味だとランカさんは知った。何より、シャロム達にあなたは命を狙われましたしね。だからこうして、怒りを爆発させて出て来たのですよ。こーなったら彼女は止まりません」
シロアキはセルフリッジの説明に愕然となっていた。その間、ランカはシャロムの銃撃を躱しながら着実に敵の数を減らしていく。一見、それは順調に思えた。ただし、セルフリッジには一つ懸念があった。小声でアンナに言う。
「五割くらい身体能力が下がっても、実戦経験の少ないシャロムの部下達なら、問題はないと思いますが、問題は持久力です。アンナさん。内ポケットの中に入っているケースを取り出してみてくれませんか?」
アンナはそう言われて、彼の内ポケットの中にあるそれに触ってみて気付く。
「あ、これ、医療魔法針ですか?」
チニックから試験的に使ってみてくれと渡された、人の身体を治療する為のあの道具。それが入っているケースだ。
「はい。もし、隙ができたら、これでランカさんの疲れを癒してあげてください」
それに頷きながらアンナは言う。
「もちろん、それはやりますが、わたしには一つ疑問があるんです」
「なんでしょうか?」
「どうしてランカさんは、自分で首輪を引きちぎらないのでしょう? あれだけの力があれば可能だと思うのですが」
「そう言われてみれば変ですねぇ」
そう言いながら、セルフリッジは妙な予感を覚えていた。大きな声を出し、ランカにこう尋ねてみる。
「ランカさん! どうして、その首輪を切ってしまわないのですか?」
すると、直ぐにこんな返答が来た。
「そんなの当たり前じゃないか! シロアキがわたしにプレゼントしてくれた大事な首飾りを、壊せる訳がないよ!」
セルフリッジは頭を抱える。
「うーん…… やっぱり、そんな理由でしたかぁ」
そもそも“首飾り”ですらないのに。
そのうちに、少しずつシャロムの部下達は一階に降り始めた。どうやら、ランカの相手をするくらいなら、一階でアンナ達と戦った方がマシだと判断した者が、少人数だがいたようだ。
「おっと、こっちにも来ちゃいましたか」
そうセルフリッジは言う。ただし、それに彼は冷静に対処した。階段を下って来る者には、ヌーカとハットの石つぶてと弓矢が襲い、そこを抜けて来た者には、セルフリッジが“唐辛子の粉末の袋”を投げる。まだ、充分にそれは残っていたのだ。それにアンナの“虚ろな影達”も、物を使うなどすれば抗魔力装備の相手に攻撃ができた。
やがて、ランカの戦闘する音に、銃撃音が多く混ざり始めた。
ランカがシャロムの部下達を随分と減らしてしまった事で、三階の人口密度は減っていたし、恐らくは陣形をつくることにも成功したからだろう。銃を使っても同士討ちにはならなくなったのだ。もちろん、ランカはそれでも簡単にはやられたりしない。彼女は素早く物陰に身を隠している。ただし、セルフリッジの懸念通り、彼女には疲れが出始めてもいた。
“おかしいね。ちょっと調子が悪いよ。久しぶりに動いたからかね?”
などと彼女は思っていたが。そんな時だった。倉庫の出入り口から声が聞こえて来たのだ。
「母さん! 金棒を届けに来たよ!」
ダノの声だ。それから彼は、持って来たその金棒を放り投げた。一階のフロアにゴロゴロと転がる。それを聞いてランカは顔を明るくする。金棒に喜んだと言うよりは、ダノの声に喜んだのだ。
「ダノかい? 助かったよ!」
そう言うと、彼女は物陰から高速で飛び出て一階に飛び降りた。すると一部のシャロムの部下達は彼女を追って飛び降り、残りは二階と三階から彼女に向けて銃を撃った。もっとも、二階と三階から撃った銃の弾丸は、アンナが“虚ろな影達”で吸収してしまったが。
「ランカさん。敵を連れて来ないでくださいよ」
そうセルフリッジが言う。
「うるさいね。倒しゃいいんだろうが、倒しゃ」
ランカは直ぐに金棒を拾うと、真っ直ぐに部下達に向かって突進した。彼らは銃を撃ったが、やはりアンナの“虚ろな影達”が弾を吸収する。
「どっせぇぇ!!」
それから彼女はそう叫びながら、金棒を豪快に振り回し、三人ほどを同時に吹き飛ばした。振り向きざまに、反対にいるもう二人も同じ様に倒す。金棒のお蔭で、確実に彼女の破壊力は上がっていた。その攻撃で降りて来た敵の全てを倒した訳ではないが、残りはセルフリッジが“唐辛子の粉末の袋”を投げて直ぐに戦闘不能にしてしまった。
ランカはその後ですぐに二階に飛び上がろうとしたが、そこでアンナが声をかけた。
「ランカさん。ちょっと待ってください。疲れを取ります」
二階と三階のシャロムの部下達は、眼下で行われた金棒による戦闘の凄まじさに気圧され動けないでいた。今がチャンスだ。
