第13話『城山の超韋駄天と、うどんのバランス』後編
私たちはその日の夜、再び城山の麓へと訪れていた。
軽トラの荷台には、昼間にかもんうどんで分けてもらった、持ち帰り用の生麺と極上の黄金出汁が積まれている。
「あの……護さん。今日は持ち帰りの麺と出汁をただ積んでるだけですけど、本当に武器になるものは何もないですよ? 冷凍うどんの鈍器すら補充してないのに、どうするんですか?」
「こむぎちゃん、さっきも言うたやろ。相手は婆さんとはいえ、おなごや。婆さん相手に武器なんかいらん。……さぁ、お出ましや、来るで!」
冷たい夜風を切り裂いて、闇の奥から白髪を振り乱したあの影がヌッと現れた。
『キェーーーヒェッヒェッ! 昼間は尻尾を巻いてあぜ道に逃げげたかと思ったわい、麺場家の若造よ! 今度こそ観念して皇子の軍勢に加わるかえ?』
「婆さん、悪いな。今日こそその韋駄天に、きっちり引導を渡すけんな!」
護さんは真面目な顔でハンドルをしっかりと両手で握り締め、アクセルを踏み込んだ。
『キェーヒェッヒェッ! ワシも年甲斐もなく血がみなぎってきたワイ! おもしろい、勝負じゃ!』
「婆さん、ゴールは『瀬戸大橋記念公園』な。そこまでどっちが速いか競争や!」
『またおつな場所を選びおってからに。よかろう、お前たちの乗った鉄の箱ごと、瀬戸内海の海の藻屑としてくれようぞ!』
護さんの軽トラのマフラーが、夜の山道に凄まじいうなりをあげる。
「バゴォォォンッ! ボッボッボッ!!」
「こむぎちゃん、遠心力に負けるなよ! しっかり掴まれよ!」
「キュルキュルキュルキュルッ! キュリリリリッ!!」
軽トラのタイヤが、まるでアスファルトを削り取るかのように激しい悲鳴の音を鳴らす。
さらに車内のスピーカーからは、爆音のユーロビートが流れ出し、車内のボルテージは否が応でも最高潮に盛り上がっていく。某公道の走り屋漫画さながらの、熱いカーチェイスバトルだ。
『キェーヒェッヒェッヒェッ! これしきの速度では、このワシを振り切ることはできんぞ?』
軽トラの助手席の窓にピタリと並走しながら、ターボ婆さんの表情には未だに絶対的な余裕がある。
「ちっ、……しゃあねぇな、ここからは本気モードや!」
護さんは「ガッ! ガコッ! シュゴーーーッ!!」と、激しくシフトノブを叩くような仕草をした。
「飛ばすぞオラァァァッ!!」
「……あの、護さん。さっきからメーター、十五キロくらいしか出てないですよね?」
私が冷めた目で速度計を指差すと、護さんは前を向いたまま気まずそうに言った。
「山道は暗くて危ないからな。安全第一や」
「あと、さっきのタイヤが軋む『キュルキュル』って音、護さんが口で言ってますよね?」
「いや……そういう気分ってありますやん。せっかくのバトルやし」
「それになんですか、最後のギアチェンジしてタービンぶん回したような『シュゴー』って擬音は。この軽トラ、オートマですよね?」
「……やめて、こむぎちゃん。大真面目にツッコまれると、急にめちゃくちゃ恥ずかしくなってきたわ……」
護さんは耳まで真っ赤にして俯いた。
山を下りて県道に入り、制限速度は少し上がったものの、軽トラは法定速度を一キロも超過しない超安全運転だ。当然、並走するターボ婆さんは汗一つかいていない。
「護さん! 恥ずかしがってる場合じゃないです! これ本当に勝ち目あるんですか!?」
「あぁ、心配いらん。ここからが『かもん』で得たヒントの真骨頂や」
軽トラは坂出の市街地を抜け、広大な『さぬき浜街道』へと躍り出た。
浜街道は、見渡す限り直線が続く片側三車線の巨大な幹線道路だ。
「護さん、この道、ずっと真っ直ぐなストレートですよ!? スピード勝負になったら、生身でバイクをぶっちぎるお婆さんの方が圧倒的に有利じゃ――」
