第15話『御神木の三岐路と、滝宮の朱色社殿』後編
軽トラに乗り込み、のどかな綾川町の景色を眺めながら車で十分ほど運転したところであろうか。私たちが到着したのは、同じく綾川町にある超有名店『谷越うどん』だ。
このお店は、茹でたての麺に生卵を絡める『釜玉うどん』を爆発的なブームに乗せて全国区にした伝説の聖地。近隣には信じられないほど広大な駐車場がいくつも設けられているのだが、休日ともなればそのすべてが県外ナンバーの車で埋め尽くされるほどの、凄まじい人気を誇る店である。
暖簾をくぐると、厨房の熱気とともにお出汁のいい香りが広がった。
「あら、麺場さんとこの……」
注文口のトレイを受け取る場所で、一人の年配の女性が私たちの顔を見て声をかけてくれた。
「護です。お久しぶりです、おかみさん。俺のこと、よく覚えていましたね」
「当たり前やがな。一回来てくれたお客さんは、例え県外の人でも絶対に忘れんけんな」
護さんと親しげに話しているのは、谷越うどんの名物おかみさんだ。しかし、おかみさんは周囲に聞こえないよう、ふっと声を潜めて真剣な顔になった。
「いま……うどん界隈が大変なことになっとるやろ。白峰寺の不穏な噂も、私らの耳にまで届いとる。みんな心配しとるけん、頼むな、麺場さん」
「……分かりました。任せてください」
いつもなら「うどんは飲み物」などとふざけている護さんが、この時ばかりは珍しく姿勢を正し、神妙な顔をして深く頷いていた。
怪異の脅威は、すでに香川の平和なうどん文化の足元まで迫っている。私たちは頼んだ名物の釜玉うどんをお盆の上に乗せ、おかみさんの激励を背に受けながら、緑が美しく広がるお店の中庭へと向かった。
「ふっふっふ。護さん、見てください! 私、ちゃんと勉強してきたんですよ。じゃーーーん! 名物、釜玉うどんです!」
谷越うどんの美しい緑が広がる中庭のベンチに腰掛け、私は誇らしげに自分の丼を掲げた。熱々の麺に絡みつく半熟の生卵、そこに特製のダシ醤油を回しかけた王道の黄金うどんだ。
しかし、護さんはそんな私を「フッ」と鼻で笑うと、マウントを取るようにお盆の上にある自分の丼をこれ見よがしに見せつけてきた。
「ええっ!? 何ですかそれ……。卵の黄色いお布団の下に、何か白いドロドロしたものが敷き詰められてますけど。……まさか、山芋ですか?」
「ククク、その通り。これが谷越うどんの新名物、その名も『かまたまやま』や! 生卵のコクに山芋のとろろが合わさってな、めちゃくちゃトロトロで美味いんぞー」
私は自分が頼んだ釜玉うどんに舌鼓を打ち、そのモチモチとした食感に感動しながらも、護さんがズルズルと美味そうにすすっている『かまたまやま』からどうしても目が離せなかった。
「うぅ……めちゃくちゃ美味しそうですね。その山芋の強烈な粘りがうどんにネットリと絡みついて……。悔しいです、次は絶対に私もそれ頼みます!」
「そうや。この山芋の、どこまでも糸を引くような力強い『粘り』がな……。――ん、粘り?」
護さんは箸を止めて、ハッと目を見開いた。
「護さん? また何か閃いたんですか?」
「こむぎちゃん、ナイスや。粘り……そうか! またしてもこむぎちゃんに重大なヒントを教えてもらったな」
「え? 一体どういう意味ですか?」
「清めの麺棒についてや。清めの麺棒の材質については、さっき滝宮で教えたな?」
「はい。強度の違う三種類の木(樫、檜、桜)からそれぞれ麺棒を作って祭壇に奉納しなきゃいけないって話ですよね」
「そや。折れ木を使うから入手が極めて困難である上に、本来この『清めの麺棒』はな、四半世紀――つまり、二十五年に一度行われる『式年祭』の時にだけ、麺場家の当主が命を懸けて奉納するものなんや。……まぁ、ちょうど今年の秋にその式年祭が来るんやが、前回奉納されたのが二十五年前のことや」
「二十五年前……。それって、護さんがまだ九歳の頃ですか?」
「そうや。式の詳細自体は、事務所の古書物に残されとるから手順は頭に入っとる。……やが、何分、まだ子供の頃の記憶やからな。無意識に逃げとったんかもしれん」
護さんは静かに丼を置くと、山越うどんの中庭に優しく降り注ぐ木漏れ日を見つめた。
「お前が『かまたまやまの粘り』を美味そうに見てくれたおかげで、俺の記憶のコシも繋がったわ」
「え? ということは……!」
「……行こうか、こむぎちゃん。『清めの麺棒』を作りにな!」
「はいっ!」
私は力強く頷き、器に残った最後の麺を勢いよくすすり上げた。




