第20話『三十六.五式の弾丸と、孤高の麺陽師』後編
紫雲山の麓に広がる広大な園内を歩いてすぐ、私たちはその目的の巨樹の前に辿り着いた。
「わあ……これ、凄く不思議な形をしているような……。木というより、巨大な生き物の足みたいです」
「あぁ、あれは『根上り樫』言うてな」
護さんはその異形の大木を見上げて腕を組んだ。
「元々そこにあった松の老木の上に、樫の種がポツリと落ちたんや。そこから樫は成長し、空洞化しとった松の木の中にむけて、地中へと根をどんどん伸ばしていった。やがて時が経ち、外側の松の木は寿命で枯れて朽ち果て、内側に残った樫の太い根っこだけが、こうして地上に剥き出しになって残った状態なんや。つまり、目に見えとるクネクネした幹のようなものは、全部樫の『根っこ』なんよ」
「自然の作った奇跡のコンビネーションですね。……でも護さん、これって……」
「さすがはこむぎちゃん、一瞬で気づいたか。そう、この根上り樫はな、香川県の天然記念物にもしっかりと認定されとる神聖な木や。当然、迂闊に傷をつけたり、枝を折って持って帰ることはできん」
「前回の天空の鳥居の桜よりも、かなり手に入れるハードルが上がりましたね……」
「そやな。しかも、今日はあいにくの晴天で、風も無い。雷に打たれるどころか、枝が揺れる様子すら無い。これでは『自然に折れて落ちた枝』を拾うなんて、相当厳しいやろうな……」
それから数時間、護さんは打開策を見つけるために、焦りを感じながら何度も何度もその場で霊力鍛錬を続けた。私はただ、その背中を静かに見守るしかなかった。
しかし、どこまで行っても空は雲一つない青空。そよ風すら吹かない無風の庭園で、天然記念物の枝が落ちてくる気配は微塵もなかった。
「こうやって考えても前に進まん時は……」
「……『すするしかない!』ですね?」
私たちは一度、栗林公園の東門を出て、大きな通りの反対側にあるうどん屋『下原屋本店』の暖簾をくぐった。
このお店は、うどんの超激戦区・香川の中でも『うどん百名店』に何度も選出されており、地元民からも観光客からも絶大な支持を受ける、高松を代表するセルフの名店だ。
「わぁ、揚げたての天ぷらが一杯並んでますね!」
「この店はな、他にはない『高野豆腐の天ぷら』が超人気メニューやで 。ダシをたっぷり吸った豆腐がサクサクの衣に包まれとって最高なんや。あとはな、ここの『コロッケ』は、そこらの専門の肉屋のコロッケより美味いって絶賛する香川県民がいっぱいおるんやぞ」
「うーん、どっちも美味しそう! ちなみに、うどんはどれが一番人気なんですか?」
「下原屋はな、元々は『湯だめ』や『釜上げ』が代名詞やったんやが、今は王道の『かけ』や、冷たいダシの『冷かけ』もそれに負けんくらい完成度が高いんや」
「じゃあ私は、温かいかけうどんと、お肉屋さん超えのコロッケにします!」
ここは完全セルフの店。どんぶりに入ったうどんを自分で湯切りする 。
「ええかこむぎちゃん、うどんは『湯切り』が命や! 湯を完璧に切らんと、ダシが薄まって台無しになってまうからな!」
「はいっ!」
私は護さんの指導のもと、真剣な顔で湯切りを済ませ、蛇口から黄金色のかけダシをなみなみと注いだ 。さらに、薬味コーナーへとトレイを滑らせる。
「あ、この薬味にある七味唐辛子、なんだか色が濃くて凄く辛そうですね……」
「おっと、気をつけろ。ここの自家製七味はな、山椒の風味がもの凄く強烈に効いとってな。普通の七味と同じ感覚でドバッとかけたら、辛さと痺れで本気で痛い目にあうで」
「って護さん、山椒が効くって自分で言っておきながら、めちゃくちゃ七味をかけてるじゃないですか! ……じゃあ、私もほんの少しだけ……」