アンナは“虚ろな影達”に医療魔法針を持たせると、ランカの肩に刺す。
「これは、なんだい? お嬢ちゃん?」
「治療道具です。疲れも癒す事ができます。動かないでください」
「ふうん。なんだか知らないが、お嬢ちゃんの言う事なら信用するよ」
アンナは急いで、ランカに魔力を注いでいく。直ぐにランカはその効果を実感した。身体が楽になっていくのを感じたのだ。
「これは良いね。さすが、お嬢ちゃんだ」
それが終わると、ランカは直ぐに二階へ飛び上がってそのまま三階を目指した。恐らく、三階に残して来ているシロアキを気にしているのだろう。
セルフリッジがため息を漏らした。
「金棒ですか…… 確かに破壊力は上がりましたが、ランカさんは直ぐに疲れてしまうでしょうね」
そして、そう心配を口にした。
しかし、そこで彼は、倉庫の上の窓にグライダーが飛んでいるのを見たのだった。ほぼ同時に窓の向こうから、ヌーカの声が聞こえて来る。
「セルフリッジさん! ライドとメリルがやっと来たみたいだよ」
その言葉にセルフリッジは珍しくガッツポーズを取った。
“よしっ! これで、なんとかなるかもしれません”
……倉庫の上空。
「好奇心旺盛な木々~」
そうグライダーにぶら下がりながらメリルは叫んだ。そしてそれから、彼女が魔法を使ったという証拠が、キラキラとした軌跡となって地上に降り注いでいく。
地上には倉庫があり、その中ではランカ達が激しい戦闘を繰り広げている最中だった。
濃いめの赤を基調とした服装。赤毛のポニーテールが揺れている。
セピア・ローニー・
一応、警官で“魔人”を自称している彼女はやや腐っていた。せっかく、魔力完全開放のテストメンバーに選ばれたのに、彼女の上司で課長のノットナット・バナーからの指示で、廃村のパトロールなどを命じられていたからだ。
バナーは、彼女に暴れたければ言う通りにしろと言っていた。だが、廃村なんかで大事件が起こるとは彼女には思えなかったのだ。まだその根拠をバナーが話してくれたのなら納得できるのだが、彼はただ信じろとしか彼女に言わなかったのだった。
「……ったく。絶対、あのオッサンは、アタシが何か問題を起こすと思って、厄介払いしたんだぜ」
そう愚痴る。
それで彼女はどうせならと、美しい田舎の景色を眺めながら廃村に向かっていた。彼女は鼻も耳も目も良い。近くの村で、何か事件が起きたなら直ぐに察知できる。もしかしたら、その全開にした魔力の力を使う機会もあるかもしれない。
が、そうして辺りを注視していた彼女は、ある時、遥か遠くに今まで見た事もないような物があるのに気が付いたのだった。
『たくさんの大きな木々が集まって、倉庫の周りで踊っている』
敢えて表現するのなら、それはまるでそんな光景だった。耳を澄ますと、何やら銃撃音らしきものも聞こえて来る。しかもそれはバナーが事件が起きると言った廃村で起きているようだったのだ。
「ははっ すげー。まさか、オッサンの言う事が当たったのか?」
そう独り言を呟くと、セピアは全速力でそこに向かって走り始めた。
倉庫内で、シャロムの部下達は混乱していた。周囲で騒いでいる木々に向けある者は応戦しようとし、ある者は逃げようとしている。ただ、それがメリルの魔法である事を察しているランカ・ライカは、まったく動じずにパニックに陥っているシャロムの部下達を次々と倒していった。
「これがセルフリッジさんの策ですか?」
そうアンナが尋ねる。すると、それにセルフリッジはこう答えた。
「まだ、これだけじゃありません。この続きがありますよ」
そう彼が言い終えたタイミングだった。声が倉庫の出入り口の方から響いて来たのだ。
「なんか、訳の分からない事になっているじゃないか。なんだよ、これは?」
それはアンナにも聞き覚えのある声だった。セピア・ローニー。彼女だ。セルフリッジの策を察したアンナは言う。
「セルフリッジさん。この策には、一つ問題があります」
「なんですか?」とセルフリッジ。
「わたし、彼女には貸しを作りたくありません」
「……それは、我慢してください」
それからセルフリッジは、倉庫の出入り口の方を振り返ると、セピアに向かってこう言った。
「セピアさん。武装している彼らは犯罪集団です。遠慮なく、やっつけてやってください」
セピアはそれを聞くと、ステップを踏んでリズムを取り始める。それに合わせて、棍を軽快にヒュンと回す。
「ああ、言われなくてもやってやるよ。しかし、あのオッサンも中々やるじゃねぇか。こんな場所で、こんな騒ぎが起こる事を当てるなんてよ! 見直したぜ!」
