第8話『讃岐富士の巨人と、しなやかなうどん』後編
護さんは感心したように頷き、自らの足をトントンと地面に打ち付けた。
「あれはな、暴れてるんやない。――『うどん玉』をこねとる動きや」
「う、うどん玉を……? なぜ足で?」
「こむぎちゃんは東京モンやから知らんのも無理はないが、その昔はな、香川のどこの家庭でも、うどん玉を作ったらそれをゴザやビニールに包んで、家族総出で『足で踏んで』こねて鍛えとったもんなんや。手の力だけじゃ、あの讃岐うどんの強烈なコシは生まれんからな」
「なるほど……。でも、オジョモさんの足元にはうどん玉なんて一切ありませんよ? あるのは泥と畑だけです」
「それや。やから、これ以上畑を滅茶苦茶にされる前に、オジョモさんに直接理由を聞くしかないな」
私たちは巻き上がる砂埃と、地鳴りのような地動に耐えながら、オジョモさんの巨大な足元へと命がけで近づいていった。護さんは両手を口の前に当てて、空を突く巨体に向けて大声を張り上げる。
「おーーーい! オジョモのじいさん! なんでそんなところで、何もないのにうどん玉を踏みよんやーーー!!」
護さんの声が届いたのか、巨人の動きがピタリと止まった。
雲の上にある巨大な頭がゆっくりとこちらを見下ろし、雷鳴のような低い声が響く。
『グロロロロロ……。おぉ、お前は……麺場家の……』
「そうや! 現当主の麺場護と、助手の清水こむぎちゃんや! オジョモのじいさんや、なんでこんなことしよんや。地響きでみんな大迷惑しとるで!」
『グロロロロ……。麺場よ……。じゃが、ワシはこうせずにはいられんのじゃ……。最近、この飯山地区にあった古き良き『うどん屋』や『製麺所』が、後継者不足や時代の波でどんどん無くなっていきよる……。うどんを、伝統の足踏みで作るもんが減ってしもうたんや……!』
巨人の瞳から、大粒の涙が雨のようにぽつぽつと地面に滴り落ちる。
『やから……やから、うどんの神聖な巨人であるワシが、自らうどんを作って、この飯山をもう一度盛り上げないかんのじゃ……! ワシが踏まねば、伝統のコシが消えてしまう……!』
「気持ちは痛いほど分かる、じいさん!」
護さんは胸を強く叩き、悲痛な声をあげた。
「やけどな、じいさん! 小麦の畑をそのまま素足で踏み荒らしたとて、うどん玉は絶対に作れん! このままじゃ、お前が愛したこの飯山の地に実る、宝物のような小麦『さぬきの夢2000』の畑がすべて死んでしまうぞ!!」
護さんの叫びが、飯山の青空に響き渡った。
うどんを愛するがゆえに暴走してしまった孤独な巨人と、それを止めるために叫ぶ護さん。二人のうどん愛が真っ向から衝突していた――。
『グロロロロ……! グロロロロ……!』
こちらの叫びも虚しく、オジョモさんは完全に暴走の濁流に呑まれ、狂ったように足踏みを再開しようとしていた。
「いかん、じいさん完全にボケて頭に血が上ってもうとるな。ったく、あんな規格外にデカいもん股の間にぶら下げといて、オツムのサイズはこんまいん《ちいさい》やから困ったもんや。……こうなったら強硬手段や。こむぎちゃん、さっきの『むらなかうどん』の、あの茹でたてのしなやかな生麺を、玉のまま大急ぎで持ってきてくれるか!」
「えっ!? でも、あんな超巨大なオジョモさんに、うどんをぶつけたって効かないんじゃ……!?」
「ええから急げ! 俺にええ考えがあるんや!」
「わ、分かりましたっ!」
私はむらなかうどんの厨房へと走り、大将にお願いしてまだダシをかける前の、湯気が立つ瑞々しい生麺をいくつか分けてもらい、護さんのもとへと全力で投げ渡した。
護さんはその麺を受け取るやいなや、驚くべき手際の良さで一本一本の麺を複雑に編み込み始めた。水分と塩分を完璧に含んだ讃岐の麺は、編み込まれることで鎖のような異常な強度へと変貌していく。
一分も経たぬうちに出来上がったのは、しなやかに風にそよぐ二本の『双鞭』だった。
「よし、出来たで。これぞ麺場家一子相伝――『泰山流双うどん鞭』や!」
「なんか、世紀末の獄長が言いそうな物騒な名前ですね!? というか、護さん……うどんって、本当に何にでもなるんですね……」
「そうや。無限の可能性を秘めとる。やからこそ、これだけ香川にうどん屋があっても、どれ一つとして同じ味、同じ形の店はないんや」
「な、なるほど……深い、のかな……」
「オジョモのじいさんが、靴を履いてない裸足のままでよかった。行くぞじいさん! ええ加減に目を覚ませーーーっ!!」
護さんは双うどん鞭を頭上で凄まじい速度で旋回させ、オジョモさんの巨大な足首に向けて、電光石火の速度で打ち下ろした。
バシィィィッ!!! ズバァァァンッ!!!
しなやかな麺の鞭が巨人の皮膚に快音を響かせ、強烈な霊力の衝撃波がオジョモの脳天へと駆け上がる。
『グロロロロォォォーーーッ!? こ、この、肌に吸い付くようなしなやかな感触……! この奥底から押し返してくる、優しくも強靭な反発力……これぞ、極上のコシ……!』
うどんの「本物のコシ」を肌で直接叩き込まれたことで、オジョモさんの強張った表情がやがて穏やかになっていく。
「そうや、じいさん! 確かに飯山町のうどん屋は、昔に比べて減少傾向にあるかもしれん。……だがな! 今でもこの『むらなかうどん』は健在やし、ここからちょっと車を走らせれば、機械を一切使わん純手打ちで毎日最高の麺を出しとる『純手打ちうどん よっしゃ!』みたいな、若い世代の熱い名店も出来とる! 香川のコシは、絶対に絶滅なんかせん! だから頼む、大人しく山へ帰ってくれ!」
『グ……グムー!! そうであったか……ワシの早合点であったな……。よかろう、麺場家に免じて、この地の未来のうどんはすべて貴様に託したぞ、現当主よ……』
大巨人は満足したように深く頷くと、周囲を包んでいた土煙の中に溶け込むようにして、再び静かに讃岐富士・飯野山の影へと帰っていった。
激しい地鳴りが収まり、飯山町にのどかな鳥のさえずりが戻ってくる。
「はぁ……終わった……。護さん、オジョモさんに香川の未来をめちゃくちゃ重く託されちゃいましたけど、本当に大丈夫なんですか?」
私が安堵しながら訊ねると、護さんは編み込んだうどん鞭を静かに解き、前方の飯野山を堂々と見つめた。
「あぁ。俺の名前は、麺場護。うどんの『場』を『護る』と書いて、まもるや。この名前に誓って、讃岐のうどん文化とコシは、何があっても俺が最後まで守り抜いていくんや!」
山頂から吹き抜ける穏やかな風に、護さんのその背中がいつになく、世界で一番頼もしく思えたのだった。




