第18話『天空の鳥居と、天狗の葉団扇』後編
「ええな、こむぎちゃん。お前の役目は、あくまで俺の合図があった時に、あの袋に入った『山本の麺』を投げて渡すことだけや。それだけは絶対に、命に代えてもしっかり約束してくれるか?」
軽トラを降り、夕暮れ時の高屋神社の境内の前で、護さんはいつになく冷徹で真剣な目を私に向けていた。それだけ、この大天狗とのリベンジマッチは一歩間違えれば死に至る、本物の死闘になるということだろう。
「……はい、分かりました」
護さんが、静かに天空の鳥居を一歩くぐる。
私も背中に保冷バッグを背負い、気配を殺して鳥居の影から身体を半分だけ中に入れた。
『フォーーオッフォッフォ! お早いお出ましか、麺場家の若造よ。どうやら本気で、このワシに叩き潰されて死にたいようじゃな!』
巨木のてっぺんから、天狗が私たちの姿を見下ろして醜悪に鼻を鳴らした。
「天狗のじいさん、悪いけど俺らも秋の式年祭に向けて、お土産(桜の木)を持って帰らんといかんのでな。讃岐の歴史にゆかりのあるお前さんを力ずくで除霊するのは気が引けるが……真っ向勝負や!」
『フォーオッフォッフォ! ほざけ! 貴様ごとき人間に、除霊されるワシではないわぁっ!』
天狗が巨大な羽団扇を大上段に振り上げる。強烈な暴風が吹き荒れる、まさにその一瞬のタイミングを見計らって、護さんは焦げた右足の痛みを堪えて猛然とダッシュした。
一体、護さんは何を考えてるんだろう……!?
護さんは暴風の真っただ中を走り抜けると、境内にそびえ立つ、ひときわ太く頑丈な巨木の幹に自らの背中をピタリと預けた。
『これでも喰らえぃ!』
天狗が羽団扇を力任せに振り下ろし、山頂を削り取るほどの突風が護さんを襲う。しかし、背後の大木を盾にした護さんの身体は、風を受けても微動だにしなかった。
「どうや! これなら、どれだけお前の風を受けても、身体が飛ばされることもないわ!」
『グヌヌ……っ! 小賢しい真似を!』
風が通じないと見るや、天狗は忌々しげに顔を歪め、背中の錫杖へとそっと手を添えた。
「護さん! 雷が来ます!」
「分かっとる! すべて計算済みや! これをかわしたらこむぎちゃん頼むで!」
護さんはそう言うと、靴の裏をジリッと鳴らして腰を落とし、身構えた。
『フォーオッフォッフォ! 我が天神の雷を浴びて、今度こそ塵となれい!』
天狗が雷光を帯びた杖を天へと振り上げた。一瞬にして頭上の空がどす黒い雲に覆われ、凄まじい破壊エネルギーが杖の先端に集中していくのが、私にすらはっきりと分かった。
そして、その杖が振り下ろされる絶望の瞬間――。
護さんは落雷の直撃を避けるため、次の大木の木陰へと一気に走り出そうとした。しかし、その刹那。
「っ……! しまった――!?」
護さんの口から、痛恨の悲鳴が漏れた。先ほど天狗に痛めつけられた右足が悲鳴を上げ、地面の泥に足を取られて滑らせてしまったのだ。姿勢を崩し、その場に倒れ込む護さん。
『ハハハ! 運にも完全に見放されたか、麺場護よぉぉーっ!』
天に轟く雷撃が、完全に無防備となった護さんの頭上へと容赦なく降り注ぐ。
万事休す――そう思った、次の瞬間だった。
神社内に、どこからともなく突如として神聖な強風が吹き抜けた。その風は護さんのすぐ背後にあった巨大な一本の『巨木』を激しく揺らし、太い枝がまるで護さんの身代わりになるかのように、凄まじい勢いで上空から割って入ったのだ。
バリバリバリガラガラ、ドーーンッ!!!