『キェーヒェッヒェッヒェッ! 小童が、ゴールまでのルートを完全に間違えたのう! この直線の長さなら、ワシの最高速に追いつけるわけがない。ワシの勝ちじゃあぁぁ!!』
遥か前方に「瀬戸大橋記念公園」の緑色の標識が見えた瞬間、ターボ婆さんは不気味な白髪をストレートの風にたなびかせ、さらなる超加速を見せた。軽トラをジリジリと引き離し、お婆さんの背中が暗闇の向こうへと遠ざかっていく――。
「おい、婆さん! 瀬戸大橋記念公園に入ったら、そのまま外周をぐるっと大きく回ってから、正面の駐車場でゴールやからな!」
『フン、何をこざかしい! ワシのスピードの前には、どんな遠回りも無意味じゃわい!』
ターボ婆さんは、直線で私たちの軽トラをあっさりと抜き去っていった。凄まじい白髪の残像を残し、標識に従って瀬戸大橋記念公園の大きな看板を猛スピードで曲がっていく。
「あ、見えなくなった……。護さん、やっぱり追いつけっこないですよ!」
私が絶望的な声を上げる中、護さんは慌てることなく法定速度のまま、軽トラを滑らかに看板の先へと曲げた。すると驚いたことに、フロントガラスのすぐ先に、大きな体を左右に激しく揺らしながら必死に走っているターボ婆さんの後ろ姿が見えてきたのだ。
「えっ……!? うそ、追いついた?」
軽トラの気配を察知したターボ婆さんは、再び狂ったような奇声を上げて、全速力で逃げ出そうとする。
『キェーーーッ!!』
だが、その先の外周のきついカーブを曲がった直後、なぜかお婆さんは激しく失速し、再び軽トラがすぐ真後ろまで追いついてしまう。
「どういうことですか? 直線であんなに速かったお婆さんが、カーブに入るたびにどんどん遅くなって……」
「ふっふっふ。これが、あの『かもんうどん』でこむぎちゃんのヒントから得た、ターボ婆さん最大の弱点や。あの婆さんはな、ストレートの爆発力はめっぽう強いが、急カーブで遠心力に耐えながら『バランス』を取るのが致命的に苦手なんや。しかも、かなりの高齢ときとる。これだけの連続ヘアピン、そろそろ自慢の足腰にガタがきとんちがうか?」
「全体の調和、トータルバランス……! なるほど、だからメニューを絞ってバランスを極めた『かもん』がヒントだったんですね!」
『キェーーーッ! おのれ、おのれ麺場護ぅーーーっ! 足が……もう曲がらん……っ!』
お婆さんは激しく体勢を崩し、駐車場の白い白線の手前で、ついにその足が完全に止まった。
「婆さん、すまんな。――俺たちの勝ちや!」
軽トラがゆっくりと駐車スペースに収まり、ハザードランプがカチカチと規則正しく鳴り渡る。
車を降りて近づくと、地面に膝をついたターボ婆さんの身体は、柔らかなうどんの湯気のような白い光の塵となって、静かに夜空へ溶け込み始めていた。
『……見事じゃ……麺場、護……。皇子の、うどん皇子のことを……よろしく……頼む……。あの御方の……気持ちを……心意気を……』
その消えゆく切ない呟きに、護さんはおもむろに頭の帽子を脱ぎ、静かに目を閉じた。
「分かっとる、婆さん。うどん皇子なしでは、この讃岐の国の歴史は語れんからな。その怨念も、皇子が愛したうどんの未来も、この俺が責任持って全部任せてもらうけんな」
護さんの優しい言葉を聞き届け、ターボ婆さんは今度こそ満足したように、穏やかな微笑みを浮かべて完全に除霊されていった。
気がつけば、瀬戸内海の地平線の向こうから、辺りがゆっくりと白み始めていた。
私たちの頭上には、雄大にそびえ立つ瀬戸大橋の巨大な鉄骨。丁度その上を、ガタゴトと小気味いい音を立てて、朝一番の『マリンライナー』が通過していくのが見えた。
瀬戸内海から吹き抜ける、どこか爽やかな朝の風と、潮の匂いが私たちの身体を優しく包み込んでいく。
ひとつの大物の怪異を、傷つけることなく家訓通りに祓い終えた達成感。だけど、うどん皇子の呪いが本格化し、他の一族まで動き出そうとしている世界の危機は、確実にすぐそこまで迫っていた――。