そう言い終えると、セピアは駆けて二階に飛び上がり、上機嫌で猛然とシャロムの部下達に向かって突っ込んで行った。
アンナは密かに思う。
“それは、多分、あなたの上司ではなく、セルフリッジさんが当てたのです……”
セピアが戦闘に参加すると、一瞬で倉庫内の空気は変わった。
恐らくは人類最速だろうと、ノットナット・バナーが評した程のセピアの速度に、対応できる者は、シャロムの部下達の中には一人もいなかった。棍で突き、蹴りを入れ、頭突きをかまし、シャロムの部下達を彼女はあっさりと倒していく。
数人が倒されて、新たな敵襲だと察したシャロムの部下達は、それから更に数人が倒された後で、倉庫の外で踊る木々を無視して、ようやく陣形をつくってセピアに対抗した。一斉に銃を発射する。しかし、セピアはそれをむしろ楽しんでいるようだった。横に疾走して、その銃撃の前を駆け抜ける。迂闊な行動にも思えるが、彼女の表情からは緊張感は感じられなかった。
「アハハハ! 良いね! 銃なんて当たる気がしない! 楽しくて堪らないぜ!」
笑いながらそう叫んでいる。
アンナはそれを見て思った。
“やっぱり、魔力が解放されて、調子に乗りまくっているわね、セピアさん……。何か、失敗しなければ良いけど”
やがて、シャロムの部下達からのセピアへの銃撃が一度止んだ。弾を撃ち尽くし、次の弾を込めているのだ。普段、戦闘訓練を受けている訳ではない彼らは、順番に撃って常に銃を撃ち続ける状態を保つという戦闘術を身に付けてはいなかったのだ。隙ができたと判断したセピアは、そこでS字型の軌跡を描いてシャロムの部下達の陣形のど真ん中に飛び込んでいった。
中央に滑り込むと、「ヘヘッ」と笑ってから、一瞬の間の後に、彼女はそこで棍を縦横無尽に振り回した。すると、まるで空気が弾けたように、シャロムの部下達は彼女を中心に吹き飛んでいった。もちろん、そのほとんどが戦闘不能になっている。中には、まだ戦える者もいたが、そのダメージの大きさと彼女の異常なまでの強さに完全に戦意を喪失していた。
「言っておくけど、まだまだアタシはいけるからなぁ!」
そう叫ぶと、彼女は次の相手に向かって行った。戦闘が楽しくて堪らないといった様子だ。
三階。階下で響く戦闘の音を聞きながら、ランカは呟いた。
「やれやれ、なんか妙にうるさい奴が来たもんだねぇ」
ただし、彼女は随分と疲労が溜まっていたので、その“うるさい奴”のお蔭でとても助かっていたのだが。
彼女がいる三階には、もうほとんど敵は残っていなかった。そしてそこでは、シロアキが呆然とした様子で床に座っていた。彼はさっきからずっとそのままだった。
“ランカ・ライカが自分の為を思って、わざと捕まっていた”
その事実は、彼のプライドをズタズタに引き裂いてしまっていたのだ。ランカはそんな彼を抱き上げると悲しそうにハグをした。それに彼はわずかに反応を見せただけだった。
“母親の愛が、空回りしちまう事もあるんだね…… 悲しいよ”
それから彼女はシロアキを抱いたまま、三階から飛び降りる。そして、下にいるセルフリッジに…… いや、アンナに向かって言った。
「ここにいれば、少なくとも銃からは、お嬢ちゃんがシロアキを守ってくれるだろう? お願いするよ」
ランカはシロアキを、彼女達の傍に置く。そのランカの元気のない様子に気付いたのか、アンナはまた医療魔法針を出した。そしてそれをランカの肩に刺す。
「お疲れのようなので」
そうアンナは言った。
「助かるよ。お嬢ちゃんは、やっぱり優しいねぇ」
ランカはそう返すと、二階を見上げた。二階からは「アハハハ~ そーこーかー」というセピアの楽しそうな声が響いて来ている。
「敵の方は、あのうっさい奴がもう片付けちまいそうだけどね」
そしてそう彼女は力なく言った。
ランカ山賊団のアジトまで続く通り道。以前、トロル・ニー・デイダランとランカ・ライカが勝負したその場所で、ナイアマン達とトロルは戦っていた。
本当を言えば、ナイアマン達はトロルをそこに誘い込む為に、弓隊や石投げ隊に待機させていたのだが、彼らの出番はなく、トロルは勝手にその場所にやって来てしまった。それが単に道を知らないが故の偶然なのか、それとも彼の身体の大きさで、森の木々の中を進む不利を嫌った結果なのかは分からなかったが、とにかく、ナイアマン達の作戦通りに事は進んでいた。
そこでナイアマン達は、対トロル用の布陣を張っていたのだ。一番外側は弓隊で囲み、それよりも内側には石投げ隊。そして、接近戦には二刀流のナイアマンが。