落雷の凄まじい全エネルギーを、その巨木の枝が真っ向から受け止めた。
『グヌヌ……!? ワシの雷が木に阻まれただと!? おのれ、何が起きておる!』
「こむぎちゃん、今や!!」
「はいっ!」
護さんの鋭い叫び声に、私は保冷バッグから『山本の麺』が入った袋を掴み取り、護さんの手元へと正確に投げ渡した。
「これや! 行くぞ、天狗よ! うどん皇子を裏切り、魂を売った己の愚かさを呪え!」
護さんは両手で山本の平打ち麺をガシッと鷲掴みにすると、それを頭上で凄まじい速度で旋回させた。
「ええっ……!? あれって……!」
私は目を見開いた。護さんが振り回す生麺は、昼間に山本の竹ざるの上で見た『山本スクリュー』と全く同じ、完璧な渦潮の軌道を描き始めたのだ。
その超高速の回転が、周囲の大気を巻き込んで大きな上昇気流を生み出していく。それがやがて、天狗の風を容易く凌駕するほどの、巨大な白い「竜巻」へと膨れ上がっていった。
「こむぎちゃん、これが最後の仕上げや! 頼む、冷凍うどんをその中へ!」
「はいっ、受け取ってくださいっ!」
私は保冷バッグに残っていた最後の冷凍うどんの塊を、猛烈に渦巻く竜巻の中心に向けて全力で投げ入れた。
『グ、グヌヌ……っ!』
天狗も慌てて羽団扇を何度も振り、対抗すべくつむじ風を起こそうとする。しかし、西讃の極上の平打ち麺が宿す『スクリューの回転力』を宿した護さんの大竜巻には、もう到底太刀打ちできない。
冷凍うどんの塊が、白い竜巻の中で超高速回転しながら、凄まじい質量兵器へと変貌していく。
「ええか、天狗のじいさん! これが我が麺場流が放つ、西のコシの最高到達点――『麺場流・竜巻冷凍うどん旋風麺』じゃあぁぁ!!」
護さんが右手を一閃すると、竜巻の最深部から、極限の回転を乗せた冷凍うどんが、まるでレールガンさながらの速度で弾け飛んだ。
ドガァァァァンッ!!!
『グ、グギャアアァァァーーーッ!?』
天狗の頑丈な羽団扇ごと、その胸板を冷凍うどんの塊が完璧に粉砕した。
悲鳴を上げながら、木の上から崩れ落ち、徐々に光の塵へと還っていく大天狗。護さんは着地し、消えゆく怪異を冷徹に見下ろした。
「天狗よ。最期に教えてくれ。一体、誰の命を受けて、うどん皇子への捧げ物を邪魔しに来たんや!」
『フォー……フォッフォッ……。『皇女』……だ……』
「何やて……!? まさか、……あの『そうめん皇女』か!?」
『……もうすでに、小豆島からの……海の軍勢も、高松港への進軍の準備を……始めておるわ……カハッ……』
不気味な警告の言葉を遺し、天狗は完全にこの世から消滅した。
しかし、勝利の余韻に浸る暇はなかった。
「護さん……そうめん皇女って、一体どういうことなんですか? 蕎麦派だけじゃなくて、そうめんまで攻めてくるの!?」
「うむ、そうめん皇女というのはな、実はうどん天皇家には――」
護さんが説明を始めようとした、その時だった。
バリバリバキキッ、ドーーーンッ!!!
さっき護さんを庇うようにして天からの雷撃を真っ向から受け止めた、あの巨木の太い大枝が、激しい煙を上げながら、自重でへし折れて地面へと真っ直ぐに落ちてきたのだ。
「あ……! あれって、高屋神社の御神木……『桜の木』!」
護さんが慌てて駆け寄り、その見事な折れ木を両手で丁寧に拾い上げた。
「護さん……強度の方はどうなんですか? 雷が直撃しちゃいましたけど……」
私が不安げに覗き込むと、護さんは桜の木の表面を、自らの手のひらでトントンと軽く叩いた。
――コーン、コーン……。
静まり返った境内に、驚くほど軽くて心地の良い、濁りの一切ない綺麗な音が優しく響き渡った。
「……いける。焦げとるのは表面だけや。これなら、皇子の怨念をも鎮める最高の『清めの麺棒』として使えるで!」
「やりましたね、護さん! 私たち、めちゃくちゃ運が良いですよ!」
「いや……運が良いと言うか。何やろな、まるで誰かが俺を守ってくれたような……そんな不思議な気がするわ。……まぁ、ええか! こむぎちゃん、感傷に浸るんはここまでや。次は二本目の御神木――『樫の木』をゲットしに行くで!」
「はいっ!」
夕日に照らされる天空の鳥居を背に、私たちは世界を救う次なる目的地へと向かって、力強く一歩を踏み出したのだった。




