DAY 3-3 呼んだ名
「聞こえていますか」
「ああ」
「エナは」
小型機の前方に、白い光がともった。
「エナ、伏せろ!」
テオの声が、崩れた建物の間を走った。
エナは迷わず身を沈めた。
白い光が壁を打つ。
石が弾け、頭上を破片が飛ぶ。
小型機が、声のした方へ向きを変えた。
テオは瓦礫から身を乗り出し、弓を構えた。
左手の柱から、錆びた金属板が垂れ下がっている。
矢を放つ。
留め具が外れ、金属板が地面へ落ちた。
甲高い音が響く。
小型機がそちらへ向く。
空の悪魔の下部に並ぶ板も動いた。
「エナ、壁に沿って右へ進め。走るな」
エナが身を低くしたまま移動する。
五歩ほど先には、リツが見つけた細い通路の出口がある。
「そこで止まれ」
エナが壁へ身体を寄せる。
テオは塞がれた入口へ声を落とした。
「リツ。右へ分かれる通路から出ろ。エナが近くにいる」
「あなたは」
「悪魔を見ている。エナを中へ入れろ」
板の向こうで、荷を外す音がした。
足音が遠ざかる。
右側の亀裂から、リツの手が現れた。
続いて頭と肩が出る。
「エナ」
「ここです」
「まだ動くな」
テオが言った。
空の悪魔が、ゆっくりとこちらへ戻り始めている。
地上では、回収機が損傷した四本脚の悪魔を持ち上げた。
金属の脚がぶつかり、大きな音を立てる。
空の悪魔がそちらを向く。
「今だ」
リツがエナの腕を取り、壁沿いに細い通路へ戻る。
エナを先に入れ、続いて自分も身体を滑り込ませた。
「入りました」
残るのはテオだけだった。
小型機が、落ちた板から身体を起こす。
空の悪魔も、再びこちらへ向きを変え始めている。
細い通路まで十歩。
テオは荷の肩紐を外し、弓ごと抱えて走った。
五歩。
背後で短い音が鳴る。
振り返らない。
亀裂の前へ滑り込み、荷と弓を暗がりへ押し込む。
内側からリツが受け取った。
続けて両腕を入れる。
リツが手首をつかむ。
テオは地面を蹴った。
身体が通路へ滑り込む。
直後、外で白い光が走った。
亀裂の縁が砕け、石と土が背中へ降りかかる。
リツがさらに腕を引く。
三人は暗い通路の奥へ倒れ込んだ。
*
外では、悪魔の音が続いている。
細い脚が地面を打つ音。石を動かす音。空を飛ぶものの低い振動。
それらは亀裂の近くまで来たが、中へは入ってこなかった。
「奥へ行く」
リツがエナの肩や腕を確かめる。
「怪我は」
「少し切っただけです」
こめかみから細く血が流れていた。
リツが布を取り出そうとする。
「ここでは止まるな。別の入口を探すかもしれない」
リツは布をエナへ渡した。
「押さえていてください」
三人は通路を進んだ。
やがて前方に、人の息遣いが重なる。
「リツ?」
「私です。エナとテオもいます」
張りつめていた空気が、わずかに緩んだ。
広くなった場所に、人々が身を寄せている。
子どもがエナを見つけ、立ち上がりかけた。
「血が出てる」
「少しだけです」
人々は、来たときのまとまりごとに互いを確かめた。
「四十人です」
エナが言う。
ダンがテオを見た。
「お前を入れて、四十一人だ」
「ああ」
一人も欠けていない。
「ここを出る。外へ出ても声を出すな」
*
通路は、崩れた建物の裏にある浅い窪みへ続いていた。
テオは出口の手前で身を伏せた。
空の悪魔は、遠くで円を描いている。
回収機は、損傷した四本脚の悪魔を運び始めていた。その周囲を小型機が歩き、落ちた部品を集めている。
人を追ってはいない。
テオが先に外へ出る。
一人ずつ窪みへ移し、金属の道を離れた。
人々の足取りは速くなかったが、誰も前の者から離れない。
リツは列の中央につき、エナは後ろを見た。
背後で短い音が鳴る。
何人かの肩が揺れたが、立ち止まる者はいなかった。
*
古い金属の道が見えなくなってからも、テオは歩みを止めなかった。
二つの斜面を越える。
悪魔の音が聞こえなくなってから、岩に囲まれた窪地で手を上げた。
「少し休む」
人々がその場へ座り込む。
荷を下ろすより先に横になる者もいた。
