第17話『天空の鳥居と、天狗の葉団扇』中編
「はぁ、はぁ……なんとか、逃げ切れたみたいやな……」
「はい……。でも、護さん。その足……っ」
護さんは焦げた右足を引き摺るようにして、痛々しく歩いている。
「こむぎちゃん、心配はいらん。両手さえ無事なら、うどんは何杯でもすすれるけんな」
護さんは無理に笑顔を作って、いつもの飄々とした調子で優しく微笑んでくれた。
「……ごめんなさい。私のせいで……。私が勝手なことをしたから、護さんが……っ」
自分の不用意な行動で大切な相棒に大怪我をさせてしまったこと。そして、本物の天狗の攻撃があまりにも恐ろしかったこと。すべての感情が一気に決壊し、私は身体をガタガタと震わせながら、大粒の涙をポロポロと流していた。
「心配いらん言うとるやろ。命に別状はないし、そんな泣きながら暗い山道を降りよったら、足を踏み外して『どせこむぞ(転げ落ちるぞ)』。ほら、涙を拭きぃ」
護さんに頭を撫でられながら、私たちはなんとか元来た険しい道を這うように引き返し、山の麓にある駐車場まで降りてきた。痛む足を押さえ、運転席に座った護さんは、重苦しい空気を振り払うように、力強くキーを回した。
「とりあえず……作戦を練り直すためにも、最高のやつをすすりに行こうか」
天狗の激しい雷撃から逃れ、護さんが負傷した足で軽トラを走らせること約二十分。
辿り着いたのは、観音寺市の国道沿いに店を構える名店――『讃岐麺処 山本』だ。
このお店はセルフ店とは異なり、店に入ってすぐの場所にある注文用紙に、自分が食べたいメニューをセルフで記入して提出する少し変わったシステムになっている。壁には親切に写真付きでメニューが表示されており、どれも一風変わった魅力的なうどんばかりだ。
「メニューがいっぱいあって迷っちゃいますね……。うーん、私はとりあえず無難に『かけうどん』にしようかな」
私が注文用紙の『かけ』の欄にペンを走らせようとすると、隣から伸びてきた護さんの手がそれを素早く阻止した。
「しょうがないな、教えといたるわ。山本に来たなら、まずは『ざる系』や。ほら、あそこの写真を見てみぃ。あの、芸術的な『山本スクリュー』がここの名物なんやから」
護さんの強い言葉に従い、私たちはこの店の看板メニューである『金卵ざるうどん』を注文した。どうやら盛り付け方の美しさこそが、店中を唸らせる『山本スクリュー』の正体らしい。
しばらくして、出来上がりを告げるブザーの合図が店内に鳴り響いた。 お盆を受け取った瞬間、私は思わず息を呑んだ。
「うわぁーーー! 何ですかこれ! めちゃくちゃビジュアルが良いじゃないですか……!」
竹ざるの上には、まるで鳴門の渦潮のように美しく、一糸乱れぬ曲線で綺麗に巻き上げられた極上のうどんが、見事な円を描いている。そしてその大渦のちょうど中央には、太陽のように濃厚な「卵黄」が神々しく鎮座していた。
「これが、このお店の名物『山本スクリュー』……! なんか美しすぎて、箸をつけて崩して食べるのがもったいないくらいですね」
「アホか。食べんほうがもったいないわ。職人の芸術はな、すすってなんぼや」
護さんに促され、箸の先で卵黄を崩す。とろりと溢れ出た濃厚な黄身を麺にたっぷりと絡め、特製のつけ出汁にどっぷりと浸して一気にすする。
麺は少し太めで、平打ちのような美しいフォルム。噛み締めた瞬間のコシはかなりしっかりめで力強いが、喉ごしは爽やかだった。
「なんですかこれ……見た目だけじゃなくて、食べても美味しいなんて……。讃岐うどん、本当に奥が深すぎますよ……!」
「そうやろ、そうやろ。西讃のうどんはまた一味違うやろ。……やけど、いつまでも感動しとる場合やないな。あの天空の鳥居を我が物顔で占領しとる天狗のじいさんには、きっちりギャフンと言わしたらいかんな」
私が美味しい麺に目を輝かせる一方で、護さんは真剣な顔で呟いた。
「何か、あの天狗の暴風を破る突破口は見つかりそうですか?」
「いや……あの凄まじいつむじ風で近寄れん上に、あの錫杖から放たれる本物の雷やからな。はっきり言うて、今のままでは『じょんならん(手に負えない)』わ」
「そう言えば護さん、戦闘中に天狗さんのことを『高名な怪異』って言ってましたよね」
「あぁ。天狗は古来より色んな物語や絵巻物にも登場するほど有名な大妖怪やからな。それはつまり、それほど霊力が強くて、怪異としての格(身分)も圧倒的に高いっちゅうことなんや」
「もう……こうなったら、最初の桜の木は諦めるっていうのはどうですか? 他の場所の桜じゃダメなんですか?」
「それはいかん。麺棒の儀式には、必ずあの高屋神社の神域で育った、折れ木の桜でないといかんのや。ここで逃げたとあっては、麺場家当主の名が廃るわ」
護さんは器を抱え、うどんをズルズルと激しくすすりながら、激しく考え込んだ。
「考えろ……考えろ俺の脳みそ! ぐるぐると頭を回転させて、知恵を振り絞るんや! ぐるぐると、この山本スクリューのように、渦を巻いて……。――ん? スクリュー? 渦、回転……? そうか! そういうことか!!」
「護さん!? もしかして、また何か閃いたんですか!?」
「あぁ! これで勝てる、あの暴風を完全に無力化できるで! こむぎちゃん、大至急この『山本の麺』、持ち帰りで十玉頼む!」
「はいっ!」
私は護さんの瞳に宿った、鋭い光を見て、力強く立ち上がった。