真っ当にぶつかっても勝てない事は、ナイアマンには分かっていた。トロル・ニー・デイダランはランカ・ライカといい勝負をするような化け物だ。だから、遠くから弓と石で常に狙い、体勢が崩れたり隙ができたならナイアマンが突っ込んで攻撃をし、それでトロルの注意がナイアマンに向かったら、また弓と石でカバーする。そんな事を繰り返していた。
ナイアマン達が一瞬でも攻撃を途切れさせれば、誰かがやられて何処かが崩れる。そうすれば、そこから一気に全体が崩壊してしまいかねない。それはそういった少しも気を抜けない緊張状態だった。そしてそんな場面に、槍を握りしめたナゼルはやって来たのだった。彼女は石投げ隊の一つに混ざると、そこにいた一人にこう話しかける。
「良い感じに罠に嵌ってくれているみたいだけど、まだ終わらないのね。一本も弓矢は当たっていないの?」
一本でも当たれば、時間はかかるが強力な麻酔作用でトロルが戦闘不能になるだろう事は、前回で実証済みだった。
「ああ、ナゼル。うん、まだ一本も当たっていないよ。あんな大きな身体なのに、全て躱されている。あいつ、凄いよ」
そう彼が言った後で、トロルは大声を上げた。
「ウハハハハ! そんな弓矢なんぞ、いくら放っても無駄だ! 躱すことに集中しさえすれば、前みたいに当たったりはせんわい!」
前回、トロルは矢を全て金棒で打ち払おうとして失敗し、一本だけ腕に受けてしまっているのだ。
“なら、前回も躱しなさいな。どこに打ち払う意味があるのよ”
と、それを聞いてナゼルは心の中でツッコミを入れた。
トロルは矢だけを警戒し、石つぶてはくらっても構わないという方針をどうやら執っているようだった。彼の耐久力ならば、確かに石くらいなら多少当たったところで、大してダメージにはならないのかもしれない。
「ねぇ、どうしてもっといっぱい、矢を放たないの?」
しばらく観察してナゼルはそう尋ねた。弓隊が一度に放つ矢は二三本といったところで、明らかに少ないように思えたからだ。これではあの男には当たりそうにない。
「最初のうちはもっといっぱい撃っていたんだけど…… 多分、矢の数が足らないからだと思う。いつもはダノが一度にたくさん矢を運んでくれるけど、今日はいないから」
「ああ、なるほど。いなくなると運搬係の重要性がよく分かるわね」
それからナゼルは、そこから少し離れてから、持っていた槍をぐるんと回した。ナイアマン達の様子をじっと見る。
その時は、ちょうど矢に気を取られて隙ができたトロルに向け、ナイアマンが斬撃を入れようとするところだった。しかし、トロルはそれに素早く反応し、二本の剣を金棒であっさり受け止めてしまう。そして、そのまま彼はナイアマンを金棒で押すようにして突き飛ばす。ナイアマンは、それに逆らわず巧く力を逃がし、なんとか着地に成功した。ただし、バランスは崩してしまっている。そこにトロルはすかさず攻撃を入れようとするが、弓隊と石投げ隊が矢と石つぶてを放ち、その攻撃をなんとか防いだ。
“うわっ、ギッリギリじゃない。ナイアマン……。危ないなぁ。なんとかもっているのは、普段、母さんと稽古をやっているからね”
そう思うと、彼女は槍を地面に這わせるように低く構えてから、そのままトロルの背後に向かって前進をし始めた。ナイアマンと自分の二人がかりでやれば、なんとかなるかもしれない。彼女はそんな事を考えている。
彼女が低い姿勢を執っているのは、トロルが巨体である上に、弓矢を警戒している所為で上にばかり注意が向かっていると判断したからだった。このまま気付かれないように後ろから慎重に近づいて、足元を狙えば槍を当てる事ができるかもしれない。今日の彼女の槍の刃は特別性だ。矢と同じ強力な麻酔薬が塗ってあるから、少し掠るだけでも充分に効果がある。
しばらく進むと、ナイアマンはナゼルが近付いて来ていることに気が付いたようだった。彼は目で威嚇するようにナゼルを見る。「危ないから、近づくな」と訴えているようだ。
“何を言ってるのよ(言ってないけど)。あなたの方がよっぽど危ないわよ”
彼女はそう思う。そして、
“そんな目で見ないでよ。トロルに気付かれちゃうでしょう?”
と、そう目で訴え返した。するとナイアマンはトロルの気を自分に向けさせる為か、隙のできていない無茶なタイミングで斬りかかった。ただ、そのお蔭でトロルの虚を突けたらしく、トロルは金棒で攻撃を防いだだけで、反撃はしてこなかった。そして更にそこに矢が放たれる。トロルはそれを慌てて躱し、その所為で体勢が明らかに崩れてしまった。
“ここね!”
