第7話『讃岐富士の巨人と、しなやかなうどん』前編
そばくい狸との激闘から明けた、翌る日。
私たちは香川県警からの不穏な緊急連絡を受けて、丸亀市飯山町へと向かっていた。
「護さん、昨日の今日ですけど、今回は一体どんな怪異が現れたんですか?」
助手席からおそるおそる訊ねると、護さんはいつになく厳しい、真剣な眼差しでフロントガラスの先を睨みつけていた。
「今日の怪異は、今までとはスケールが違う。手強いどころの話やないかもしれん。こむぎちゃん、一瞬でも気を抜いたらいかんで」
「……っ」
その重苦しい言葉に、私は生唾を飲み込んだ。いよいよ、うどん皇子の復活に伴う大物が動き出したのだろうか? 緊張で心臓の鼓動が速くなる。
軽トラは土器川沿いののどかな堤防道路を猛スピードで走り抜け、田んぼの真ん中にある、ある一軒のうどん屋の駐車場へと滑り込んだ。
「……って、護さん! またうどん屋さんじゃないですかーっ!」
思わずシートを叩いて叫ぶ私に、護さんは大真面目な顔でエンジンを切った。
「アホか。戦う前から勝負は始まっとる。まずは腹ごしらえせな、怪異祓いの霊力も練られんわ」
お店の名前は『むらなかうどん』。
元々は純粋な製麺所だったらしく、かつては訪れた客が自ら裏の畑に行ってネギを引っこ抜き、自分で刻んで麺に乗せるという、前代未聞のスタイルで全国に名を馳せた伝説の名店だ。映画のモデルにもなり、全国のうどんブームを巻き起こした聖地でもある。
「護さん。私、東京にいた頃は、うどんなんて日本全国どの店で食べても大して変わらないと思ってましたよ」
「まぁ、東京モンはそう思うかもな」
護さんは自分でダシをかけながら、優しく目を細めた。
「うどんの材料なんて、極論を言えば小麦粉と水と塩、それに醤油とイリコだけや。基本はどこも一緒。でもな、同じ材料でも、使う醤油が違えば味が変わり、イリコの獲れた海が違えば風味も変わる。そして何より、うどんはその店の職人が手打ちせんと、その店の味には絶対にならんのや。うどんは生きてるんやからな」
「へぇ、なるほど……職人さんの魂、ですね」
私も器を受け取り、黄金色のダシと麺を口に運ぶ。
「――って、これまた美味しいっ! コシがしっかりあるのに、なんてしなやかな喉ごし……絶品ですね! ……あ、あれ? 護さん、それ何食べてるんですか?」
隣を見ると、護さんはダシではなく、白濁した熱々の湯気の中から引き揚げたばかりの麺に、生卵を勢いよく絡めていた。余熱で卵が絶妙に固まり、麺全体がトロリとした美しい黄金色に染まっていく。
「これか? これはな、湯がきたての釜揚げ麺に生卵を絡め、特製の出汁醤油を回しかけて食う『釜玉うどん』や。ここは、その発祥の店とも呼ばれとる」
「なんですかそれ、めちゃくちゃ美味しそう! 見た目が完全に、カルボナーラみたいですね!」
私が目を輝かせると、護さんの箸がピタリと止まり、本日一番の鋭い視線が私を射抜いた。
「こむぎちゃん。讃岐うどんに対して『カルボナーラ』は絶対禁句や。これはディス・イズ・釜玉うどん! 唯一無二、オンリーワンの存在や! 覚えとこか!」
「は、はぁ……すみません……」
その時だった。
ズーーーーン……!! ズーーーーン……!!
天地を揺るがすような、凄まじい地鳴りが辺り一帯に響き渡った。
「ひゃああっ!? 護さん、地震ですか!? むらなかうどんの建物がもの凄く揺れてるんですけど!」
「いや、違う。地震やない。これこそが今回の依頼、本物の怪異や。こむぎちゃん、店の外に出て、あれを見てみぃ!」
護さんに促され、器を持ったまま慌てて店の外へ飛び出し、周囲を見渡す。
田園風景の向こうには、青空を背景に、ぽつんと美しくそびえ立つ大きな山があった。
「え……? あれって富士山? 護さん、香川県に富士山なんてありましたっけ?」
「そや。あれこそが通称『讃岐富士』。正式名称、飯野山や!」
「そこ、わざわざ富士って付けるんですね。さっきの『オンリーワンの精神』はどこに消えちゃったんですか……」
私が呆れたような懐疑的な視線を向けていた、その瞬間だ。
飯野山のなだらかな頂上から、ぐにゃりと歪んだ黒い雲のようなものが立ち上り、そこから巨大な『人間の手』が、にょきっと生えてきたのだ。いや、生えたというよりは、山の影から現れたという方が正しい。
「出てきたな。……あれが讃岐の伝説の巨人、『オジョモさん』や」
飯野山の影にしゃがんで隠れていたその影が、地響きを立てながらゆっくりと立ち上がっていく。
完全に立ち上がったその怪異は、なんと標高四百メートルを超える飯野山の、さらに倍はあろうかという、雲を突くほどの超巨大な大巨人だったのだ!
「な、なな、なんという大きさですか! あんなのが暴れたら飯山町なんてひとたまりもありませんよ!」
私は持っていたむらなかうどんの丼を落としそうになりながら叫んだ。標高四百メートルの山を遥かに見下ろす上半身裸で腰布をまとっている巨人の姿は、まさに絶望そのものだ。
「確かにオジョモさんはデカい。だがなこむぎちゃん、ただデカいだけやないんや。こっち来て、ホラあれよう見てみぃ」
「え? どこですか?」
護さんが真顔で指差す先を、私は必死に目を凝らしてよく見てみる。しかし、一体何を指しているのかさっぱり分からなかった。
「ほら、アレやあれ。股の間にでっかいもんぶらぶらぶら下げとるやろ。アレもまた規格外にデカいで。わはははは!」
「……護さん。今すぐそれ、セクハラで県警に通報していいですか」
「すまんすまん……」
護さんは頭を掻きながら、すぐにプロの怪異祓いの顔に戻った。
「まぁ冗談はさておき、県警の依頼では『オジョモさんが田畑を荒らし回っとる』ちゅう話や。元々は讃岐富士に大人しく引きこもっとる、穏やかな神聖な巨人のはず。そのオジョモさんが、なぜこんな暴挙に出とるんや……」
その時、オジョモさんが両足を交互に力強くドスン、ドスンとバタつかせ、まるで駄々っ子のように地団駄を踏み鳴らし始めた。
ズシィィィン!!! ズシィィィン!!!
その凄まじい衝撃波が飯山町を駆け抜け、周囲のビニールハウスや民家がガタガタと激しく激震する。
「ま、護さん! これじゃあ怪我人が出るどころか街が崩壊しちゃいますよ! 何とかして止めてください!」
「あぁ、だけどな、あの巨体には今までの冷凍うどんの打撃も、つるもち麺跳弾も通用せん。まずはオジョモさんが、なぜあんな風に暴れとるんか、その根本的な原因を調べないかん」
それからしばらく、私たちは物陰から巨人の様子を観察した。
オジョモさんは数分間激しく地団駄を踏んでは、ふぅとため息をついて少し休憩をし、また時間が経つとドスンドスンと地団駄を踏んでは休憩をする、という行動を何度も繰り返していた。
「ねぇ、護さん。あの動き……なんだか暴れているというよりは、一定のリズムがあって機械的な気がするんですけど」
「さすがやな、こむぎちゃん。よう気づいた」
私の顔を見ると、護さんはニヤリと笑った。




