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『約束の庭――夢の中で、君に会った』  作者: こうた


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20/20

第20話 あなたに会えた



 あれから――一年が過ぎた。


 美咲は、約束の庭の夢を見なくなった。


 あの夜を最後に。


 本当に、一度も。


 最初は寂しかった。


 けれど、時間が経つにつれて、それも変わっていった。


 夢を見る必要がなくなったのだと。


 美咲は、そう思うようになった。


 ゆきのことを忘れたわけではない。


 五年前の悲しみも。


 あの日の小さな命も。


 全部、心の中に残っている。


 ただ。


 もう、それらを悲しみだけで思い出すことはなかった。


 そして。


 ある春の日。


「美咲」


 健一が、玄関から声をかけた。


「病院、行く時間だよ」


「うん」


 美咲は上着を手に取った。


 今日も、いつもの診察。


 そう思っていた。


 何か特別なことが起こるなんて、考えていなかった。


 病院へ向かう。


 受付を済ませる。


 診察室に呼ばれる。


 そして――


 医師が画面を見つめた。


「……確認してみましょう」


 美咲はベッドに横になった。


 モニターに映るものを見ても。


 最初は何なのか分からない。


 医師が静かに言った。


「妊娠されています」


 時間が止まった。


「……え?」


 美咲は聞き返した。


「妊娠されていますよ」


 隣にいた健一を見る。


 健一も動かなかった。


「……本当に?」


 美咲の声が震える。


 医師が頷く。


「はい」


 その瞬間。


 涙が溢れた。


「……健一」


「うん」


「私……」


「うん」


 健一も泣いていた。


 何も言えない。


 二人とも。


 ただ泣いた。


 ◇


 妊娠が分かってからの日々は、長かった。


 嬉しい。


 怖い。


 また失うんじゃないか。


 そう思ってしまう日もあった。


 夜中に目を覚まして。


 お腹に手を当てる。


「大丈夫……?」


 誰に言うでもなく、呟く。


 すると健一が目を覚ます。


「大丈夫だよ」


「……うん」


 美咲は何度も確認した。


 そして。


 何度も思った。


 五年前の自分も。


 こんな気持ちだったのだろうか。


 期待して。


 怖くて。


 それでも。


 生まれてきてほしいと願っていたのだろうか。


 ◇


 十月。


 病院の分娩室。


 美咲は必死に手を握っていた。


「頑張って!」


 健一の声が聞こえる。


「……もう無理……!」


「大丈夫!」


「無理って言ってるの!」


 痛みの中で。


 美咲は泣きながら笑った。


 そのとき。


 ふと。


 あの庭を思い出した。


 白い花。


 青い花。


 動き出した時計。


 そして――


 あの男の子。


 ――今度は、夢じゃなくて。


 ――ちゃんと会おう。


「……待ってたよ」


 美咲は小さく呟いた。


 そして。


 次の瞬間。


 産声が響いた。


 ――おぎゃあ。


 美咲は目を見開いた。


「……生まれた……?」


「はい」


 看護師が笑った。


「元気な男の子ですよ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 美咲の涙が止まらなくなった。


「男の子……」


 健一も泣いている。


「……男の子だ」


 小さな身体が。


 美咲の胸元へ運ばれてくる。


 温かい。


 小さい。


 そして――


 確かに、生きている。


 美咲は震える手で、その身体を抱いた。


「……こんにちは」


 声が震える。


「ずっと……待ってたよ」


 赤ん坊が、小さく手を動かした。


 その指が。


 美咲の指を握る。


 その瞬間。


 美咲は思った。


 ――知っている。


 この温かさを。


 ずっと前から。


 夢の中で。


 何度も。


 ◇


 数日後。


 退院の日。


 家に帰る途中。


 美咲は窓の外を眺めていた。


 秋の空。


 澄んだ青空。


 助手席には健一。


 後部座席には、小さな赤ん坊。


 眠っている。


「ねえ、健一」


「ん?」


「名前……」


「ああ」


 健一が笑う。


「決めようか」


 美咲は少しだけ黙った。


 五年前。


 古い箱に入っていた紙。


 そこに書かれていた言葉。


 ――男の子なら、この名前にしよう。


 あのときは。


 文字が見えなかった。


 未来を知ることが怖かったから。


 けれど。


 今なら分かる。


 名前は。


 未来を決めるものではない。


 その子と出会ったあとに。


 二人で贈るものなのだ。


「……決めてた名前があるの」


 美咲が言った。


「俺も」


 二人は顔を見合わせた。


 そして。


 同時に笑った。


「同じだった?」


「たぶん」


「じゃあ――」


 二人は、後部座席を振り返った。


 眠っている小さな男の子。


 美咲はその名前を呼んだ。


 すると。


 赤ん坊が、ほんの少しだけ目を開けた。


 そして――


 笑った。


 その笑顔は。


 夢の中で見た男の子と。


 驚くほどよく似ていた。


「……やっと会えたね」


 美咲の目から、一粒の涙が落ちた。


 けれど。


 今度の涙は悲しみではない。


 嬉しさだった。


 ◇


 その夜。


 家族三人で眠った。


 美咲は、赤ん坊の小さな寝顔を見つめる。


「おやすみ」


 小さく呟く。


 窓の外では、風が吹いていた。


 どこか遠くで。


 時計の針が動く音がした。


 ――カチ。


 美咲は目を閉じる。


 もう、約束の庭へ行く必要はない。


 白い花畑も。


 古い時計塔も。


 木造の家も。


 湖も。


 少女も。


 あの男の子も。


 全部。


 夢の中に置いてきた。


 けれど。


 あの時間があったからこそ。


 美咲は、今日ここにいる。


 そして。


 腕の中には――


 夢ではない。


 幻でもない。


 確かな命がある。


 美咲は小さな手を握った。


「……あなたに会えてよかった」


 眠っていた赤ん坊が。


 ほんの少しだけ笑った。


 窓の外。


 月明かりに照らされた庭で。


 一輪の白い花が揺れていた。


 その隣には。


 小さな青い花。


 二つの花は。


 夜風の中で静かに寄り添っていた。


 ――約束は、終わった。


 そして。


 新しい物語が始まった。


『約束の庭――夢の中で、君に会った』


 ――完――

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