第2話『うどんのコシは、命のコシ』後編
辿り着いたのは山麓の街、鬼無町。
ここは古くから、あの『桃太郎伝説』の舞台として知られる風情ある町だ。しかし、緊迫した空気はまだ解けない。
「こむぎちゃん。……まずは腹ごしらえや」
護さんが大真面目な顔で、そう言った。
「はぁ!? さっき『やわら』で大盛り食べたばっかりですよね!?」
思わず大声をあげる私に、護さんは人差し指を突きつけて一喝した。
「アホか! うどんは飲み物や! 名店あらばすするのみや!」
そう言って護さんが軽トラを滑り込ませたのは、鬼無の隠れた名店『タテクラうどん』。
創業百年以上という気が遠くなるほどの歴史を持ち、江戸時代の長屋を改装したという建物は、瓦屋根から柱の一本一本に至るまで、ため息が出るほど趣がある。
「護さん、もう我慢できません。詳しく教えてくださいよ。さっきの白峰寺で、一体何があったんですか?」
席に着くなり詰め寄る私に、護さんはお冷やを一口飲んだ。
「こむぎちゃん、まずはうどんをすすってからや。話はそれからや」
お盆を取り、私はかけうどんを注文し、小皿に天ぷらを一つ乗せた。
「って、護さん、何食べてるんですかそれ!? ずいぶん変わったうどんですね」
護さんの目の前にある器には、香ばしく炙られたジューシーなチャーシューと、たっぷりのネギ、そして特製の葱油がキラキラと黄金色に輝いている。
「これはここの名物、『鳥チャーシュー葱油炙りうどん』や」
「なんですかそれ、めちゃくちゃ美味しそうじゃないですか! 護さん、私にも一口くださいよ」
私が我慢できずに箸を伸ばした瞬間――。
パシィィン!
「痛っ!?」
護さんは冷酷な速度で私の箸を弾き飛ばした。その目はいつになく真剣だ。
「アホか! 讃岐うどんはな、シェア禁止や! 食いたかったら自分の分を頼まんかい!」
「ちぇー……」
私は大人しく自分の『かけうどん』を口に運んだ。麺を一本すすった瞬間に衝撃が走る。モチモチとした極上の食感と、奥深いダシの旨味。あまりの美味しさに箸が止まらず、さっき『やわら』で食べたばかりだというのに、あっという間に完食してしまった。
「ふぅ……ごちそうさまでした。やっぱり美味しいですね」
「何をしとるんや! まだ麺が残っとるやろ!」
器を置いた私に、護さんがすかさず一喝を入れる。
「え? いや、もう箸でも掴めないくらいの細かい切れ端しか残ってませんよ?」
「アホか。お前は『ぴっぴの呪い』を知らんからそんなことが言えるんや」
「何ですか、その可愛い名前の呪い……」
護さんは『鳥チャー』を綺麗に汁まで飲み干すと、お箸を置いて私を真っ直ぐに見つめた。
「そやな、白峰寺のこともある。こむぎちゃんにも、そろそろ真実を教えたらんとな。――時は昔、江戸時代のお話や」
護さんの声が、長屋の古い木天井に低く響く。
「その時代、うどんは日本全国の庶民の味として、至る所で親しまれていた。そして日本を統治していたのは、代々うどんを愛する『うどん天皇家』。時の天皇には、二人の皇子がおられた。兄の『うどん皇子』と、弟の『そば皇子』や」
「そば皇子……」
「ある日、次男のそば皇子が、蕎麦粉を使った新しい麺類の開発に成功した。それが『蕎麦』や。しかし、うどんほどのコシがないその麺は、最初は軟弱者とされてすぐには受け入れられんかった。兄のうどん皇子も、蕎麦のコシの無さを随分と馬鹿にしたそうや」
護さんの拳が、ぎゅっと握られる。
「悔しがったそば皇子は、蕎麦粉の配合を改良し、食感を劇的に向上させた。だが、それでもまだ庶民に深く根付くほどやなかった。……そんな時や。江戸の町全体に、原因不明の恐ろしい流行り病が蔓延した」
「流行り病……なんか歴史で習いましたね。それが何か?」
「その病に、そば皇子の作った『蕎麦』が劇的に効くという噂が流れたんや。これで江戸の町では、うどんと蕎麦の地位が一夜にして大逆転した。勢力を得たそば皇子の手により、兄であるうどん皇子は、この四国・讃岐の国へと無念の幽閉をされることになったんや」
ゴクリ、と私は唾を飲み込んだ。歴史の裏に隠された、麺類の血生臭い闘争。
「うどん皇子の怒りと恨みは、ただちに讃岐全土の霊脈を狂わせた。それ以来、ここ讃岐は多くの怪異がうごめく地へと変貌してしもうた。……そして、その怨念から湧き出る怪異たちを、代々お祓いして鎮めてきた家系が、ウチ――『麺場家』や」
「それ……おとぎ話じゃなくて本当の話なんですか?」
「本当や。ところがさっき白峰寺で見た通り、うどん皇子の怨念を封印し、讃岐の地を清めていた『清めのうどん麺棒』が何者かに盗まれとった。……これが、恐ろしい事態の始まりやなければええんやがな」
「そんな……じゃあ、ニュースの牛鬼も、その麺棒が盗まれたせいで……」
背筋が凍りつくのを感じながら、私たちは『タテヨコうどん』の店の外に出た。
どこか重苦しい空気が漂う中、駐車場の向こうから、一人の警察官が不自然な千鳥足でこちらに近づいてくる。五色台にいた警官の制服だ。
「あの、警察の人が来ましたよ……?」
私が声をかけようとした、その瞬間。
「けけけ……けけけけけけ!!!」
警官の口が、耳の裂けるような不気味な角度に歪んだ。その瞳は完全に血走っており、人間のものとは思えない濁った声が響き渡る。
「麺場護ぅぅ! 貴様を、逮捕するぅぅぅ! けけけ! けけけーっ!!」
「な、何ですか!? 護さん、なぜ私たちが警察に!?」
恐怖で叫ぶ私を背中に庇いながら、護さんは慌てる風もなく、不敵にニヤリと微笑んだ。