ナゼルはそれを見て、このタイミングしかないと思い、できるだけ静かに、ただし勢いよく駆けた。
“少し掠るだけでいい”
ところが、後少しでナゼルの槍の間合いに入ろうかというところで、トロルは崩れていたはずの体勢を軽快に回転させると、ナゼルの方に正確に身体を向け、金棒を振りかぶったのだった。まるで背後に目があるかのようなトロルのその反応にナゼルは慌てる。
「うそーん!」
その刹那、彼女は時が止まったかのように錯覚した。
“これ、やばいかも”
トロルの顔が嬉しそうに歪むのが見える。咄嗟にナゼルは飛び退いたが、トロルもそれに合わせて踏み込んで来る。やはり速い。この間合いなら、金棒が当たってしまうかもしれない。しかし、そこでナイアマンが雄叫びを上げながらトロルに突っ込んで来たのだった。このままトロルがナゼルに攻撃をしたなら、恐らくは、トロルはナイアマンの斬撃を受ける事になるだろう。しかし、トロルがナイアマンに意識を集中すれば、充分に反撃ができる。
「馬鹿め!」
トロルはそう言うと、身体を再び軽快に回転させてナイアマンを迎え撃った。金棒を振るう。金棒と剣が正面からぶつかり合えば、金棒の方が勝つのは道理だ。
「駄目っ!」
そうナゼルは叫んだが、時は既に遅かった。ナイアマンの二本の剣と、トロルの金棒がぶつかり合う。
「吹き飛べえぇぇ!」
と、トロルは言った。しかし、ナイアマンはそこで器用にも金棒の衝撃を回転して吸収すると、その勢いをそのまま利用して、トロルを蹴ったのだった。本当なら剣戟がベストだが、体勢的にそれは無理だったのだ。大したダメージにはなっていないが、とにかく、この戦闘が始まってから、初めてトロルにまともにナイアマンの攻撃が入った事になる。
それを見て、ナゼルはホッと安心する。そして同時に“あれ? これって守ってもらったのよね? なんか、少し嬉しいかも”とそんな事を思っていた。
着地してからナイアマンは言う。
「ナゼルに何をする! 女性に攻撃をするとは、このゲスめ!」
その言葉に心外だと言わんばかりに、トロルはこう返す。
「女だろうがなんだろうが、攻撃を仕掛けて来たら関係あるか! しかも、こいつは隠れて後ろから近付いて攻撃しようとしてきたような卑怯者だぞ!」
「煩い! ランカ母さんがいない隙をついて攻めて来るような卑怯な真似をしておいて、何を言っているんだ?」
弓隊から放たれた矢を躱しつつ、それにトロルは大声を上げた。
「なんだとー!」
当然、その後でナイアマンに対して、トロルは反論をするだろうと皆は思っていたのだがしかし、それから彼はこう言うのだった。
「ランカ・ライカはいないのかぁ?!」
それで何かトロルの様子がおかしいことに皆は気が付いた。どうも勘違いをしていたようだとそう思う。様子を見る為、皆は一度攻撃の手を止める。ナイアマンが尋ねた。
「母さんがいないと知った上で、お前は攻め込んで来たんじゃないのか?」
「そんなはずがないだろう? ランカ・ライカがいないのに、ここに攻め込んで俺に何の得がある?」
それからトロルは周囲を見渡すとこう言った。
「しかし、なら、ランカ・ライカは何処へ行ったんだ?」
それにはナゼルが答えた。
「母さんは、今捕まっているわ。マカレトシア王国の麓の廃村にある倉庫にいるらしいのだけど」
「捕まってるだぁ? 嘘つけ! あのランカ・ライカがそんなに簡単に捕まってたまるか!」
「それが母さんのあの凄まじい身体能力の秘密は実は魔力だったらしいのよ。で、その魔力を封じられて捕まってしまったみたいで」
それを聞いて、トロルは絶叫した。
「な・ん・だ・とぉ!?」
そして、それからマカレトシア王国の方に身体を向けると、トロルは叫びながら走り出したのだった。
「ランカ・ライカ! 今、助けてやるからなぁ!!! 待ってろぉぉぉ!」
その様は、まるで暴走する猛牛戦車のようだった。それを唖然と見つめながら、ナイアマンが言う。
「なんか、よく分からないが、これは終わったという事なのか?」
ナゼルが呟いた。
「そもそも、あの謎の霊長類は、母さんの居場所をちゃんと分かっているのでしょうね?」
もっとも、野生の勘でトロルはそこに辿り着いてしまうような気も、なんとなく彼女はしていたのだが。
「ハハッ どっかから、時々、お前の声が聞こえて来ると思っていたら、そんな所に潜っていたのか。
何をやっているんだ、お前は?」
セピア・ローニーは、オリバー・セルフリッジのコートの中にいるアンナ・アンリを見つけると、そんな事を言った。
「うるさいわね」
と、少し照れながらアンナは返す。
倉庫の中からは動く気配がほとんど消えていた。うめき声が微かに響いて来るくらいだ。アンナの“虚ろな影達”も消え、彼女達の前には幾人もの人間が倒れている。シャロムの部下達は、ほとんどセピアが倒してしまっていたのだ。わずかに残っている者も、既に戦意を喪失してしまっている。
シロアキを傷つけてしまった事で落ち込んでいるランカ・ライカは、もう戦闘は終わったと判断すると「しばらく風に当たって来るよ」とそう言って外に出て行ってしまった。そしてそのシロアキは、アンナ達から少し離れた位置で、相変わらずに座り込んで呆然としていた。
アンナは思う。
“これで、多分、終わったんだとは思うけど、でも、シャロム・シャイロー…… あの男は何処にいったのかしら?”
