第21話『神の啓示と、最後の麺棒』前編
「うわぁ……!」
思わず、私の口から感嘆の声が漏れた。
目の前に広がっているのは、広大な敷地の中に重厚なオーラをまとって佇む境内。東京生まれの私でも知っている、あの弘法大師空海が誕生したとされる地――総本山善通寺だ。
オカルト好きの血が騒ぐどころか、その圧倒的なスケール感にただただ息を呑む。
「分かるで。俺もな、ここに来たらやっぱり背筋が伸びるような感じになるんや」
護さんがいつも通りの渋い声で呟く。
弘法大師の御誕生所である『西院』、そして私たちを見下ろすように聳え立つ『東院』の五重塔。まるで参拝者を圧倒するような歴史の重みが、そこには確かに存在していた。
「建物も凄いですけど、この木々もなかなかの迫力ですね……!」
あちらこちらに堂々と聳え立つ松の木は、これまでの人生で見たこともないほどの巨木ばかりだ。
讃岐の青空に向かって力強く伸ばされた枝葉からは、霊能力ゼロの私でさえ、ゾクゾクするほどとてつもないエネルギーを感じてしまう。
「すぅーっ……」
護さんがいつものスーツ姿のまま、深く息を吸い込んで天に向かって両手を広げた。
――あ、霊脈や龍脈から力を引き出す、いつもの鍛錬が始まる。
ゴクリと生唾を飲み込んで見守った、その時だった。
「……ふぅ」
護さんはすぐに短いため息を吐き、すっと両手を下ろしてしまった。
また、あの顔だ。
いつもどこか陰のある、自分の才能に自信が持てない時の、ひどく浮かない顔。
「護……さん?」
心配になって声をかけてみるけれど、護さんは俯いたまま、使い古されたボロボロのフェドラハットの庇で視線を隠し、目を合わせようとしてくれない。
龍脈のパワーを前にして、また「自分には霊力が上がらない」って落ち込んでるんだ。本当はめちゃくちゃ強いのに……!
「そ、そういえば! 今回は最後の『清めの麺棒』を探しに来たんですよね? もしかして、あの大きな松の木がそうなんですか?」
私は重くなりかけた空気を変えたくて、努めて明るい声を張り上げた。
「あ、いや……すまんな、こむぎちゃん。最後の麺棒はヒノキの木なんや」
「ヒノキ? あ、じゃあ、あそこにある木ですか!?」
私が勢いよく指差したのは、五重塔のすぐ手前に聳え立つ、文字通りの超巨木だ。
太い幹にはがっしりと神聖なしめ縄が巻かれ、天を覆い尽くすように広がる枝葉は、見上げるだけで首が痛くなるほど。
「いかにもお宝が眠ってそうな神木ですね!」
思わず拝むように両手を合わせる私を見て、護さんは少しだけ表情を緩め、静かに首を振った。
「確かにあの木が持つエネルギーは凄まじい。せやけど、あれは大きな『大楠』と言ってな、今回の目的のヒノキとは違うんや」
「えっ、違うんですか!?」
「それでも香川県の天然記念物に指定されとる特別な巨木や。この善通寺の象徴でもあるんやけどな」
「うーん、じゃあヒノキはどこにあるんだろう……」
あらためて辺りを見回してみるけれど、視界に入るのは立派な松の木ばかりで、それらしいヒノキの木は見当たらない。
「すまんな、ここ(伽藍)にはないんや。ちょっと寄り道になってしもうたけど、善通寺の敷地内には間違いない。……ただ、そこへ向かう前に、やっぱりここには寄らんとな」
「じゃあ、これからそのヒノキがある場所へ移動する感じですか?」
「うむ。それもええんやけど……」
護さんは愛用のハットのツバをくいっと持ち上げると、お腹に手を当てて、大真面目な顔で言った。
「やっぱり、まずは腹ごしらえやな」
「……ですよねー!」
◇◇◇
護さんの運転する軽トラに揺られること数分。県道沿いにあるお目当ての店にたどり着いた。
お店の名前は『釜揚げうどん長野』。
護さんいわく、香川県でも屈指……いや、日本一と称されるほど高名な釜揚げうどんの超名店らしい。
暖簾をくぐって店内に入った瞬間、むわっとした熱気と一緒に、濃厚で芳醇なイリコのいい香りが体中を包み込んだ。これだけでもう、絶対に美味しいと確信できる。
「へぇ……! ここもメニューは本当に『釜揚げ』と『冷やし』しかないんですね」
「あぁ。それだけ自分の釜揚げに、絶対の自信を持っとる店っちゅうことやな」
注文を済ませてお会計を終えたあと、テーブル席でワクワクしながら待つ。
すると、私たちの元にうどんより先に、ずっしりと重そうな、かなり大きな陶器の徳利が運ばれてきた。
え、お酒……? じゃなくて、触るとめちゃくちゃ熱い!
「こむぎちゃん、火傷せんようにな。この徳利には、人数分の温かいツケ出汁がなみなみと入れられとるんや。もし食べてる途中で出汁が薄くなったなと思たら、ここから自分でお猪口に継ぎ足していくシステムや」
「なるほど! じゃあ、この徳利に入ってるお宝みたいな出汁は、贅沢に使い切っちゃってもいいってことなんですね?」
「そういうことや。香川の贅を尽くした出汁を、思う存分味わうとええ」
少しして、ついに湯気を豪快に立ち上らせたうどんが運ばれてきた。 私はテーブルに備え付けのすりおろし生姜とネギをお猪口の出汁に投入し、待ちきれずに箸で麺を一本たぐり寄せ、勢いよく口に滑らせた。
――ツルツル、ッ!
「む、むむむ!? なんですかこれ! この信じられないモチモチ感と、ツルツルな喉ごしは……!」
「そうやろ」
護さんが、まるで自分のことのようにこれ以上ないほど誇らしげに胸を張る。
「ここのうどんはな、外側は湯がきたてならではのヌルッと優しい質感でありながら、内側にはしっかりとした、讃岐の生命線たる『コシ』が生きとるのが最大の特徴や」
「しかも、この出汁! イリコの旨味がぎゅうぎゅうに凝縮されてて、めちゃくちゃ美味しいです……!」
「フッ、そうやろ。甘すぎず、辛すぎず、絶妙な塩梅。しかもこのツケ出汁、徳利が用意されとるとは言え、何回うどんをくぐらせても全く味が濁らんのよ。器の中で、最初から最後まで最高の黄金比を保ち続ける。まさに究極のツケ出汁よ」
今度は護さんが、ふんっと鼻を鳴らしてハットのツバを傾けた。
完全に「うどん専門家」の顔だ。
「うどん一杯がこんなに奥深くて、感動するレベルなんて……。香川県、本当に恐るべしです……!」
「そうや。やから『恐るべきさぬきうどん』っちゅう伝説の本が発売されとるくらいやからな。たかがうどん、されどうどんやで」
お腹も心も大満足でうどんを食べ終えた私たちは、いつも通り「うどん玉」をお土産に持ち帰り、軽トラへと戻った。
さあ、いよいよ最後の麺棒が眠る、善通寺の目的地へ出発だ!