朝の水場で満たした水袋には、まだ余裕がある。
リツはエナを岩陰へ座らせた。
「傷を洗います」
布へ水を注ぎ、こめかみについた砂と血を拭う。
「少し切れています。深くはありません」
「痛くありません」
「そう言う人の言葉は、すぐには信じません」
エナがわずかに笑う。
「ダンにも言っていましたね」
「同じことを言う人が多いんです」
リツは新しい布を巻き、端をエナの髪の下へ収めた。
エナは礼を言う代わりに、リツの右手を取った。掌の付け根に、赤い擦り傷がある。
「あなたも怪我をしています」
「これは怪我に入りません」
「そう言う人の言葉は、すぐには信じないのでしょう」
リツは一瞬黙り、やがて小さく笑った。
「あとで洗います」
「今、洗ってください」
「分かりました」
リツはエナの隣へ腰を下ろした。
二人の肩が触れたが、どちらも離れなかった。そうして座ることの方が、二人には自然であるように見えた。
リツは自分の手についた砂を洗い、外套を脱いだ。
破れた袖から、黒いものが地面へ落ちた。
小さな部品だった。
悪魔の脚へ槍を突き入れたとき、布の間へ入り込んだらしい。
「触るな」
テオが言った。
リツは伸ばしかけた手を止める。
黒い外殻の内側に、細い銀色の輪が重なっていた。
一人の女が、少し離れたところから身を屈めた。
「浄化のときに預かるものと、似ています」
テオは女を見た。
「精霊へ捧げる供物と、よく似ています」
近くにいた者たちも、地面の部品へ目を向ける。
「悪魔が、精霊のものを奪ったのでしょうか」
誰かが言った。
エナはしばらく部品を見ていた。
「同じものを必要としているのかもしれません」
誰もすぐには答えなかった。
テオは布の端で部品を包み、人の休んでいる場所から離れた岩の上へ置いた。
「ここへ残す」
*
リツは水を飲んでから、テオのところへ来た。
「あの機体を止めたあと、回収する悪魔が来ました」
「ああ」
「見るところまで壊していたら、もっと時間を稼げたと思いますか」
「逆だ。損傷が大きければ、来るものも増えたかもしれない」
「何が来るか、分かっていたんですか」
「来る可能性を考えた」
リツは、自分の手を見た。
槍は四本脚の悪魔のそばに残してきた。
「私は、目の前の一体しか見ていませんでした」
「目の前を見られる者も必要だ。お前が脚を止めなければ、全員を通路へ入れられなかった」
「でも、あなたが止めなければ、私は残っていました」
「ああ。次は、自分で戻れ」
リツは何か言い返しかけ、やめた。
「分かりました」
*
休息を終える前に、エナがテオのところへ来た。
こめかみに白い布が巻かれている。
「助けてくれて、ありがとうございました」
「お前がいなければ、四十人を塔まで動かせない」
「そうですね」
「なら、礼を言う必要はない」
「必要があったから助けた人には、礼を言ってはいけないのですか」
「そうは言っていない」
「では、受け取ってください」
テオは返事をしなかった。
エナも答えを待たず、人々のところへ戻った。
「出るぞ」
休息は長く取らなかった。
*
一行は再び北へ進んだ。
古い金属の道は、もう見えない。
午後の光の中を、低い草が同じ方向へ揺れている。
ひび割れた白い地面を越え、緩やかな尾根を二つ越えた。
途中で、朝に満たした水を少しずつ飲んだ。ダンは水袋を持たなかったが、減った量を確かめ、次に渡す袋を決めた。
日が傾く頃には、悪魔の領域は斜面の向こうへ遠ざかっていた。
テオは、岩が折り重なった浅い窪地を選んだ。
風を避けられ、周囲も見渡せる。
人々が荷を下ろす。
火は小さく、食事も乾いたものだけだった。
話し声は戻っていたが、歌う者はいなかった。
テオは火から離れ、夜の斜面を見た。
七日目までは生かしておく。
それだけのはずだった。
だが、悪魔がエナへ向いたとき、テオは考えてから声を出したのではなかった。
「伏せろ」とだけ叫ぶこともできた。
先に口から出たのは、エナの名だった。




