DAY 5-1 まだ乾いた河床
音が変わった。
テオは目を開けた。
夜のあいだ低く続いていた響きに、硬いものがぶつかる音が混じっている。
一度。
少し間を置いて、また鳴った。
テオは外套を払い、建物の入口へ出た。
空は白み始めていた。雨は止み、東へ流れる雲の隙間から薄い光が差している。
斜面の下には、旧い河床が横たわっていた。
昨夜まで何もなかった底を、細い水が走っている。中央の溝に沿い、黒い線のように曲がっていた。
まだ川と呼べるほどではない。
だが、その水が立てる音より、上流から届く響きの方が大きかった。
テオは建物へ戻った。
「起きろ」
壁際で眠っていた者たちが顔を上げた。
「昨夜分けた荷だけ持て。残りはここへ置く」
リツはすでに短槍を手にしていた。
「水が来たのですか」
「見え始めた」
リツはすぐに奥へ向かった。
「皆さん、起きてください」
眠る者の肩へ手が触れ、残った火へ土がかけられる。
水袋。食料。薬。縄。火種。
昨夜決めた者が、それぞれの荷を受け取った。
大きな袋を開く者はいない。人々は傍らに置いていた小さな包みを取り、腰や肩へ結んでいった。
供物を運んでいた女は、小さな布へ移した金属片を確かめ、白い紐を結び直した。それを胸元へ入れ、残していく荷へ一度だけ手を置いた。
エナも布包みを腰へ結んでいた。
中には、二枚の薄い札が重ねてある。
紐を引くと、包みが少し下がった。
リツが近づき、結び目へ手を伸ばす。
「緩んでる」
「自分で直せます」
「河床の途中では直せないよ」
エナは手を離した。
リツが紐を腰へ回し、二重に結ぶ。
「きつくない?」
「大丈夫です」
「なら、触らないで」
エナは包みを見下ろし、頷いた。
「食事は石壁の側へ渡ってからだ」
テオが言った。
「水だけ飲め。止まるな」
ダンは四つの水袋を並べていた。布を巻いた手で袋の口を押し、持つ者へ渡していく。
「一つは先頭。二つは中央。最後は担架の後ろだ」
「転んだらどうする」
「袋を抱え込むな。身体を立て直せ」
ダンは少し間を置いた。
「流されるなら、離せ」
水袋を受け取った者が頷いた。
セラの担架も持ち上げられた。
左足は昨夜と変わらず、力が入らない。
それでも、セラは自分で外套を胸元へ寄せ、担架の端を握った。
「揺れるぞ」
前を持つ男が言う。
「昨日よりは慣れたよ」
「軽くなったわけではありません」
「それは残念だね」
担架を持つ者たちが、わずかに口元を緩めた。
外へ出ると、冷えた空気が濡れた衣服の隙間へ入った。
建物から河床へ下りる斜面には、夜の雨がいくつもの溝を作っている。足を置くたびに、柔らかい土が靴の周りで沈んだ。
「前の足跡を使ってください。担架の前を空けて」
リツの声が列を下りていく。
人々は一列になった。滑った者へ後ろの手が伸び、子どもの包みが岩へ当たりそうになると、隣の大人が肩を引いた。
テオは先に河床へ入った。
まだ大半は乾いている。
白い石の間を雨水が細く走り、中央の溝へ集まっていた。地面から突き出した金属や、土に埋もれた板も見えている。
テオは長い枝を拾い、溝へ差し入れた。
深さは足首にも届かない。
だが、枝を持つ手が下流へ引かれた。
「どのくらいある」
後ろからダンの声がした。
「まだ浅い」
「まだ、か」
ダンは河床へ下り、流れの縁を見た。
水と乾いた砂の境で、細かな粒が浮き上がっている。
「押されている」
「上から流れてきただけではないのか」
「それなら、端の砂は戻る。これは前へ吸われ続けている」
上流で石が転がった。
先ほどより近い。
「増えるか」
「ああ。止まる水ではない」
リツが担架とともに追いついた。
「渡れますか」
「いまなら」
「水が引くまで待ちますか」
「いつ引くか分からない。上で降り続けていれば、一日では済まない」
テオは建物の方を見た。
「ここに残れば、水と食料を使う。その間、セラを塔へ運ぶこともできない」
リツも上流へ目を向けた。
「夜のうちに動かす方が危険でした」
「分かっている」
「では、間に合わせましょう」
慰める声ではなかった。
河床の幅は百歩ほどある。石壁側の斜面には古い金属の柱が突き出していた。
縄を固定できる。
テオは救助縄を肩から外した。
「俺が石壁側へ渡る。四人ずつ出せ。最初は縄を支えられる者。そのあとにセラと子どもだ」
「担架の横には私がつきます」
「ああ。エナは担架の後ろから渡れ。石壁側へ着いたら、上がってくる者を手伝え」
エナが頷いた。
テオは縄の一端を腰へ巻き、残りをリツへ渡した。
「手を上げたら送れ。張りすぎるな」
リツは建物側の河床から突き出していた金属へ縄を一度回し、余りを腰へ取った。
「あなたが転んだら」
「余分を出せ。止めるな」
テオは河床を渡り始めた。
乾いた石を選び、中央へ進む。
溝へ片足を入れると、冷たさが靴を抜けた。水は浅い。だが、石の間を流れる砂が足裏をずらす。
一歩ずつ重さを移す。
縄が腰を引いた。
片手を上げる。
リツが送り出す。
張りが緩み、テオは溝を越えた。
その先は、まだ乾いていた。
石壁側へ着くと、金属の柱へ縄を二度巻いた。根元を蹴り、身体を預ける。
動かない。
「送れ」
最初の者たちが河床へ入った。
中央の流れで一人が膝をついたが、前後の者に支えられ、立ち直った。
二組が渡った。
そのあいだにも水は幅を増し、白い石を一つずつ消していた。
「担架を送れ」
セラの担架が河床へ入った。
前後を二人ずつで持ち、リツが脇につく。その後ろに子どもたちが続き、エナは最後の一人のそばにいた。
乾いた場所では、四人の足がそろっていた。
中央の流れへ近づいたところで、後ろの男の歩幅が乱れた。
「右へ寄りすぎています」
リツが言った。
男が足を戻そうとする。
動かなかった。
「待ってくれ」
担架が止まる。
「止まるな」
テオの声が石壁側から届いた。
「足が挟まった」
その声の終わりを、石の転がる音が消した。
上流から流れてきた石が河床を跳ね、中央の水へ落ちた。
水が高く弾ける。
「担架を下ろす」
前の男が腰を落としかけた。
「待って。そのまま支えて!」
リツは短槍の柄を担架の下へ入れ、肩で押し上げた。
担架が傾く。
セラの身体が横へずれ、外套の端が水へ触れた。
エナが前へ出る。
「来ないで」
リツは振り向かなかった。
後ろの男は、片足を石の間に残したまま担架を持ち上げている。腕が震えていた。
「足は抜けるか」
テオが尋ねる。
「分からない」
短槍が軋んだ。
上流で、長い音がした。
石が一つ転がる音ではない。
テオは河床の曲がり目を見た。
茶色い水が低い場所を埋め、横へ広がってくる。枝を押し、白い石を一つずつ消していた。
「リツ、急がせろ」
「担架があります」
「持ち上げたまま進め」
「この足場では走れません」
次の水が、リツの脚へぶつかった。
短槍の先が河床を離れる。
リツの身体が傾く。
「リツ!」
エナが手を伸ばした。
石壁の下では、先に渡った者たちが担架を待っている。
建物側には、まだ三十人近くが残っていた。