その時だった。突然、倒れている男の一人が起き上がり、銃を何発か撃ったのだ。そのうち一発は、アンナの前でニヤニヤと笑っていたセピアの横腹に命中した。もう一発が、彼女の頭に迫っていたが、それは頭を素早く屈めて彼女はなんとか躱した。ただ、少し掠めてしまったようだが。血の飛沫が舞う。
“くそう! 油断した……”
セピアは、横腹を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。
一方、セルフリッジは、銃撃音を聞くと、素早く背中を向けアンナを守るような恰好を執った。銃撃音と共に、ボスッボスッという音が何度か鳴る。彼の防弾コートの背中に、銃弾が当たっていたのだ。
そのうちに、カチッカチッという音が響いた。男の銃の弾が切れたのだ。男は言う。
「チッ やはり、そのコートは防弾仕様か。用意周到だな、オリバー・セルフリッジ」
それは、シャロム・シャイローの声だった。その声を聞いた途端、抱きしめていたアンナの身体が竦むのをセルフリッジは感じた。
座り込んでいたシロアキは、その騒ぎに多少は驚いた顔を見せたが、シャロムの姿を確認するなり呆れたような目を彼に向け、それから関心なさそうに目を戻した。
弾が切れた銃を近くに投げ捨てると、シャロムは短剣を抜いた。
「アンナ・アンリの魔力も切れいるし、お前が持っていたガキのおもちゃみたいな目潰しも、もうないだんだろう?
覚悟しろよ、セルフリッジ! この僕にこれだけの事をしたんだからな!!」
それを聞くと、セルフリッジは振り返りながらため息を漏らした。
「なるほど。やられた振りをして、チャンスを窺っていたのですか。シャロム・シャイロー。少しは見直しました。が、またあなたは判断ミスをしましたね。プライドが邪魔したのでしょうか?
あなたは逃げることだけに、意識を集中するべきでした。復讐などしようとはせず」
シャロムは目を剥いて、こう返す。
「強がりを言うな。今からお前を殺してやる」
その言葉を聞くと、アンナは表情をきつくする。そして“虚ろな影達”を発生させ、シャロムの周囲を覆った。それを受けてか、セルフリッジが言う。
「アンナさんの魔力にはまだ余力があります。その可能性はあなたも分かっていたはずだ。なのに、そのくだらないプライドの所為で、その現実を正しく受け止められなかった。違いますか?」
「煩い! この程度の魔法がなんだ? 僕は全身を抗魔力装備で固めているんだぞ? 関係あるか!」
しかし、アンナの魔法は少なくともシャロムの視界を大きく制限してはいた。セルフリッジは淡々と言った。それに、物を使って間接的に攻撃するという手段もある。
それからセルフリッジが口を開く。その声は珍しく怒りに震えていた。
「さっき、アンナさんがあなたの声を聞いただけで竦みました。
シャロム・シャイロー。
お前は、一体、この人に対して、何をやったんだ?」
それを聞くとシャロムは笑った。無理に虚勢を張るような、歪な笑い方だった。
「何をやったかだって? ただ、“しつけ”をしてやっただけだよ。僕に逆らわないように、口答えをしたら、頷くまで、叩いたり蹴ったり罵倒したりな。否、時には頷いても、叩いてやった!
お前にも見せてやりたかったな。その女が泣きながら僕に許しを請うところを。無様で惨めで醜かったぞ!
セルフリッジ! お前は、女の扱いを何にも分かっちゃいない。女ってのは、そうして男が支配してやるもんなんだよ! それを女自身も望んでいるんだ!
おい、アンナ・アンリ!
聞いているか?