私たちはトレイを持って席に座り、出来立ての温かいかけうどんを口へと運んだ。
「うわぁ……! 山椒のピリッとした刺激がかなり効いていて、イリコ出汁の風味が一気に引き立ちますね」
「そうやろ。俺もな、ここの七味が大好きで買って帰ったりするんやけど、不思議とこの下原屋のうどん以外に合わせても、あんまりしっくり来んのよな。完全にこの店のダシと麺のためだけに計算されとるバランスなんや」
「でも、かけすぎなくて本当に良かったです。少しの量でも結構辛くて、舌がピリピリしますよ」
「山椒はな、古くは『はじかみ』とも言うてな。噛むと辛さで顔を赤らめる(恥じらう)姿が語源という説もあるんや。……はじかむ、か……」
護さんはお箸を止め、器に浮かぶ七味の粒子をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「護さん? 急にどうしたんですか?」
「……恥を噛んで、偲んで。……よし、思い切って公園の緑地管理局に、直談判してみるか」
「ん? 恥を噛む? 一体どういうことですか?」
「天然記念物言うたってな、年中ずっと放置されとるわけやない。台風対策や育成のために、職人が定期的に『枝打ち』をするのが当たり前なんや。式年祭までもうあまり日にちもないし、プライドなんか捨てて、公園管理局に『自然に折れた枝か、剪定した枝を分けてくれませんか』って正式にお願いの書類を出してみるわ。どうせ勝手には持って帰れんのやからな」
うどんを汁まで綺麗に完食した後、私たちは栗林公園の敷地内にある、普段は一般客が立ち入れない緑地管理局のオフィスを訪ねた。
受付で護さんが恐るおそる名前を名乗ると、対応した年配の管理局員さんは一瞬で目を見開いた。
「ああ……! もしかして、麺場探偵事務所の麺場さんですか?」
驚く私たちを余所に、局員さんは「こちらへどうぞ」と、剪定済みの貴重な御神木の枝を厳重に管理している特設保管庫へと案内してくれた。目の前に広がるのは、丁寧にラベリングされた見事な樫の枝の数々。
「これ……全部、根上り樫の枝ですか? なんでこんなに綺麗に保管されてるんですか?」
私が訊ねると、局員さんは優しく微笑んで護さんの肩を叩いた。
「先代の麺場保様から、生前に直々にお願いされておりましてね。『二十五年後の式年祭のために、剪定した枝や自然に折れた折木の枝を、麺場家のために大切に保管しておいてくれ』と、多額の管理寄付金と一緒に託されていたのです。……どうぞ、お好きな枝をどれでもお持ち帰りください」
「……っ」
「よかったですね、護さん! お父様、世界で一番格好いい最強の怪異祓いだったんですよ!」
私が振り返ると護さんは、拳を握りしめたまま、静かに俯いて肩を小刻みに震わせていた。帽子の影で表情は見えないが、その目から大粒の涙が床へと滴り落ちる。
「そやな……。チッ、やっぱり親父には、一生かかっても勝てんな……」
護さんは涙を拭うと、保管されている樫の木の中から、ひときわ太くて真っ直ぐな、一本の枝を大切に手に取った。そして、その表面を手のひらで力強く叩く。
――カーン……、カーン……。
その枝はとても密度が高く、一切のブレがない、金属のように固くて芯のある音が静かな保管庫に響き渡った。
「……よし。これなら、皇子に認めてもらえる最強の麺棒が作れる。……二本目の素材『樫の木』、完璧にゲットや。次は最後のピース、『檜の木』を獲りに行くで!」
「はいっ!」
大戦争を止めるためのヒント。三本の清めの麺棒、残るはあと一本だ――。