その男を殺したら、もう二度と僕に逆らわないように、拷問にかけてやる。苦しめて、苦しめて、廃人寸前まで追い込んでやるからな! 覚悟しろ!」
それを聞くと、セルフリッジは再び大きくため息を漏らした。
「あなたが、どんな環境で育ち、その願望によって偏った、醜い思想を持つに至ったかを考えると、憐れみすら込み上げてきますが、しかし、それでもアンナさんにそんな酷い仕打ちをしたあなたを、僕は許すつもりはない。あなたが僕らに刃をむけているお蔭で、正当防衛も成立しますしね。あなたこそ覚悟をしてください。あなたはもう終わりです」
「覚悟? 覚悟ってなんだよ? この状況で貴様に何ができるんだ?」
「さっき、あなたは僕に向かって、“用意周到”と言いましたが、その用意周到な僕が、この程度の事態を想定していないはずがないでしょう?」
それからセルフリッジは、腕を振りかぶった。アンナの“虚ろな影達”で視界を大きく遮られたシャロムはそれを見て、まだ目潰しが残っていたのかと思い、腕で顔の目の辺りを守ろうとした。ところが、次の瞬間、彼は腕ではなく、頭部に固い何かが当たる衝撃を受けたのだった。そして、そのまま前のめりに倒れ込む。
薄れていく意識の中で、彼はこんなセルフリッジの声を聞いた。
「情報というのは適切に開示し、そして適切に隠すのですよ。例えば、こんな感じで、武器を服の中に隠しておくことも、その一つです。あなたのように、安易に情報を流出させているのでは話にならない」
セルフリッジは、鉄球のついた鎖を持っていた。モーニングスターだ。彼は接近戦用にそれをコートの中に隠し持っていたのだ。
それから彼はまだ説明をし続けた。もっとも、シャロムの意識がなくなっているだろう事には気付いているようで、それはどうやら、シロアキに向かって言っているようだったのだが。
「今回、厄介だったのはあなたではなく、シロアキ君です。もしも、アンナさんを捕まえている首謀者が彼だったなら、こうは上手くいかなかったでしょう」
恐らく、セルフリッジはシロアキにそれを聞かせることで、彼を元気づけようとしているのだろう。シロアキが元気になれば、落ち込んでいるランカ・ライカも元気になると考えたようだ。
彼が言い終えると、アンナはこう言った。
「セルフリッジさん。そろそろ、このコートの中から出ます。前を開けてください」
少しだけ心配そうにしながら、セルフリッジは尋ねる。
「大丈夫ですか?」
「もう大丈夫です。こんな男、怖がることすら馬鹿馬鹿しいですから。それに、いつまでもこのままって訳にもいかないでしょう?」
「はぁ。ま、それはそうですが」
そう返すと、彼はコートの前のボタンを開けた。それでアンナはそこから出ると、銃弾の傷の所為で相変わらずにしゃがみ込んでいるセピアに近寄って行って、笑顔で言う。
「セピアさん。やーっぱり、魔力全開に浮かれて調子に乗って、失敗しちゃったわねぇ。やっぱり」
「なんで嬉しそうなんだ、お前は?」
「まぁ、撃たれたところを診せてみなさいな。治療してあげるから」
そう言われると、セピアは「イテテ……」と言いながら、大人しく腹を出した。アンナは医療魔法針を取り出すと、それをセピアの腹に刺す。そして、魔力を注ぎ込みながら、セピアの体内に“虚ろな影達”を発生させた。
「一応、言っておくけど、これで貸し借りなしだからね」
そう言う。セピアはその言葉に、呆れた表情を見せた。
「それでお前は、機嫌が良かったのか」
アンナは自分の得意な闇魔法は、医療と相性が良いと考えていた。何故なら、人の体内は闇だからだ。それから“虚ろな影達”を器用に操って、アンナはセピアの体内から銃の弾を取り出した。同時に止血も行う。
「良かった。それほど出血は酷くないわね。当たった場所が良かったのと、やっぱりあなたの身体能力強化魔法のお蔭かしら?」
「おい、アンナ・アンリよ。いつの間に、お前はこんな技術を身に付けたんだ? 施設じゃ教えてなかったろう?」
「医学書を読んだのよね。実践は初めてだけど」
「ちょっと…… 不安になるんだけどな」
そのうち、セピアの出血が止まると、アンナはもう大丈夫と判断したのか、ゆっくりと立ち上がってセルフリッジの所に戻った。
「身に付けた医療知識や技術が、色々と役に立っているようですね。良かった」
彼女が近付いて来ると、そう言ってセルフリッジは彼女の顔にまだ残っているシャロムに叩かれた痕を軽く撫でた。“でも、この傷痕は消えない”。まるで彼はそう言っているように思えた。
「医療魔法針でも、この痕は直ぐには消えないかもしれません。ただ、いつまでも残るようなものじゃないとも思いますが」
そう彼女が応えると、彼は彼女をゆっくりと抱きしめた。
「そうですね。早く治ると良いです」
そして、それからしばらくの間が。シャロム・シャイローというあの酷い男が、どれだけこの可愛い女性の心を傷つけたのかと思うと、セルフリッジは胸が苦しくて堪らなくなっていた。口を開く。
「アンナさん……」
「はい」
「流石に、今回の件は、僕は怒っています。勝手にこんな真似をするなんて……」
ところが、アンナはそれにこう返すのだった。
「そうですか? でも、わたしは、多分、セルフリッジさん以上に怒っています」
それを聞いてセルフリッジは思う。
“あれ? なんか、思っていたのと違うんですけど……”
それで、抱きしめている手を放すとこう言った。
「あのアンナさん……。チニック君にあなたを貸与する契約書を作っておいたのは、万が一にも僕に何かあった時の為に、あなたを守る為でして。チニック君なら絶対にあなたを酷く扱いませんから。だから、決してあなたを手放そうとした訳ではなくてですね……」
「はい。そんな事くらい分かっています。前もって印を押した貸与契約書を渡しておけば、あなたに何かがあった時、チニックさんならあなたの意図に気が付くでしょう。
真意は告げず、条件だけを用意しておいて、その時が来たなら、自然とそれが分かるようにする。
セルフリッジさんがよく使う手段じゃありませんか。
そもそも、わたしを守る目的じゃなければ、セルフリッジさんが死んでも有効な貸与契約書なんて必要ありません。
と言うか、ですね、セルフリッジさんはわたしがそれに気付いている事を、既に察していたのじゃないのですか? じゃなければ、こうして助けに来たりしません!」
そこでそれまで黙って座っていたシロアキが口を開いた。力なく言う。
「なるほどな。つまり、アンナ・アンリがシャロムの所に自ら行ったのは、セルフリッジを裏切るどころか、セルフリッジを守る為だったのか。セルフリッジに敵対し、殺す可能性があるのは、自分をそそのかしてきた人間だと考えて……」
それから軽く彼は歯軋りをする。
“だから、この女は逃げなかったのか。逃げたら間違いなくセルフリッジが狙われるしな。……ちっくしょう! 今回、ボクは読み違えてばかりいる”
セルフリッジは、それを聞くとこう言った。シロアキは少しずつ元気を取り戻しているとそう思いながら。
「あとは多分、自分がいなくなる事で、僕を放っておいても良い小物だと思わせようとしたのだと思います。アンナさんのお蔭で僕は注目されていましたから」
それからアンナを見るとまた続けた。
「でも、ですね、アンナさん。短絡的に、シャロムの所に行ったりせず、一言僕に確認してくれれば……」
それに、アンナは一層怒りながら返す。
「何を言っているんですか? いっつも誤魔化したり、騙したりするのは何処の誰です? あなたの言葉なんて信じられないんです! わたしの事を騙してでも守ろうとするくせに、どう信用したら良いんです?
それにですね。わたしの気持ちに気付いているのなら、どうして今回、こんな危険な手段を執ったんですか? 一歩でも間違えたら、危なかったじゃないですか!」
「いえ、それは、ちょっと予定外の事が起こりましてね。それに、監視されている立場で色々とやり難かったですし。警察のノットナット・バナーさんに連絡するのにも、わざわざセルティア共和国にまで行ったり」
セルフリッジは明らかにたじろいていた。そして、そんな様子のセルフリッジを見ながらアンナは思う。怒っていると言っていたのに、この人は少しも怒っていない。シャロムとは大違いだ。
そして、そう思ったからなのか、それからアンナの激しい怒りは勝手に静まっていったのだった。こう言う。
「ただ、確かにわたしも頭に血が上って、冷静さを失っていました。シャロムの所に乗り込んで行ったのは、浅はかだったと反省しています」
そう言いながら、アンナは顔を俯かせた。そしてそれから、上目遣いにセルフリッジを見ながら少し恥ずかしそうにし、こう続けた。
「それに。
それを踏まえた上でも、今回セルフリッジさんが助けに来てくれた事は、今までわたしが生きて来た中で、間違いなく、一番嬉しい出来事でした」
そして、そのままセルフリッジに彼女は抱き付いたのだった。
「物凄く嬉しかったんです。本当に、本当に、ありがとうございました……」
セルフリッジは、そんなアンナに改めて惚れ直していた。もう堪らないくらい。“可愛い”と、心の中でそう呟くと彼は言う。
「あの……、あなたの事を守る為に、チニック君に渡したあの契約書を作ったのは、ですね。本当に万が一の為で、あなたが心配するような事は何もなくて、ですね」
「だったら、そんな物は用意しないでください」
「いえ、ただ、世の中、何が起こるか分からないですし……」
そう彼が言い終えたタイミングだった。まるで壊れるのじゃないかという程の勢いで、倉庫の扉が開いたのだ。
そして、続けてこんな声が。
「ランカ・ライカァ~ 何処にいるぅ? このトロル・ニー・デイダランが、助けに来たぞぉ!!」
そこには見た事もないような大男が立っていた。金棒を持っている。
唖然とした顔でアンナが尋ねた。
「……この人も、セルフリッジさんの策で呼んだ人ですか?」
同じ様に唖然とした顔で、セルフリッジは答える。
「……いえ、まったく知らない人です」




